4.冒涜のフラスコ
「ねえ。あなた一人で、どうやってこの騒動を起こしたの?」
伝わってくる階上の混乱ぶりにほくそ笑んでいたカストールに、ミラビリスはこれでもかと
「いい加減名前を呼んでくれると嬉しいんだけど……ま、気長にいこうか。最初に言ったよね? 私は炎と氷の魔術、そして精密操作を得意としているって」
カストールは右手に小さな
「こんな精密な魔術の使い手、見たことない。それにしても、本当にすごい。まるで
「氷の魔術と精密操作、そしてウィルの誘導。この三つを使って、この階にいた職員たちの中心体温を下げたんだ」
「中心体温を下げたって……低体温症を引き起こしたってこと?」
低体温症――様々な要因があるが、今回カストールが引き起こしたのは、氷魔法を応用した
「派手にやらかすよりも効率的だろう? 突然の事態に、やれ生物災害だ、魔術災害だ、魔法使いの襲来だ! と大騒ぎになってたよ。その混乱に乗じて、この階の牢の鍵も全部壊してやったんだ。で、私も逃げ惑う無力な子供を装って色々と、ね」
「それがあの惨状だったわけね。魔術師たちも出てきていたでしょうに、よくばれなかったわね?」
「もちろん、魔術師は真っ先に狙い撃ちしたよ。私は臆病者だからね」
くつくつと笑うカストールにミラビリスは呆れと諦めの視線を投げ、本日何度目になるかわからないため息をついた。
「一つだけ言っておくけど、私、医療魔術師なの。そんな私の前で、人殺しだけは絶対やめてよ」
「
「約束しなさいよ」
「時と場合によるかな。もしもそいつがミラビリスに危害を加えようとしたら、私はためらわずにやるだろうからね」
昔、ほんの少しの間だけ共に旅をした石人たちから半身への想いというものを聞いたことはあったが、まさかそれが自分に降りかかるとは思ってもいなかったミラビリスは思わず頭を抱える。
「なんで私なのよ。というか、半身ってそんなにすぐにわかるものなの? ちなみに現時点で、私の方はあなたへの好意はないんだけど」
「石人といっても個人差はあるよ。私はすぐにわかったけど、気づくまでに時間がかかるやつもいるし、思い込みから間違えるやつもいる。とはいえ、間違えたやつも本物の半身に出会えば、自分が間違ってたってことに気づくだろうけどね。まだ時間はあるし、これからお互い理解を深めていけばいいんじゃないかな?」
ああ言えばこう言う。へこたれないカストールに、ミラビリスは諦めたように閉口した。二人がそんなお喋りをしている間に石壁は白い壁へと変わり、灯りも白熱灯から蛍光灯へと切り替わっていた。
「きみとの楽しいお喋りの間に、どうやら牢獄の区画からは抜けられたようだね」
「別に楽しくなんてなかったし。それにしても……」
頑丈な鉄格子をいとも簡単に無力化したり、大量の人間を低体温症にしてしまったりと、色々規格外なカストール。今も
「こんなにすごい力を持ってるのに、なんで捕まってたの? これだけの力があれば、そもそも捕まることなんてなさそうだし。それに万が一捕まったとしても、すぐ逃げられたんじゃない?」
ミラビリスの問いかけにカストールの足がぴたりと止まった。
「きみがここにいたから。だから、わざと捕まった。それと……」
振り返ったカストールの、貴石の瞳が青緑色にきらめく。
その不思議な瞳はミラビリスの心をざわめかせて、落ち着かなくさせていく。
「あ……あなたの守護石、さっきまで山葡萄色じゃなかった?」
自分から問いかけたというのに、慌てて話題をそらしてしまったミラビリス。どこか落ち着かない様子のミラビリスに、カストールは悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべた。
「初めて見る? 私の守護石は
「へぇ、初めて見た! 世の中には色々な面白いものがあるのね」
「それにしても……何をそんなに慌ててるの?」
うまく誤魔化せたと思っていたのはミラビリスだけだったようで。カストールはくつくつと笑いながら容赦なくミラビリスとの距離を詰めてきた。眼前に迫るカストールの銀と青緑の瞳に囚われ、ミラビリスはとっさに切り返しの言葉が出てこない。と、その時――
「ついたぞ! ここだ‼」
先導していたウィルが、厳重に閉ざされた鉄の扉の前で振り返った。
「残念、時間切れだ。ま、まだまだ時間はあるしね。ゆっくりいこうか」
ほくそ笑むカストールに、ミラビリスは悔しさで頬を膨らまることしかできなかった。
――もう、なんなの! なんでこんな意地の悪そうなお子様にドギマギしなきゃなんないのよ‼ だいたい私が好きなのは、年上で優しくてものすごくお人好しな人で……
『ミラ』
ひとり
「誰⁉」
「ミラビリス?」
カストールのことなど一瞬で頭から吹き飛び、いてもたってもいられなくなったミラビリス。声の主を探して
「声が……私を呼ぶ声が、聞こえたの」
ミラビリスの言葉に、カストールは何かを思案するように口元に手を当てると黙り込んだ。
『ミラ』
声が聞こえてくるたび、ミラビリスの中にわからない焦りが募っていく。その焼けつくような感情は、容赦なくミラビリスを追い立てていき――
「ほら! また、呼んでる。……誰かが、この中から私を、呼んでる」
ミラビリスは引き寄せられるようにふらふらと扉へと近づき、おもむろに手を伸ばした。途端、首飾りの歯車から薄青の光があふれだし、何もないはずの扉の前に不思議な紋様を
「なに、今の……」
