親友と、根本クラスと⑥

 六年生の一年間は、それなりに楽しく過ごすことができた。そして、あっという間に卒業間近になった。

「将来の夢」の発表会が行われることになった。六年生の三クラスがまるごと体育館に集まり、一人ずつステージに上がって作文用紙一枚分に書いた夢を発表するのだ。

 作文用紙に夢を書くことから始まった。何になりたいのか、どうしてなりたいのか、そのためにどうするのか。

 作文用紙に書くと、今度は各教室での発表練習に移る。友助からだ。

「『かっこいい大人になる』六年一組、朝山 友助。僕の夢は、かっこいい人間になることです。仕事などの具体的な内容は、これからじっくり考えていきたいと思っています。僕は人を助けたいという思いがあるので、人を助けられる人間になりたいです。僕は友を助けると書いて友助という名前です。両親がつけてくれました。その名前に恥じないよう、大切な友達を助けられる、強くて立派な大人になりたいです」

 あまり勉強が得意ではなさそうなのに、さらっと作文を書き上げてしまうスマートさが、友助にはあった。

「いいでしょう。ただ、友達だけを救うのではなく、他人やあなたが嫌っている人物なども救ってあげられるような大人こそ立派だと、私は思います」

「はい」

 小寺の番だ。

「『サッカー選手になりたい』六年一組、小寺 純一。俺はサッカー選手になりたいです。サッカーが好きだから、サッカー選手になりたいです。サッカーで得点を決めると、ヒーローになれます。僕は何度もヒーローになりました。それでも、もっともっとヒーローになりたいです。試合にたくさん出て、たくさん得点を決めたいです。ワールドカップにも出たいです。とにかく有名なサッカーになりたいです」

 みんなも思っていたのだろう。根本先生が「同じことを何度も言わないでください」と言うと、クラスがどっと湧いた。

「静粛に!」と根本先生が鋭く言うと、笑いはピタリと止んだ。

「サッカー選手に限らず、スポーツ選手はみんな努力をしています。小寺さん、あなたは努力をしていますか? 継続的に物事を熟すことができていますか? 授業中、窓の外を眺めている。宿題を提出できない。これで、サッカーだけは続けられると思いますか? 集中する力は、好きなことにだけ発揮されればいいということではありません。先生はサッカーにはあまり詳しくないですが、ただボールを蹴るだけではないでしょう。得点をするために、失点をしないために、各ポジションで役割を与えられた選手がいる。サッカーは人気のあるスポーツです。競技人口が多いですし、そのなかで自分のポジションを勝ち取ることは、プロになればなおさら厳しいでしょう。さらにスポーツには怪我がつきものですし、戦力外、という厳しい現実を叩きつけられることもあります。それでも君はなりますか? サッカー選手に」

 小寺はまるっきり黙り込んでしまった。

 クラスで男子から絶大な人気を誇る美少女、坂内さかうちさんの番だ。

「『大好きなお花に囲まれて』六年一組、坂内 香織かおり。私はお花が大好きです。それなので、毎日お花に囲まれて仕事ができるお花屋さんになりたいです」

 坂内さんの花屋になりたいという言葉を、男子たちは微笑ましい表情で見守っていた。そして作文が読み終わる。

 根本先生が話し始める。

「花屋さんは毎日、いい香りのきれいな花に囲まれて幸せでしょうか。では、あの花たちはお店で勝手に咲くのでしょうかね。枯れたら新しい花が咲くのでしょうかね。花屋さんは、早起きです。夜明け前に市場へ仕入れに行きます。閉店後の片付けも、花屋さんです。花を買いに来るのはお客さんで、毎日誰かの記念日があるわけです。常に明るく笑顔で接することが大切ですね。需要がある限り、土日の休みも関係ありません。花は鮮度が大切です。気温や湿度、天候には毎日気を遣いますし、花瓶や鉢植えなどを運ぶのに筋力や体力が必要でしょう。水を多く使用し、手が荒れるのはもちろんのことですね。それでもあなたはなりますか? 花屋に」

 先生の容赦ない言葉に、みんな顔を引きつらせてしまった。ただ、坂内さんは凛とした表情を崩さなかった。

 中之島くんの番になった。

「『多くの人を救う医者になる』六年一組、中之島 大耀たいよう。僕は、お医者さんになりたいです。人の命を助けるお医者さんは、かっこいいと思うからです。今の僕には人を助ける力がありません。今のままでは、将来、助けたいを思える人がいても助けられないかもしれません。だから、人を助けられるだけの力を身につけて、多くの人の命を助けたいです」

