2.はざまの少女

「ここ……どこ?」


 琥珀こはく色の瞳をしょぼつかせ、しつこい眠気を払うようにふわふわとした胡桃くるみ色のくせ毛を揺らし、ゆっくりと身を起こしたのは小柄な少女。立ち襟スタンドカラーの白衣に包まれたその姿は、まるでお医者さんごっこをしている子供のよう。

 冷たい石壁、個人の尊厳などなんら考慮されていない鉄格子の扉――どう見てもここは牢獄で。少女はなぜ自分がここにいるのか、とんと見当がつかなかった。こみ上げてくる不安に大きな瞳が揺れる。


「ここは王立魔導研究所。きみは実験材料として捕まったんだ」


 なんの気なしにこぼしたつぶやき、まさかそれに答えが返ってくるとは思っていなかった少女の肩が小さく跳ねる。警戒し黙り込む少女に構わず、隣の部屋からお喋りを続けるのは――


「ああ、失礼。私はカストール。カストール・ウラル・クリソベリル。極夜国ノクスから来た石人だよ。気軽にトールって呼んでくれると嬉しい」


 こんな状況だというのに、声の主――カストール――は朗らかに自己紹介を始めた。そのあまりの緊張感のなさに呆れる少女に、カストールはやはり変わらぬ調子で、「きみの名前は?」と楽し気にたずねた。


「あなたは……ここの人じゃ、ないの?」

「安心してくれ。きみと同じ虜囚りょしゅうの身だ」


 自信満々のカストールの答えに、少女から思わずといった笑いがもれる。


「私はミラビリス。……それと、あとで文句言われるの面倒だから先に言っておくね。私は亜人あじん。魔法使いと人間の間に生まれた、亜人なの」



 ※ ※ ※ ※



 ミラビリスには、両親の記憶というものがほとんどなかった。彼女がかろうじて覚えていたのは、母は魔法使いだということ。そして首から下げられた細い鎖につけられた小さな歯車、これをくれたのは母だったということ。

 彼女は捨てられた。二歳の誕生日、母に連れられ来ていたカエルラの町で。


 それからは散々だった。

 行く当てのないミラビリスは当然孤児院行き。けれどそこは、彼女にとって決して居心地がよいと言える場所ではなかった。


 母が魔法使いだと主張したミラビリスは嘘つき呼ばわりの上、亜人として人間たちの群れからはじかれてしまった。けれど、それでもミラビリスは運がいい方だった。

 彼女が身を寄せた孤児院の院長は種族等分けへだてなく扱う人格者で、彼のお陰でミラビリスは人間たちから遠巻きにされるくらいの扱いで済んだ。そんな場所で三年ほど過ごした後、ミラビリスはカエルラに屋敷を構える貿易商の夫婦に引き取られることになった。

 額のほくろが印象的なお人好し院長は、ミラビリスが引き取られていく時もずっと、「幸せになってください」と涙ぐんでいた。そんな彼がいたからこそ、ミラビリスは「人間だから」という偏った考えを持たないでいられた。


 引き取られてから五年――ミラビリスが十歳の冬、それは起きた。

 院長の願い虚しく、彼女の新しい家での立ち位置はとても幸せといえるものではなかった。無給で使える使用人。それが、ミラビリスに新しく与えられた役割だった。

 一日中こき使われ金も与えられず外出も許されず、実質軟禁状態の毎日。そんなある日、それまでミラビリスを散々こき使っていた養父母が、なぜか突然彼女を娘扱いし始めた。粗末だった食事は豪勢なものへと変わり、入浴には香りのよい石鹸をふんだんに使えるようになり、さらには個室まで与えられ……

 まるで人が変わったかのような養父母の豹変ひょうへんぶりに、ミラビリスの胸を占めたのは喜びではなく困惑と不安。いくら幼い少女とはいえ、この扱いの変わりようには裏があるとしか思えなかった。