自分が起こした不可思議な現象に戸惑うミラビリス。対し、カストールはしたり顔でうなずく。
「なるほど、アイツが言っていたのはこれのことか。ありがとう、ミラビリス。きみのおかげで、一番厄介なものが片付いた。残りはぶ厚い鉄の扉に魔術結界……だがこんなもの、私には無意味。本気で私を止めたいのであれば、魔術を無効化する
言うが早いか、カストールは戸惑うミラビリスの前で瞬く間に魔術結界を破ると鍵を溶かし始めた。と同時に鳴り響いたのは、耳をつんざくような警告音。
「ちょ、ちょっと! これ、大丈夫なの⁉」
「心配ない。この階への出入口は全部封じておいた。しばらくは誰もここへは来られないし、監視系の魔術も機械も暴動の時に全部壊しておいた」
「むちゃくちゃだわ……あなた、本当にあの厄災のカストールなのね。もう、さっきからわけのわからないことやらなにやらで、頭の整理が追いつかないわ」
頭を抱えるミラビリスに、得意げな笑みを返すカストール。けれど彼はすぐに笑みを消すと、今までになく真剣な面持ちで重い扉に手をかけた。
「ここから先は、おそらく気持ちのいい場所じゃない。ミラビリスはここで待っているという選択肢もあるけど……どうする?」
「行くわよ! ちなみに聞くけど、この部屋ってそんなにひどい場所なの?」
「この研究所の核ともいえる場所、と言えば想像はつくかな? ここは歪められた者たちのゆりかご……かの高名な錬金術師、
「テオフラストゥスって、
揺籃の錬金術師テオフラストゥス。
それはこのファーブラ国で、最も有名な錬金術師。おとぎ話の時代から生きているやら不老不死やら、まことしやかに囁かれる謎多き錬金術師。そして、世界で初めて人造人間を生み出すことに成功したと言われている、伝説の錬金術師。
けれどそんな伝説に驚いたのもつかの間、扉の先に広がっていた光景にミラビリスは更なる衝撃を受ける。
「なに……これ」
部屋の中に並べられていたのは、薄黄色の液体で満たされたいくつもの大きな丸底フラスコや円筒状のガラス管。それらには細いものから太いものまで様々な管が繋げられていて、羽虫の羽ばたきのような機械音が常に発せられていた。
「魔導研究所って、いったい何を……何を研究してる施設なの⁉」
フラスコやガラス管の中で
「表向きは、人々の生活のための魔術や魔道具の研究所。でも、この施設の本当の目的はね……完璧な
ミラビリスは手近な巨大フラスコに近づくと、改めて中を観察してみた。本人たちの虚ろな瞳とは対照的な、
略奪者――今から百年前、この王都コロナに
「略奪者を人工的に作り出すだなんてそんなの……だって、彼らの最期は」
「ああ、胸糞悪い。我らが同胞の瞳を略奪し、その魂を
石人が非業の死を遂げたとき、その貴石の瞳は加護を呪詛へと変え、「呪いの瞳」へ
略奪者とされた者たちは、一様に大きな力を手に入れた。けれど同時に、寝ても覚めても止むことのない
ただし、中にはそれに耐えうる
呪いの瞳は、異物である宿主を拒絶する。瞳は異物を排除するため、大気中の
カストールによる略奪者の説明を聞きながら、目の前のフラスコをまじまじと観察するミラビリス。そこにいたのは
「この子、両目とも貴石の瞳なんだけど⁉」
「かなり質が悪いようだが……これは、
両目が貴石の少女は、人間というよりは人形のようだった。ミラビリスはなんとも言い難いいたたまれなさに襲われ、少女からそっと目をそらす。するとそのそらした先、フラスコを支える台座に名札らしきものが貼られているのが目に入った。
「型式HLY013、納品先アワリティア商会本店。…………型式?」
「型式、ね。私も本の中でしか見たことなかったけど……このフラスコといい、おそらくこの子は
最初に作られたのが人間型だったというだけで、素体さえ用意すれば他の種族でも作ることができると言われている。過去には数が少なくなった人間の労働力の代わりとして、様々なホムンクルスが生み出されていたという記録が残っていた。しかし肝心の製法はなぜか失われており、現在では世界で唯一、テオフラストゥスのみが作ることができると言われている。
「
「ああ。もう、手遅れだな」
半石人の白い少女の手足はすでに大部分が赤橙色の貴石となっていて、その最期が近いことを示していた。
「ガラス管の方は略奪者、フラスコの方は
「なんのために……」
「実験のための材料確保か、資金調達のための商品か。まあ、真実はテオフラストゥスのみぞ知る、だな」
ずらりと並んだフラスコに揺蕩うのは、すべて石人の
そしてたどり着いた最奥、そこにあったのは円筒状のガラス管で、それだけは
――ハイドランジア――
ガラス管の中に納められていたのは真っ黒に炭化した、性別さえ定かではない、かつて人だったであろうもの。もはや生前の面影など一切残していないそれは、石人なのか人間なのかさえ判別できなかった。
「ハイドランジア? この子は型式じゃなくて、名前?」
「ハイドランジア……始まりの石人?」
カストールはつぶやくとそのまま手を伸ばし、ハイドランジアの納められているガラス管に触れた。瞬間、二人に襲い掛かったのは強烈な浮遊感と
「え⁉ ちょっ、カストール! 姐さんも‼」
慌てふためくウィルの呼びかけを最後に、二人は言葉を発する間もなく意識を失った。
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