 もしかしたら中之島くんは、ぴょんたろうの死をきっかけに、医者になりたいと思ったのではないだろうか。目の前で死んでほしくないから。

 作文を読み終えると、根本先生が口を開いた。

「お医者さんですか。では、私が死にたいとしましょう。君は私を助けますか? 病気で苦しい、生活が辛い、もう生きていたくない。それでも君は私を助けますか? まあ、倫理的な話はいいでしょう。医者を目指すなら、偏差値の高い高校を卒業しましょう。高校卒業後は、医学部のある大学か、医科大学で六年学び、医師国家資格に合格する必要があります。入試は難易度も競争率も高いですし、相当な勉強量が必要です。また、大学では高額な学費が何千万とかかるそうです。ご両親に相談はされましたか? あなたは小屋のうさぎが死んだとき、悲しかったですよね? 目の前でたびたび経験することになる人の死はきっと、辛いものですよ。それでも君はなりますか? 医者に」

 中之島くんは一瞬だけうつむいた。だけど、すぐに顔を上げる。決意した男の目だと感じた。

 僕の番が回ってきた。

「『漫画家になる』六年一組、楢崎 淳貴。僕は漫画家になりたいです。僕は幼いころからたくさん絵を描いてきました。母や、友人に僕の絵を褒めてもらえるととても嬉しかったからです。四年生のときに『ユニティ・フラワーズ』というアニメを見て、感動しました。勇気や希望をもらうことができました。それなので、僕も、たくさんの人を感動させられるような漫画を描きたいと思います」

 根本先生は少しの間、ペンを走らせる。その間が怖かった。ペンを置くと手帳を開き、話し始めた。

「絵を描くことを職業にする。得意なことを活かすことは素晴らしいです。絵を描く仕事はいくつかあります。イラストレーター、画家、デザイナー、漫画家などですね。もっと細かくグラフィックデザイナー、ウェブデザイナーなどあるでしょうが、今はいいでしょう。特に漫画家に憧れる子どもは多いようです。アニメは日本の誇りですからね。漫画家でいうと、年間二万人ほどが漫画家を志望しているそうです。日本人の人口からすると、だいたい六千人に一人以上ということでしょうかね。ピンときませんかね。ちなみに医師の職業人口は三十二万人ほどだそうですよ。楢崎さん、君が絵描きになると言ったとき、お母さんどんな顔していました? 嬉しそうだったでしょうか?」

 僕は思い出した。お母さんの複雑な表情を。嬉しそうで、でも悲しそうなあの表情。

 生徒全員が発表を終えて、根本先生の総評に移った。

「君たち、自我を持ちなさい。今、考え方を変えなさい。なりたいものに成るのは難しい。辞めたいなら辞めればいい。でも私は、諦めろとは言っていない。私のことが嫌いならそれでもかまわない。悔しいなら、腹が立つなら、十年後二十年後、私の前に来て言いなさい。『お前が嫌いだったから、俺は、私は夢を叶えました』と。私は、教師が大嫌いだった。へらへらしてて、職場のストレスや苛立ちを他人に押しつけて、親の目を気にして、夢を中途半端に肯定して、あとは何も教えない。どうぞ好きなように、堕ちて下さい。それではさようなら、って。だから私は教師になった。生徒を救うために。だけど違った。今の君たちのように子どもだった私が、馬鹿だったんだ。手に負えないほどに無知で、幼稚で、愚直で、鈍感で。今楽しければいいやって、教師がいくら言っても耳に入らないんだ。これから先、中学、高校、大学、社会に出てからも、嫌な大人がいっぱいいるだろう。全否定するやつがいるだろう。あなたが誰かにとっての嫌な奴になるかもしれない。だけど、だからこそ自我を持ちなさい。ここから先は分かれ道だ。進むべき道は、自分自身で決めなさい」

 根本先生の内に潜む「本物」を見た気分だった。僕は、不思議と感謝の気持ちを抱いた。

 それから一週間で、半数以上のクラスメイトが夢を書き換えた。ただ、友助と小寺と坂内さんと中之島くんは、夢を書き換えなかった。僕も、漫画家になるという夢を諦めようとはしなかった。

 

 根本先生が担任にならなかったら、自分はきっとまともな考えを持たず、楽しいことだけを選択して生きていたと思う。だけど、この人が担任だった四年生と、六年生の二年間があるから、自分は考えを改めるきっかけを作れた。「僕が漫画家になる」と言ったときのお母さんの表情は、漫画家になることは凄いことだけどとても難しいことだから、応援したい気持ちと、現実の厳しさを知ってほしいという気持ちが両方現れた表情だったことが分かった。

 僕は覚悟を持って、漫画家を目指す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

糸と会心 伊田 晴翔 @idaharuto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る