親友と、根本クラスと④

 朝、いつも通りの時間に起きた僕は、お母さんに昨日のアニメの話をしようとした。しかし、アニメの話をしてしまうと、自分が夜中に起きてテレビを見ていたことがバレてしまう。怒られて、アニメを観させてもらえなくなりでもしたら、不本意だ。

「昨日、夜中にテレビ観てなかった?」お母さんが尋ねてきた。

 そうだ、昨日声をかけられたんだ、と思い出したが「ちょっと点けただけ」とごまかした。

 言いたいけど言えないムズムズとした感情を抱えたまま、僕は家を出た。

 

 学校に到着すると、廊下で男子が騒がしくしていた。クラス替えで盛り上がっているのだ、と思ったが実際に男子生徒の盛り上がりは『ユニティ・フラワーズ』によるものだった。

 僕は、自分と同じ年の子どもが夜中にテレビを見ていても怒られないことを意外に思った。しかし、よく聞いていると家族が寝静まったあとにこっそりと観賞した生徒が多かったようだ。

 なかには、録画したから内容を言わないでほしいと頼み込む生徒もいたが、そういう出遅れた生徒は、わざとネタバレをされてしまったり、仲間外れにされてしまったりという仕打ちがあった。

 それを避けるために、夜中、家族に怒られることを覚悟して、寝不足を覚悟してリアルタイムで観る生徒が多かったのだ。

 僕も昨日の感動を忘れてはいない。しかし、僕の最優先するべき課題はクラス替えだ。友助と同じクラスになれるかどうかで、その一年間の過ごし方が変わってくるように思えた。

 廊下に各クラスの新学年のクラス名簿が貼り出される。「楢崎淳貴」は一組。一組の名簿には「朝山友助」の名前もあった。「竹部しゅう」の名前はない。

 クラス担任は、「根本」という新任の女性教師らしかった。

 教室に入ると、自分の席を見つけて座った。新学期の始まりは名前の順で席が決められていた。

「淳貴、おっすー」

 友助は新クラスメイトにそれぞれ挨拶して回っているようで、僕のところにも回ってきた。

「友助くんと一緒でよかった」

「俺もだぜ」

「よろしくね」

「おう! よろしくなー」

 昨日のアニメの話がしたかったが、友助には興味なさそうだったから、やめた。

 体育館で新学期の全校集会があり、改めてクラスごとの担任紹介が行われた。

 これから担任になる根本先生は三十代半ばの、眼鏡をかけた釣り目の女性だった。隣町の中学校から赴任してきたという。怒ったら怖そうな人だなという印象を持った。

 教室に戻ると、自己紹介から始まった。クラスの半分近く、三年時とはメンバーが入れ替わっていた。そのクラスメイトたち、そして何より、新担任の根本先生に向けての自己紹介だ。

 名前、得意教科、好きなもの、頑張りたいことを教室の黒板の前に出て発表することになった。

 名前の順でスタートし、トップバッターは友助だった。

「朝山友助です! 友達を助けます! 国語算数理科社会以外は全部得意です!」

 いつもの調子で明るく話し出すと、みんな楽しそうに聞いていた。途中、みんなが笑う場面もあった。ただ、僕が教卓のほうにちらと視線を移すと、根本先生はクスリともせず、何やら紙に書き込んでいるようだった。

 その後も陽気な男子生徒たちの渾身の自己紹介ギャグを、根本先生はことごとくスルーしていく。

 ここでクラス一のお調子者になるであろう生徒の順番が来る。他の猛者を凌ぐ勢いで声を張り上げたのは、地元の少年サッカー団に所属している小寺だった。

「僕は小寺純一じゅんいちです! サッカーが大好きです! 根本先生も大好きです!」

 クラス中が笑いに包まれる。

「はい、ストップ」

 根本先生が、静かに言った。

 あまりの重たい声に、賑やかだった教室に緊張がピンと張り詰め、小寺は引きつった顔で根本先生を見た。

「この自己紹介はおふざけのためのものではありませんから」

 この瞬間から、教室の空気が重くなり始めた。

 