 その予感は見事的中し、その日の夜、ミラビリスは自分が物好きな金持ちに売られるのだということを知った。


 衣食住の保証を取るか、金にならない尊厳をとるか……

 ミラビリスは、自分がなんの力も持たない子供だということは自覚していた。衝動的にここから飛び出したところで、一人では生きていけない。それがわかっていたから今の今まで、最低限の衣食住が保証されているここから逃げ出すことをしなかった。

 孤児院に逃げ戻る、という選択肢もあるにはあったが、ミラビリスはそれを選ばなかった。いや、選べなかった。幸せを願って送り出してくれた優しい院長にこんな姿を見せてしまえば、彼は間違いなく自分を責める。それがわかっていたから、これ以上彼の負担になりたくなかったから、だからミラビリスは大人になるまではと我慢していた。

 けれどもう、今のミラビリスに迷いはなかった。その盗み聞きした話の中で、院長がすでにこの世にはいないということも知ってしまったから。カエルラへの未練が一切なくなくなった今、彼女は賭けに出ることにした。

 いざというとき金になりそうで、かつかさばらない装身具をいくつかかばんに詰め込み、質素な服に着替えると、家人の隙をついて家を飛び出した。


 引き取られてから、一度も町に出たことがなかったミラビリス。だから彼女の中でこの町の記憶は、孤児院にいた五歳の頃で止まっている。

 それでも、かつて院長が地図を見せながら教えてくれた記憶を頼りに、ミラビリスは町はずれを目指した。港とは別の町の玄関口、行商人たちが出入りするおかの玄関口――馬車の発着場を。


 本来ならば、そんなところに子供が一人で行ったところでどうにもならなかっただろう。けれどたまたま、本当にいくつかの偶然が重なり、ミラビリスはとある隊商の馬車に紛れ込むことができてしまった。


 虎目石タイガーズアイ商会。


 五十年前に霧に閉ざされた石人たちの住まう夜の国――極夜国ノクス。その極夜国と外を繋ぐ唯一の窓口、その虎目石商会の隊商に。


「なんで人間の子供が⁉」


 商品にまぎれるようにして眠っていたミラビリスを見つけたのは、紫水晶アメシストの瞳を持つウィオラーケウスという若者だった。


「ティグリスさーん、商品の中に人間の子供が入ってるんですけど! とうとう人身売買まで始めたんですか?」

「はぁ? そんなめんどくさい商品もん、うちで取り扱うわけないでしょ」


 ウィオラーケウスの呼びかけで現れたのは、虎目石タイガーズアイの瞳を持つどことなく軽薄そうな若者。呆れ顔で幌馬車ほろばしゃの中を覗き込み、商品の中で熟睡するミラビリスを見つけて眉をひそめた。


「ウィラー……この子、ただの人間じゃないよ。人間にしては、魔力の保有量が規格外だ」

「じゃあ石人? いや、もしかして亜人?」

「今は眠ってるからパッと見わからないけど、たぶん石人じゃないと思うよ。何の亜人かはわからないけど、どうやらワケアリっぽいねぇ」


 眠るミラビリスを見つめ困り果てる男二人。けれど、彼らは石人。もとが気楽な性質の妖精族。


「とりあえずさ、起きたらどうしたいか本人に聞いてみよう。で、面倒そうだったら次の町で捨ててこう」

「うわぁ、ティグリスさんひどい。こんな小さい子、一人じゃ生きていけないですよ」

「じゃあ、きみが養ってあげればいいじゃん。僕はやだよ」

「私だってやですよ。半身なら喜んで尽くしますけど、見ず知らずの子供を外の世界で寿命削ってまで育てるほどお人好しじゃないです」


 二人の遠慮ない音量の話し声で、眠るミラビリスの眉間にしわが寄った。


「亜人って人間に差別されてるんですよね、確か。この子、逃げ出してきたのかな?」

「さあね。それにしても人間ってさ、自分たち以外には本当に容赦ないよねぇ。ま、そのおかげで虎目石商会うちが独占的に商売出来てるんだから、ありがたいっちゃありがたいけどね」

