藍玉番外編 雨の歌声 後編
公開日当日――
海のど真ん中、その海上に設営されたのは劇場船。とはいえそれは座席もない、本当に舞台設備だけの簡素なものだった。
この歌劇のためにマーレは曲を作り、リーリウムはマルガリートゥムで宣伝し、パーウォーは大道具一式を用意し、マレフィキウムは舞台効果全般を請け負った。
演目は「石人と人魚姫」
それは、マーレとリーリウムの物語だった。だから当然、主演はマーレとリーリウムのふたり。その他の足りない人員は、パーウォーやマレフィキウムの使い魔たちで補った。
夜のとばりがあたりを包み込み、月の光が波間でころころと踊り始めた
「うーん、あんまり人……っていうか、人魚たち来てないねぇ」
「仕方ないわ。マーレちゃんはまだ彼らに認められてないし、しかも会場は海の上だもの」
舞台裏から海を覗き見るは魔法使い二人。
「でも、心配ないわ」
「なんでそんなこと言えるのさ?」
「だって、彼らは人魚だもの」
パーウォーの答えに首をかしげるマレフィキウム。彼も半分とはいえ人魚。けれど、パーウォーの自信の理由はさっぱりわからなかった。
「完全な人魚じゃないと理解できないってこと? 僕みたいな半分の人魚じゃだめなのかぁ」
「バカね。アンタの場合は、種族
「えー、なんかひどくない? 僕のどこが趣味悪いって言うんだよ」
「ワタシの歌を子守歌にしてたんだから、相当に趣味悪いと思うわよ。自分で言うのもなんだけど、アンタ、よくアレで寝られたわね」
「うーん、なんでだろうねぇ? でも僕、なぜかパーウォーの歌だけは好きなんだよねぇ」
へらりと笑ったマレフィキウムの言葉にパーウォーは言葉を失う。しばらくぽかんとしていたパーウォーだったが、我に返ると「やっぱり趣味悪いわよ、アンタ」と苦笑いした。
「バカねぇ、レフィは。いーい? アンタの母さんはワタシなんかとは比べ物にならないくらいきれいな声で、本当に素敵な歌を歌っていたのよ」
「それは何回も聞いたよ。でも僕が好きなのはパーウォーの歌なんだから、仕方ないでしょ?」
再び放たれた殺し文句に、今度こそパーウォーは絶句した。濃い化粧に隠れてはいるものの、頬は普段よりも赤くなっており、心なしか瞳も潤んでいる。彼は逃げるように慌てて舞台裏へ引っ込むと、マレフィキウムに背を向けてしゃがみこんだ。その心に浮かぶのは、幼いころの自分とエスコルチア。
「ねぇねぇ、始まったよ! って、パーウォーってば何してんの?」
「あ、アンタねぇ……! わかってるわよ‼」
月明かりの下、マーレの奏でる
「この歌は半身を求め故郷を旅立った石人たちを歌ったもので、『
マーレから聞こえてくるのは、かつての彼の声とほのかに似た少女の声。
声の出せないマーレの代わりに台詞を喋っているのは、今ここにはいない、パエオーニアという、マレフィキウムと共に暮らしている
「そろそろ、かしら。……見てなさい、レフィ。すぐにわかるから」
パーウォーの言葉通り、変化はすぐに訪れた。ふたりの歌と音色に引き寄せられるように、波間からひとり、ふたりと人魚が姿を現し始めた。
「なんで? だって、あれだけあの子が宣伝しても、みんな全然興味なさそうだったのに」
「人魚だから、よ。彼らを説得したいのなら、言葉じゃなくて歌ったり奏でたりした方が早いの。歌が本能に組み込まれている種族、歌の形をした災厄だもの」
「ふーん、僕は特に魅力を感じないけどなぁ。これが世間一般で言う、きれいっていう歌なのかぁ」
マレフィキウムの発言に再度頭を抱えるパーウォー。
エスコルチアの血をひいていながらのこの発言。これは半身たるもう一方の彼のせいなのか、マレフィキウムが元々生まれ持ってしまった性質なのか、はたまた育てたパーウォーのせいなのか……。
嬉しいような悲しいような、なんとも言い難い気分にパーウォーの笑顔が引きつる。
そんなやり取りやあれこれの中、劇はとうとうヘムロックとの決戦の場面にまで進んでいた。
「なぜ……なぜ、おまえが名を呼ばれるですよぅ! こんなにも愛しているのに、私はいまだ彼女の名すら知らないのに……なぜ、なぜなぜなぜなぜなぜ、なぜだ、ですよぅ‼」
