3.厄災の魔術師

 こうしてトートの庇護ひごのもと、ミラビリスはカエルラでは経験したことのないような幸せな時間を過ごした。ただ彼女の中には、迷惑をかけてはいけない、頼りすぎてはいけないという意識が常にあり、それは巣立つその日まで変わることはなかった。そして十四の誕生日、ミラビリスは後継者を探していた医療魔術師のもとへと弟子入りするために、この家から巣立つことになっていた。


「今までお世話になりました! このご恩は一生……絶対に、忘れません‼」


 深く頭を下げたミラビリス。その下に次々とできる小さな水たまりに気づかないふりをして、トートは彼女のふわふわとした頭を優しくなでた。


「じゃあ、もしもいつか私が困ったときは……一番の友人であり、未来の大先生のあなたに助けてもらうことにしますね」

「必ず! それがどんなことでも、トートが望むなら‼」



 ※ ※ ※ ※



「最悪だわ。まだトートとの約束だって果たしてないのに」

「トート? そいつはもしかして、ミラビリスの恋人?」


 ミラビリスの独り言に耳聡く反応したカストール。しかし、その声色には少しの棘が含まれていて。ミラビリスは眉間にしわを寄せると、小さく首をかしげた。


「恋人じゃなくて恩人だけど、それがあなたに何か関係があるの?」

「大アリさ! だって、ミラビリスは私の半身だからね」

「…………は?」


 半身――それは石人たちにとって何よりも大切なもの。本能で求める、死をも共にする運命のつがい


「顔も見てないのに、なんでそんなことがわかるのよ。そもそも本当にあなたが石人だって証拠もないし――」

「これでいい?」


 ミラビリスの言葉を遮るようにかけられた言葉。それは彼女の正面から……鉄格子のすぐ向こうから響いてきた。


「初めまして、私の半身。これからよろしく頼むよ」


 鉄格子の向こう側。ミラビリスの正面に立っていたのは、みすぼらしい姿をした少年だった。ボロボロのマントに顔の左半分を覆う包帯。その姿は、いやおうでもミラビリスに過去を思い出させる。捨てられた後孤児院に入れられるまで、独りきりでさまよっていた頃の記憶を。

 それを振り払うように頭を振ると、ミラビリスは深呼吸してから再び少年に視線を戻した。


「あなた……子供だったの?」

「運命的な出逢いの第一声がそれって、ちょっとひどくない? 言っておくけど私はすでに成人済みだし、おそらくきみよりずっと年上だよ」


 痛々しく同情を誘うような姿の少年は不敵な笑みを浮かべると、顔をおおっていた包帯をするするとほどいていった。すると、ボロ布の下から山葡萄やまぶどうのような紫がかった赤の貴石が現れた。

 夜空を煌々こうこうと照らす満月のような金の髪、赤の貴石と対になっているのは玲瓏れいろうたる銀の瞳。そしてその自信に満ちあふれた表情は、どう見てもあわれな子供などではなく……


「まあ、いいか。扉を開けてしまうから、ちょっとだけ離れていてくれ」


 カストールの左手に集まるピリピリとした魔力を察知したミラビリスは素早く扉から距離を取る。次の瞬間、扉の鍵の周囲がどろりと溶け落ちた。


「ちょっと、なにその高火力! しかもそんな一点集中の範囲指定って……魔力制御、めちゃくちゃ精密じゃない‼」

「炎と氷の魔術、そして精密操作は得意分野なんだ。さ、冷やしたからもう大丈夫。出てきておくれ、我が半身」


 どう見ても十四、五の少年にしか見えないカストール。身長もミラビリスよりは高いが、成人男性にしては低い。そんな自分より年下の少年にしか見えないカストールの軽口に、ミラビリスはこれみよがしにため息をついた。


「まったく、お子様が何を言ってるんだか。そんなことより、これからどうするの? たった二人でここから、どうやって逃げ出すつもり?」

「そんなことってひどいな。私にとっては何より大切なことだというのに。それに、きみだって言うほど年嵩としかさには見えないけど」

「失礼ね! たしかにちょっと童顔なのは自覚してるけど……いちおう二八の、とっくに成人済みの大人なんですけど」

「それは失礼。ちなみに私は一七八だよ。あと、逃げ出すつもりはない」


 カストールの言葉に怪訝けげんな表情を浮かべるミラビリス。そんな彼女にカストールは、ボロ布同然のマントを脱ぎ捨てながら不遜な笑みを返した。


「少し、野暮用があってね。それにこんなところ残しておいたら、これから迎える私たちの蜜月が邪魔されるかもしれないだろう? だからいっそのこと、全部灰にしていこうかと思っててね」