 僕の順番が回ってきた。

「楢崎淳貴です。得意な教科は図工です。好きな――」

「はいストップ」

 根本先生が止める。

「今のあなたたちは基礎を学ぶことが重要です。副教科を得意な教科と認識するのは結構ですが、得意な分野だけできる人間と、基礎を持った上で得意分野がある人間とでは差が生まれます。国語、算数、理科、社会は特に中学や高校に進学してからも重要な教科になりますから、今の段階で基礎知識としてしっかり学ぶために、主教科のなかから得意と言えるものを持つようにしましょう。はい、続けて」

「好きなことは絵を描くことです。たくさん絵を描くことと、勉強を頑張りたいです」

 書き込みを終えると、根本が「はい、次」と進行する。あなたは不合格です、と言われているかのようで、虚しさを感じた。

 以降も、控えめな女子生徒の声に容赦なく「声が小さいので聞き取れません」と注意し、得意教科や頑張りたいことがないと言った生徒に「ない、ということは自分を分かっていないということです。今まで何もしてこなかったという証拠です。あなたの今後の課題ですね」と手加減なく言い放った。

 この一日だけで、今後の一年間がどのようなものになるかを思い知らされることとなった。「先が思いやられる」という言葉を学んだのはこのときだったかもしれない。


 帰り道、僕は友助に昨日見たアニメの話をしてみた。

「そうなんだ。今日みんな話してたのそれかー。俺アニメ観ないんだよなぁ」

「そうだよね。僕も話す相手いなくて」

「自分から話しかけてみりゃいいんだけどな、淳貴はおとなしいからな。ま、うるさくなくていいけど」

「そういえば、根本先生怖かったね」

 僕は苦笑いを浮かべる。

「だなー。今年一年は大変な年になるぞ、覚悟しとけ」友助はあまり危機感を抱いていないようで、他人事みたいな口調だった。

 夕食時、僕はお母さんに新しい担任、根本先生について説明した。

「へー、そんな先生もいるんだ」

「僕、不登校になっちゃうかも」

「それは困るなー。でも、新しく来た先生なんでしょ? その人も不安の裏返しなんじゃない?」

「だったら優しくしてくれたらいいのに」

「責任感があるのかもね。『私がいい生徒に育てなきゃ』っていう」

「そんな感じじゃないんだよなぁ」

 僕はどうしても、ユニフラの話がしたくなった。時間が経てば時効になるのではないか、という感もあった。

「実はね、始業式の前の日、夜中にテレビを観たんだ。『ユニティ・フラワーズ』っていうアニメなんだけど。それがすっごく面白くて。それの再放送があるから録画したいんだけど」

「そうなんだ。そんなに面白かったんだ?」

 お母さんは、特に怒りはしなかった。

「うん」

「それはお母さんも観てみたいな。じゃあ、録画しよっか」

 それから、毎週録画して、ユニフラを見るようになった。お小遣いを貯めて、漫画も買った。お母さんが面白いと言ってくれたことも嬉しかった。

 一年間、根本クラスに何とか耐え抜いた。そして、心境の変化があった。

 

 五年生になったとき、僕は決めたのであった。

「僕、ユニフラみたいな漫画を描く漫画家になりたい」

 そう報告すると、お母さんはまた、嬉しそうで、でもどこか悲しそうな表情をした。

 友助とは別々のクラスだったが、それなりに楽しい五年生を過ごした。二年生のときには、絵を描いたことで竹部たちにいじめられていたが、五年生では、絵を描いたことでヒーローになったのだ。それはまさにユニフラのおかげだった。

 ユニフラのキャラクターを描くと、それだけで、クラスの男子から崇められた。そのことがあり、仲のいい友達もできた。

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