汝は騎士なり、誓いと誇れ
巨大でありながら質素、されど汚れなき荘厳を誇る。
大聖堂を歩く青年は、建物の主が示す高潔さに想いを馳せる。風があり傷があり小鳥が鳴く、ただ汚れのみが存在しない。汚れと呼ぶべきものでさえ、汚れという役割を剥奪されているようだ。
「高潔……じゃない、清潔と呼ぶべきかな」
「いつかのお前は味気ないといっていたはずだが、変わったな」
青年は声の飛んできた方向に目を向け、見えた人影に笑みをこぼす。
「やあ、久しぶりだね〈
「祭事が近いゆえ、指一本分だがな。お前は服が変わった、連れを持つところも変化だ」
コツコツと足音を生みながら青年に近づくのは、白の鎧に赤のサーコートを羽織った騎士。一見は女性だが、じっと見れば性別が判別できなくなる。
青年は騎士の性別を深く考えることなく、進行方向を変えた。性別の必要性を失った奇跡に、考えることが無駄だと知っていたからだ。
「こういうときは見た目とか雰囲気とか言及するものじゃないかな」
「変わらぬ者のいずれにもの言えと? そも、お前の
青年は答えず、肩をすくめてみせた。
憲律の騎士は青年の人間くさい行動をまじまじ見て、なんとも興味深そうにしている。
「神の杖よ。我は今、我が目を疑っている」
「人の見出した摂理に言われると、光栄だね。それで? 僕になんの用かな」
「ふむ、まあ、よいか……。呼び人あると伝えにな。水晶と透銀の奴らが、泉で待っておる」
青年が頷くと、憲律は廊下の先へと歩を進めた。青年は粛々と付いていく。
信仰と覚悟を象徴する聖都、その中で最も権威ある大聖堂こそが今青年たちのいる場所だ。世界に現存する奇跡の名を冠した“摂理の大聖堂”、その威厳と頑健さは過去の時代の過酷さを物語る。
しかし大聖堂の最奥に佇んでいたのは、小さな教会程度の建築物だった。
円柱の上に半球を乗せたような建物は、質素でありとても強固に見えない。大聖堂の中では貧相ですらある。
この建物こそが摂理の生まれた場所であり、大聖堂は壁に過ぎないなど、誰が想像できようか。
「歓迎を述べる、神の杖」
青年と憲律が内部に入ると、規則正しく並ぶ石柱と泉が目に入る。
床の3分の2を占める泉の上に、騎士が一人立つ。
「水晶の騎士……君は本当に、いつも人間の高みを教えてくれる」
「人間の高みたる余は、汝を殺せぬ」
青年がもらした感嘆に、王にして陰りなき騎士は凜と返した。
細身の鎧は金属か宝石か、水面に突き立つ晶剣は権威と威光を表わし、眼差しのひとつであれ意志の宿らぬものはなし。
水晶の如き純粋さを髪と肌に秘め、銀とも蒼ともつかぬ瞳は見るものの本性を映すようだ。
天窓からの光で泉と同化しそうな色合いは、だが騎士をかすませるにはほど遠い。
意識ではなく、世界に刻まれているかの強烈な存在感。
この騎士と会うごとに、青年は人間という種族の底知れなさを実感する。
「聖一代摂理、〈水晶〉が喜びを伝えん」
柄から手を離された晶剣は光と散り、水晶の騎士は水上を進み青年の前に立った。
「アロベーン聖都王にして十二摂理の騎士団筆頭騎士、水晶のクリスタルの名を以て神の杖に相見える」
水晶の差し出した手を、青年はゆっくりと取った。
名乗られた名称に想いを馳せた青年は、過去の出来事を思い浮かべる。
「クリスタル、か。最近ではもう、そっちしか聞かなくなったよね」
「それが人と歩むということ。奇跡であれ摂理であれ、人とあるならばそれ相応の在り方があるのですから」
青年が右手に目を向ければ、銀と革の鎧を身に纏い、眼鏡を付けた騎士が頭をかいていた。
