蒸着水晶番外編 初めての喧嘩 4

 互いの温もりを分け合うふたりの間を、静かな時間が流れる。そんな優しい静寂を打ち破ったのは、かすかに震えるリコリスの声だった。


「もし……もしも、ね。ヘルメスが大人になれなくても……わたしは一緒にいたい、よ。ヘルメスだから、一緒に、いたい。ヘルメスが、いい。ヘルメスじゃなきゃ、やだ」


 絞り出されるその言葉に、ヘルメスは伏せていた顔をはっと上げた。瞬間、ふたりの視線が交わる。


「僕も……僕も、リコリスと一緒にいたい。大人になれなくても、ずっと一緒にいたい。リコリスがいい。ううん、リコリスじゃなきゃダメなんだ」


 鼻と鼻がついてしまいそうなくらいの近い距離、互いの目に映るのは自分のものではない濡れた瞳。いつの間にか暗くなっていた部屋の中、月明かりにゆらりゆらりと揺れる互いの瞳から目が離せなくなり……

 引き寄せられるように、ふたりの顔が近づいて――――


「できたよー! いやぁ、さすが私。日の出までなんて余裕だったね」

「あ、このバカ! なに勝手に入ってんのよ‼」


 勢いよく開けられた扉の向こうから意気揚々と入ってきたのはサンディークス。そしてそのすぐ後ろから慌ただしくパーウォーが入ってきた。

 騒がしい魔法使いたちの突然の乱入にヘルメスとリコリスが固まる。


「あれ? 二人ともなんでそんなにくっついてるの? ……あ、わかった! さてはこれから生殖行為に及ぼうとし――」


 配慮などかけらもないサンディークスの発言を、パーウォーの鉄拳が力ずくで止めた。


「このバカイモリ! アンタ、ほんっとーに最低よね。ちょっとは人の機微ってもんを学びなさいよ」

「でもさぁ、今は両方ともメスなんだから、生殖行為に及んでも無駄だっ――」


 再びパーウォーの鉄拳が降り降ろされ、サンディークスの口は物理的に閉ざされた。ぽかんとしていたふたりだったが、サンディークスの言ったことの意味を理解した瞬間、真っ赤な顔ではじかれたように距離を取る。


「はい。これ飲めばもとに戻るよ」


 空気も機微も読まないサンディークスは、何事もなかったかのようにヘルメスに透明の液体が入った小瓶を渡した。それを真っ赤な顔で受け取ったヘルメスは、照れ隠しかやけくそか、一気にあおった。

 そしてそのまま、ソファの背にぐったりと背を預ける。しばらくするとだるそうに、それでもなんとか顔を上げた。


「あー、あー……声、戻った?」


 ヘルメスは声が戻ったことを確認すると、今度は自分の体をあちこちペタペタと触り確かめる。


「戻った……戻ったよ! 男に戻れたーーー‼」


 両の拳を天へと突きあげ、感極まり、喜びの雄たけびをあげるヘルメス。リコリスはそんなヘルメスのもとへと嬉しそうに駆け寄った。


「当然だろ。朱の魔法使いの特製薬なんだから」

「なに胸張ってんのよ。そもそもアンタが引き起こした騒動でしょうが」


 きゃっきゃと無邪気に喜び合うふたりの横で、パーウォーがサンディークスにダメ出しをする。しかしサンディークスは相変わらずまったく気にした様子などなく、何を考えているのかわからない顔をしていた。


「ヘルメスはね、やっぱり男の子、だよ。腕も胸も、わたしと違う。硬い。それに背だって、わたしより高い。あとね、男の子のヘルメスと一緒にいると、ドキドキするよ。ヘルメスは、かっこいい、よ」


 不意打ちのリコリスの告白に、ヘルメスの顔が再び真っ赤に染まった。


「あの子、なんか色変わったよ。……あ、わかった! 婚姻色こんいんしょくでしょ、あ――」

「アンタは黙ってなさい!」


 三度みたびの鉄拳制裁によりサンディークスを黙らせるパーウォー。けれど、そんな外野のやりとりなどもはやヘルメスの耳には入っておらず、すっかりとリコリスとふたりだけの世界を作り上げていた。


「ありがとう。ゆっくりだけど、いつか必ず大人の男になって、リコリスの隣に立ってみせるよ。だからそれまで……待っててくれる?」

「待ってる、違う、よ。わたしも一緒。ヘルメスと一緒に、大人になる。大丈夫。一緒に大人、なろ?」

「そうだね……ゆっくり、一緒に大人になろう」


 微笑ましい二人のやり取りに頬を緩めるパーウォーを見て、サンディークスは不思議そうに首をかしげる。


「ねえ、パーウォー。石人や半石人が人間より成長が遅いのって、当たり前だよね。なのにあの子、なんでそんなこと気にしてるの?」

「だから色々あんのよ。それよりアンタ! 今度こそ人型の雌雄の見分け方、みっちり仕込ませてもらうわよ」

「え⁉ いいよ、別に私は困ってないから」

「だから、ワタシたちが困るのよ! 明日からワタシが直々にみっちり教えてア・ゲ・ル」



 喧騒あふれる雑多な港町カエルラの夜はふけて……

 煌々こうこうと輝く満月の下、潮風に乗った人魚たちの優しい子守歌が町を包み込んでいた。



☆ ★ ☆ ★



ヘルメスがコスプレさせられてからずっと、精霊たちの宿った装飾品一式は応接室のテーブルの上に保管されていました。



シルフ「あーあ、あともうちょっとで初めてのちゅーだったのにね~」

ザラマンデル「ねー。もう、空気読んでほしいよね、あのイモリ」

ウンディーネ「シルフ、ザラマンデル……覗き見なんて趣味が悪いわよ」

シルフ「またまた~。ウンディーネだってばっちり聞き耳たててたくせに~」

ザラマンデル「そうだそうだー! 一人だけいい子ぶるなんてずるいぞー」

ウンディーネ「違っ、そ、そんなわけないでしょ! 私は……そう、周囲の警戒をしていたのよ」

シルフ「ウンディーネのむっつりすけべ~」

ザラマンデル「むっつりむっつり~」

ウンディーネ「ちょっ、やめてよ! あ、こら! 待ちなさい、二人ともーーー」


テーブルの上で三人の追いかけっこが始まる。


グノーム「やれやれ……若者は元気でエエのう」

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