「人間かぁ……そういや連絡ないけど、兄さん元気かなぁ」

「どうせ次はアルブスに行くんだし、その時確かめれば? いいよねぇ、半身が見つかったヤツは」


 二人の話題がずれてきたところで、ようやくミラビリスが目を覚ます。目の前でおしゃべりをしている石人を見た彼女はとっさにかばんに手を突っ込むと、持ち出してきた装身具をいくつかつかみ取った。


「お金はもってないけど、これあげるから! だから私も連れてって‼」


 いきなり跳ね起きたかと思えば両手に装身具を握りしめ、必死に連れて行けと叫ぶ少女。これにはさすがののんきな石人たちも目を丸くした。

 けれど、少女の手に握られた装身具金目の物を見た瞬間、ティグリスの目の色が変わった。彼は営業用の笑顔でそれを受け取ると、いそいそと品質を確かめ始める。


「うーん、子供が持っていたにしてはまぁまぁ、かな。石の品質はいまいちだけど、金の部分はちゃんとしてるみたいだし…………」


 装身具をポケットにしまうと、ティグリスはミラビリスににっこりと笑いかけた。


「商談成立だね。ただし、きみを連れていけるのは次に立ち寄るアルブスまで。僕たちはそこから極夜国に帰るからね」

「ありがとう! ここから出ていけるなら、どこでもいい」


 先ほどまでは本人の意思を尊重するようなことを言っていたというのに、金目のものを出された途端ちゃっかりと受け取ったティグリスにウィオラーケウスが呆れを込めた視線を投げる。


「安心してくれていいよ。アルブスまでのきみの面倒は、このウィオラーケウスが見てくれるから」

「え、私⁉」

「よろしくお願いします」


 こうしてミラビリスは運よくカエルラから逃げ出し、アルブスへと流れついた。


「これが私にできる、きみへの最後のお世話だよ」


 商売のために動き出したティグリスたちと別れ、ウィオラーケウスはミラビリスを連れて歩き出した。大通りから細い路地へと入り、下町を抜けてたどり着いたのは工房らしき一軒家。ウィオラーケウスは勝手知ったる様子で扉に取り付けられているドアノッカーを叩くと主を呼ぶ。


「トート、いるかい? 私だ、虎目石商会のウィオラーケウスだ」


 しばらくすると扉が開き、中から寝ぼけまなこの石人が顔を出した。


「えーと、今回は特に頼んでいたものはなかったよね? 用もなしに訪ねて来るなんて珍しいね、ウィラー」

「用があるから訪ねてきたんだよ。というわけで、後はよろしく」


 まったく説明もせず、ウィオラーケウスはミラビリスの背中を押すとトートへと押し出した。


「え⁉ いや、いきなり何……というか、この子誰ですか?」

「ウィオラーケウスさん⁉」


 目を白黒させる二人に笑顔を向けると、ウィオラーケウスは「達者でね」とだけ言い残し帰っていってしまった。取り残された二人は呆然とその背中を見送ったあと、戸惑いながらお互いを見る。


「えーと……こんにち、は? 私はトート。トート・アタランテスといいます」

「私は……ミラビリス、です」


 互いにぎこちない自己紹介を済ませたあと、トートはミラビリスを家の中へと招き入れた。そして少女から改めて事情を聞くと、頭を抱え大きなため息を吐き出す。しかしすぐに顔を上げると、トートはミラビリスに優しく微笑んだ。


「ずいぶんと辛い思いをされてきたんですね。……わかりました! これも何かの縁なのでしょう。せっかく出会えた同胞、同じ亜人として見捨てることはできません。今日から私と一緒に暮らしましょう!」

「ええ⁉ トートさん、それはいくらなんでも――」

「だめですよ、せっかく巡ってきた機会チャンスはつかみ取りなさい。あなたはまだ子供で、今は力が足りてないのですから。遠慮などせず、人の厚意にはどんどんつけこみなさい。あ、でも中には悪意もありますから、見極める知恵もつけないとダメですよ」


 笑いながら自分につけこめと言うトート。そんなあり得ないほどお人好しな彼に、ミラビリスの目の奥が熱くなる。少女はあふれそうになるものをこらえ、頭を下げた。


「お世話に、なります!」

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