見た目は完全に青年期の男性だが、この騎士もまた性別の必要性を失った存在だ。
「聖四代摂理、〈透銀〉。最強でも最速でも最高でもない、だけど『怪物』を最も苦しめたのは君だったね。今はなんて名乗ってるのかな」
「透銀のカッセルガンド、そう名乗らせていただいていますね。つい六年前からです」
「ああなるほど、聖都のカッセルガンドって君のことか」
なるほどと頷く青年に、透銀は困ったような笑みで応える。
「ほう、名が気になるか」
「水晶に次ぐ〈憲律〉のアサガミはとっくに知ってる。君は有名すぎて、大陸の端まで知れ渡ってるよ。名前変わってないしね」
「なんとも、残念だ」
ほのぼのとした会話だ。久しくあった旧友に親愛を告げるように、親しげな対応は清廉な泉の場において相応しい。
あくまで、“ように”でしかないのだが。
「それで水晶の騎士。僕を呼んだのは何故かな」
空気が、流れを止めた。
全員が知っている。この場にいる青年と騎士たちは、一歩間違えば肉を裂き合う関係になりかねない。今ある平和は、ただ大地を殺したくない共通認識ゆえだと。
「騎士として、王として、この世で最も高貴な君は……最も強固に悪を拒絶する君は何故僕を呼んだんだい?」
水晶の騎士は、十二摂理の騎士団筆頭騎士であり聖一代〈水晶〉の摂理を体現する。
騎士の体現する〈水晶〉には一片の陰りもない、不純、不徳、妥協、不足……何一つとして。
《彼女》であった騎士にとって、それこそが護るための理想であったのだ。
故に、あらゆる悪を陰りなき騎士は許さない。
誰もが讃る。過去数多の敗北ある騎士団が貶められぬのは、常に道を切り拓く先頭に水晶が輝くからだ。
人類の裁定所たる聖都、その王は人界を震わす拍手によって迅速直接に決められた。
「君にとって、僕は『悪』だろう? ねえ、水晶の騎士クリスタル」
「初めて呼んだのはどうして?」と軽く言う青年に、憲律は眉間にシワを寄せ、透銀は眉を下げて困り笑い。摂理の騎士であるふたりも、青年の意見には賛同する。
おそらくこの世で一番青年を消し去りたいのは、他でもない水晶の騎士なのだから。【泉】に案内することも異常だが、握手を求めるなど聖都が吹き飛んでもおかしくない大異常なのだ。
「タムリアと言ったか。緊張で貧血を起こしたが、騎士たる名は与えた。この時期に特例として名と加護を与えられた、当然ただ一人衆目に晒されたが、最後までやり抜いた根性は賞賛に値する。そう伝えてやるがいい」
意外なことに、水晶が言及したのはタムリア。
だが、青年は柄にもなく驚きに染まった。
「…………もしかして〈水晶〉が直々に出た? ここは風がなくて見えないんだよ」
「…………鎧、コート、王冠、憲章、十二騎士全員の同意書、一房の髪、武器片、晶剣まで揃えて騎士と認めました。髪は〈水晶〉自身のもので、武器片はかつて神殿から受け取ったものです」
「わーーー……騎士王でもそこまでされてないよ」
透銀が頭を抱えそうな顔で口にした内容は、青年から見てもやり過ぎだった。
いや、厳密にはおかしくないのだ。
騎士の位を与えるのは君主、騎士として認識し名を与えるのは敵味方関係なく騎士団、もっと言えば騎士団の長。騎士としての名を与えるのに、幹部の同意があるのは当たり前。身に付けるものを与えるのは意思表示、髪は最上級。武器の一部を与えるのは、認めた証明。自らの象徴を持つのは、権威を示すため。
どれもこれも伝統として正しい。それら全てを揃えて、なおかつ文字通り騎士としても王としても頂点である〈水晶〉が行ったのがおかしい。