「出来るわけないじゃない。ここ、仮にも国の施設なのよ。あなた一人が暴れたところで、どうにかなるなんて到底思えない」


 呆れかえるミラビリスにカストールは笑顔を崩さずただ一言、「できるよ」と言い切った。


「ねえ、おかしいと思わなかった? さっきからこれだけのんびりお喋りしているっていうのに、誰一人としてここへやって来ないって状況に」


 それは、ミラビリスも先ほどから感じてはいたことだった。これだけやりたい放題で施設の人間が動かない、ましてや気づかないわけないのだ。


「どういうこと?」

「すでにこの施設は私の手の中、ということだよ」

「待ってよ! だって、さっきまであなたも檻の中にいたんでしょ? いったい、どうやって……」


 刹那、冬の湖のような銀の瞳がミラビリスを射抜いた。けれどそれはすぐに作り物のようなきれいな微笑みにおおい隠される。


「聞いたことない? 厄災やくさいの魔術師――劫火雪魄ごうかせっぱくのカストール――って二つ名」


 カストールの言葉に、ミラビリスの目がこぼれんばかりに見開かれる。


 劫火雪魄のカストール


 それは、ミラビリスたちの住むファーブラ国では、とても有名な名前だった。子供が悪さをした時に使われる常套句じょうとうくに、「悪い子はカストールに燃やされるよ!」というものがあるくらいには。


「嘘、でしょ? だって、あの悪名高いカストールが、こんな子供だったなんて……」


 驚きで二の句が継げないミラビリスに、苦笑いを浮かべたカストールが手を差し出す。


「だから私は子供では……まあ、いいか。さて、いつまでもこんなところにいても仕方ない。とりあえずここから出ようか。これからのことは歩きながら話そう」

「……了解。今のところはあなたと行動するのが最善みたいだしね」


 ミラビリスは差し出されたカストールの手を無視するとその隣に立ち、じっと見極めるように彼を見上げた。ボロボロの服の下に隠されていたのは攫われてきた哀れな少年などではなく、上等で小奇麗な白いシャツに黒のベストと乗馬用脚衣ジョッパーズパンツの小生意気な少年だった。


「そんなに見つめられると照れるな」

「観察してるだけだから照れる必要はないわ」

「私の半身はつれないなぁ」

「半身って言われても、私は石人じゃないからわからないもの。それにね、一般的には突然現れて危険人物の名前を名乗るような人に、そう心は開かないと思うわよ」


 まったく照れなど感じさせない顔でにっこりと笑うカストール、そんな彼に冷めた表情で淡々と返すミラビリス。けれど、そのミラビリスの冷めた表情は扉を潜り抜けると一変した。


「あなた……めちゃくちゃだわ」


 ところどころ焼け焦げた石壁、床や壁はおろか、天上からも飛び出している水晶の房クラスターのような氷の柱――。さぞ大騒ぎだったことがうかがわれる目の前の惨状に、ミラビリスから今度は深いため息がもれた。


「私、この騒動の中、よく目を覚まさなかったわね。自分でも自分の図太さにびっくりだわ」

「さすがは我が半身。ミラビリスは大物だな」


 二人の軽口が止むと、途端にしんと静まり返る通路。聞こえてくるのは機械の呼吸モーター音だけ。そんな中、暗褐色の縞模様が入った石がはめ込まれた懐中時計を手の中でもてあそびながら、迷いなく進んでいくカストール。彼についていくしかないミラビリスは、とりあえず気になることを聞いてみる。


「他に捕まってる人っていなかったの?」

「私たちが最後だよ。他のやつらは邪魔だったから先に出て行ってもらった。この階にいた施設のやつらも追い出したから、今頃上では騎士団や魔術師団が出てきて大騒ぎだろうね」


 悪戯いたずらが成功した子供のようにくつくつと笑うカストール。そんな彼にミラビリスは三度目のため息をもらす。


「あなた、捕まりたいの?」

「はは、悪名高い厄災の魔術師を見くびらないでほしいな。極夜国ノクスを出てからおよそ八十年、捕まったことはおろか、正体をさらすようなヘマなどしたことないよ」

「その割には、ファーブラ中にしっかりと名前浸透してるじゃない」

「いやはや、我が半身は手厳しい。でもね、名前だけだよ。石人であることも、この姿のことも、一切伝わっていないだろう?」

「……たしかに。じゃあ、なんで名前だけこんなにも広まっちゃったのかしら?」


 ミラビリスが首をかしげたその時、彼女の目の前に赤ん坊の頭ほどの青白い火の玉が突如現れた。それは一瞬だけ炎を大きくすると、瞬く間にその姿を火の玉から燕尾服を着たカボチャ頭の小人へと変化させた。カボチャ頭はくるりと一回転すると、そのまま宙で得意げに胸を反らせる。


「カストール、例のやつ見つけたぞ! あとついでに上の様子も探ってきた」

「さすがウィル。有能で頼りになる相棒で本当に助かるよ」

「褒めろ褒めろ! 事実、オレ様は出来る男だからな‼ ……って、誰だコイツ?」


 鼻の頭がつきそうなくらい顔を近づけ、興味津々にミラビリスをのぞき込むカボチャ頭のウィル。そんなウィルの襟首をつかむと、カストールは彼を素早くミラビリスから引き離した。


「彼女はミラビリス。私の半身だよ」


 カストールの言葉に、カボチャ頭の中の青白い炎が大きく揺らめく。


「そっかそっか、やっと見つかったのか~。あ、オレ様は火精霊イグニス・ファトゥスのウィルだ。元々は流れだったんだが、今はカストールの懐中時計を棲み処に専属精霊してんだ。今後ともよろしくな、あねさん!」


 カストールに加え、またもや話を聞かない同行者の出現に、ミラビリスは本日四度目の大きなため息をついた。

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