いまいち緊張感がないヘムロック役のカーバンクルの台詞。だが普段演劇など見ない、ましてや歌と曲に夢中になっている今の人魚たちには、そんなものは気にならないらしい。
おかげで劇は順調に進んでいき――
「リーリウム、僕の半身。どうかずっと……死がふたりを分かつまで、一緒にいさせてください」
「マーレ、私の半身。いいわ……死がふたりを分かつまで、ずっとずっと、私を
最後の曲の演奏も終わり、マーレとリーリウムの物語は無事幕を下ろした。
気が付けば波間にはたくさんの人魚たちが顔を出しており、彼らはこぞってマーレたちに拍手喝采を送っていた。
※ ※ ※ ※
「まさかパーウォーさんが人魚だったなんて……あ、今はそれはいいや。で、その劇でマーレさんは人魚たちに認められたの?」
ヘルメスの問いに、パーウォーは笑顔でうなずいた。
「ええ、ばっちりよ。確かにマーレちゃんは歌えなかったけど、
「よかった! マーレさんも、リリィさんも」
「ねえ……マーレさんたちって、今も元気にしてるの?」
再びのヘルメスの問い。それに、今度は一瞬だけパーウォーの笑顔が寂しげに陰る。
「残念だけど……」
そして窓の向こう、いつの間にか降り出していた雨を眺めながら、パーウォーは言葉を続けた。
「五年前の今日……彼らはふたりで、輪廻の輪の中に戻っていったわ」
その言葉でヘルメスは納得した。今日、どこかパーウォーの様子がおかしかったのはそのせいだったのだと。
「やだ、そんな顔しないでよふたりとも」
一気にしょぼくれてしまった少年と少女の姿を見て、パーウォーは全てを隠し通せなかった己の迂闊さに心の中で苦笑いする。
「ほら、そんな悲しそうな顔しないでちょうだい。確かにマーレちゃんたちともう会えないのは悲しいし寂しいわよ。さっきもそんな感傷に浸ってたのは事実だけど。でもね……」
そこで言葉を区切ると、パーウォーは今度こそ正真正銘の穏やかな笑みを浮かべた。
「彼らは、ちゃんと残してくれたもの」
「残した?」
「そ、残してくれたの。いわゆる、愛の結晶ってやつを」
「それって……」
ヘルメスの言葉にパーウォーがうなずく。
「ルークス、っていうの。
そう、マーレとリーリウムは生きた。次へとつなぐ小さな種もきっちり残し、最後は笑顔でその生を全うした。
パーウォーは彼らの幸せな最期を思い出し、そしてヘルメスとリコリスをみると満面の笑みを浮かべた。
「ヘルメスちゃんとリコリスちゃんも、マーレちゃんやリリィみたいに幸せになってちょうだいね! そしていつか、ワタシにかわいい子供の姿を見せてくれるのを待ってるから」
パーウォーの言葉にヘルメスの顔が一瞬で真っ赤に染まる。つられたように隣のリコリスの頬も赤くなり、そんな微笑ましいふたりの姿にパーウォーの口元は一気にゆるんだ。
「もー、ふたりともホントかわいいんだから!」
パーウォーはふっきれたように破顔すると、そのままの勢いでふたりを存分に抱きしめた。
「ちょっ、突然なんだよ! 痛い、痛いから‼」
「パーウォーさん、力、強い」
腕の中の愛おしい温もりたち。いつか消えてしまうのはわかっているけれど、それでも愛さずにはいられない者たち。パーウォーはもがくふたりをさらに強く抱きしめる。
――泡になって消えるのも悪くはないけど。
「ふたりとも、楽しみにしてるわよ! あ、子供の服は任せてちょうだいね。ワタシがとびきりかわいいのを選んでア・ゲ・ル」
――ワタシの人生はまだまだ長そうだし。
「気が早い! 僕とリコリスはまだそんな……だって、……スだって…………」
「私、ほしい! ヘルメスとだったら、子供、ほしい」
――もう少しだけ、期待してみようかしら
パーウォーは思いを
「あー、早く会いたいわぁ」
「だから! 気が早い‼」
「パーウォーさんが選んでくれる服、きっと、かわいい」
――今日だけは、涙は空にお任せしちゃおうかしらね
彼の雨が止むのは、あともう少し先のお話…………
☆ ★ ☆ ★
To be continued……
外伝3 琅玕翡翠の章 ~ジェダイト~
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