歴史を見てもそんなことされた騎士はいないし、そも水晶が直接やるだけで大変だ。とにかく大変だ。
「何を言っている。物事は欠けることなく行うべきだろう」
「君は真面目だからね、やることになったら全力でやっちゃうか」
「これを避けるためにさせなかったのですがね。おじゃんですよ」
「我が示すまでもないが、明日になる前に離島まで広まるだろうな」
生真面目な水晶、納得の青年、疲れた透銀、楽しそうな憲律。
二百年前の人間がこの場を見て、それぞれの正体を知れば何を思うことか。
「そもなんで水晶の騎士がやったのかな」
「神の杖からの手紙、最初に開けるのは誰だと思いますか?」
「安全も考えて、水晶の騎士だね。ごめんよカッセル、僕のせいだ」
「いえ、内容が予想外ですが仕方ない、仕方ないでしょう、ええ、ええ。あなたが我が身をあだ名で呼んで内通を疑われた時も、予想などできませんでしたし」
透銀の冷たい目に、青年は恨みを読み取る。
謝罪の意味を込めて笑ってみせる青年に、透銀は首に血管を浮かべた。たぶん怒りだと青年は考えた。
「何にせよ、汝が要請にはクリスタルの栄誉をかけて挑もう。あの騎士に、騎士たるを叩き込んでやる」
「短期間だけど、お願いするよ」
水晶は凛と頷く。
「騎士団総出で当たろう」
「水晶や赫雨なんかは下がいるから、お世話にならないだろうけどね。憲律もか……」
「いや、剣は私が教える」
響き渡った水晶の声に、青年は首を傾げる。
「〈剣〉の騎士がいるだろう?」
そう、十二摂理の騎士には剣に特化した騎士がいる。水晶が剣で劣るわけではないが、摂理の〈剣〉があればこそ教導優れるだろう。水晶に膨大な役割があるのだから、任せるのが当然なのだ。
「昨日、〈剣〉の騎士は眠り、泉に還った。ここにいては風も曖昧だ、お前も分からなかっただろう」
「ああ、なるほどね」
死んだのだ。
怪物の脅威遠のいた時代でも、ときに人の命は呆気なく消える。超越者も化け物も、まだ容易く死ねる世界なのだ。
聖女の時代から、摂理の騎士でも十人の顔ぶれは変わっていない。逆に、二人は変わっているのだ。
その一人が、〈剣〉。
「冥福を祈ろう。僕はまだ顔を見てなかったけど、立派だったのだろうね」
何故わざわざ【泉】に呼ばれたのか、青年は理解した。
亡くなった〈剣〉を弔うために、〈水晶〉が泉を離れられなかったのだ。
ここは人が摂理を己がものとした場所、摂理が生まれた場所……摂理が還る場所。
青年は空気を読んで、建物から出ていこうと踵を返した。
「いまだそのように書を抱えているな。忘れられないか」
水晶の言葉に、青年は振り返って笑う。
「忘れられないよ。彼女を忘れたら、約束まで忘れるんだから」
優しげな微笑は、不思議と青年の泣き顔にも見えた。
「聖女の末裔、その資格は認める。が、道理を殺せばお前は戻るぞ」
「安心してよ。彼女の物語を忘れないうちは、正しさの意味も忘れない」
「神の杖よ。救世の神令よ。お前の心を使命とすれど、他者を命じる権利はない」
「うん、それも教わったんだ。大丈夫、言葉は忘れてない」
青年は手元の書物を撫でる。
聖都に来てから新しく買った一冊。内容は以前とあまり変わらないが、装丁は煌びやかだ。
おそらく世界で最も読まれている御伽話、そこに記された女性は、青年に深く深く刻まれている。
(やっとこうして姿があるんだ。約束は、きっと果たすから)
感情の詰まった瞳を向けて、青年は次こそ泉を離れた。
傍に、『聖女』の物語を携えながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます