蒸着水晶番外編 初めての喧嘩 3

「ヘルメスちゃん……と、げっ‼ サンディ⁉」


 パーウォーはうずくまるヘルメスを見て眉を曇らせ、次にその隣に立っていたサンディークスを見て盛大に顔をひきつらせた。


「ああ、パーウォーじゃないか。えーと……百年ぶり、くらい?」

「直接顔をあわせたのは百五十年ぶりかしらね。って、アンタ! そんなことより、ヘルメスちゃんに何したのよ‼」

「涙もらっちゃったから、その対価を払っただけだよ。男になりたいって言うから、性転換の薬あげたんだ」


 のほほんと答えたサンディークスに思わず絶句するパーウォー。そして次の瞬間、「このおバカイモリーーーー」という叫びが路地裏に響き渡った。


「バカバカ、サンディークスのおバカ! アンタのそのおっきな目は、いったい何を見てるのよ‼ ほんっとーにいつまでたっても人間の雌雄見分けらんないわよね、アンタ。いい? この子は男の子、れっきとした男なの!」


 パーウォーの言葉に、サンディークスは納得いかないという顔で首をかしげた。


「でもその服って、メスが着るやつじゃないの? あれ? そうすると、パーウォーもメス?」

「ワタシも男! だから服だけで見分けるのやめなさいって言ってるでしょ。アンタと違って、人の社会には色々あんのよ」

「人間とか石人とか、人型の種族は難しいなぁ……まぁいいか。別に私は困らないし」

「ワタシたちが困んのよ! それにアンタも獣人で、人型の種族でしょうが‼」


 パーウォーはこれ以上サンディークスとかみ合わないやり取りをしても無駄だと悟り、うずくまるヘルメスの隣にしゃがみ込んだ。


「ヘルメスちゃん、気分悪いの? 大丈夫?」

「ん……大丈夫。って、あれ? パーウォーさん、なんでここに?」


 顔を上げたヘルメスを見た瞬間、パーウォーはさりげなく立ち去ろうとしていたサンディークスのローブを掴んだ。


「サンディークス……わかってるわよね?」

「えー、やっぱりだめ?」

「引き起こしたことの責任はきちんと取りなさい。そもそもこの契約、最初から等価交換成り立ってないんだから」

「あー、やっぱり? そうだよねぇ。そもそも私が欲しかったのは、石人のメスの涙だったんだよなぁ……。そっかぁ、この子、オスだったんだ」

「あと言っとくけどこの子、半石人ハーフよ。ほんとアンタ、そういうとこはポンコツよね」


 二人の魔法使いの間で、半分寝ぼけたようなヘルメスが一人眉をひそめ首をかしげる。


「ねぇ、なんかさっきから僕の声、変じゃない? 確かにもともと低いとは言えなかったけどさ、なんか妙に高いような変な感じがするんだけど。それとも、耳の方がおかしいのかな?」


 怪訝そうに立ち上がり、服についた埃を払っていたヘルメスの動きが突然ぴたりと止まった。そして恐る恐る自分の胸元に手を当て、次にあるべきものがあるはずの場所へと手を伸ばす……


「なんかある! そんでもってこっちはない‼ え、なんで⁉」


 顔面蒼白でパーウォーを見上げたヘルメス。その絶望の表情に、パーウォーは思わず同情の眼差しを返してしまった。


「ヘルメスちゃん、よく聞いて。あなた……女の子になっちゃったの」

「いや、だって、僕は男らしくなりたいって……これ飲んだら、そういう男になれるって…………なんで?」

「いやぁ、ごめんごめん。てっきりメスがオスになりたいって言ってるのかと思ってさ。性転換の薬、渡しちゃった」


 呆然と立ち尽くすヘルメスに、サンディークスがまるで反省の感じられない軽い謝罪をした。するとサンディークスの脳天に、お仕置きとばかりにパーウォーのごつい拳骨が落とされた。


「ちゃんと反省なさい、このおバカ! 中和薬作って持ってこなかったら……その時は、わかってるんでしょうね?」


 バキバキと指を鳴らしながら、座り込んでいるサンディークスを笑顔で見下ろすパーウォー。けれどサンディークスはそんなパーウォーにも特に動じることなく、頭をさすりながら面倒そうに返事をした。


「わかったよ。えーと、その薬の効果が完全に定着するのは明日の日の出だから、それまでにはなんとかするよ。それでいい?」

「当然でしょ。いい? 必ずよ」


 パーウォーに念を押され魔法使いの誓いをたてると、サンディークスはふらふらと大通りの方へ消えていった。


「パーウォーさん……僕、どうなっちゃうのかな? もしこのままずっと女の子のままだったら……僕、リコリスと一緒にいられなくなっちゃうのかな」

「そんなわけないでしょ。大丈夫、アイツだってちゃんと誓いをたててったじゃない。それにね、あんなんでもアイツ、調薬に関しては凄腕なのよ。あと、嘘はつかない……反省も学習もしないけど」


 結局サンディークスが中和剤を持ってくるまではどうすることもできないので、パーウォーは落ち込むヘルメスをマラカイトに連れて戻った。


「ヘルメス! ごめんなさい、わたし……」


 店の入り口で待っていたリコリスがヘルメスの姿を認めた途端飛び出してきた。けれど、ヘルメスはさっとパーウォーの後ろに隠れてしまった。


「ごめん、ごめんな……さい」


 謝罪も受け入れてもらえず、目も合わせてもらえない。今まで喧嘩らしい喧嘩をしたことがなかったリコリスは、こんな状態のヘルメスに何を言えば、どうしたら許してもらえるのかわからなかった。

 泣いたらヘルメスを困らせてしまう、そう思って我慢しようとうつむき歯を食いしばる。けれど、そんな些細な抵抗ではあふれだす涙を止めることなどできるはずもなく……


「ごめん、違うんだ。お願い、泣かないで。リコリスが泣くと、僕も悲しい。でもね、今は……今だけは、僕を見ないで、ほしい。こんな姿、リコリスだけには見られたくない」


 ヘルメスの言葉の意味が分からず、リコリスは途方に暮れてしまう。そしていつもと違う妙に高いヘルメスの声、それがリコリスの胸を不安でざわつかせていた。

 どうすればいいかわからず、リコリスはすがるようにパーウォーを見上げた。けれど返ってきたのは、「とりあえず中に入りましょ」という言葉と、困ったかのような微笑み。


 先ほどの応接室で、リコリスは大体の事情をパーウォーから聞かされた。ヘルメスは相変わらず姿を見せるのを嫌がり、パーウォーの座っているソファの後ろに隠れてしまっている。


「ヘルメス、ごめんなさい。わたしが、かわいいなんて言ったから」

「ううん、リコリスは悪くないよ。僕の方こそ、ごめん。僕、パーウォーさんやオルロフさんみたいに男っぽくないからさ……ちょっと、焦っちゃったんだ」


 ヘルメスの言葉に、リコリスは不思議そうに瞳を瞬かせる。そんな二人のやりとりにパーウォーは微笑を浮かべると、ぱちんと指をひとつ鳴らしてその場から消えた。

 突然消えたパーウォーに一瞬だけ驚いたリコリスだったが、すぐに意識をヘルメスの方に戻す。


「なんで? ヘルメスは、ヘルメス。パーウォーさんと、違う。オルロフさんとも、違う」


 リコリスには、ヘルメスの気にしていることがやっぱり理解できなかった。そんなリコリスにヘルメスは力なく笑う。


「……うん、わかってる。僕もね、リコリスに会うまではそんなこと、気にしたことなかったんだ。でもね、リコリスに会って、僕は初めて思ったんだ。大人に、なりたいって」

「ヘルメス、大人になれない、の?」

「うーん……正直わかんない、かな。僕ね、十四でトートのこの目をもらってから、あまり成長してないんだ。背だって少ししか伸びてないし、筋肉も全然つかない。かろうじて声は少し低くなったけど、同じ年の子たちと比べると、明らかに子供のままなんだ」


 ヘルメスは頼りない自分のひざに顔を埋め、ずっと不安に思っていたことを初めて吐き出した。

 人間だったらとっくに大人の体になっているはずなのに、いまだ子供に近い自分の体。今までは考えないようにしていたそのことに、ヘルメスは今、初めて恐怖を覚えていた。


「わたしも、ずっとこのまま、だよ。九十年で、ここまで。わたしは石人の血、入ってるから。パーウォーさんが、前に言った。だから、ヘルメスも同じ。きっとゆっくり、大人になる」

「そう、なのかなぁ。僕、本当に大人になれるのかなぁ……」


 リコリスはソファから立ち上がると、向かいのソファの後ろでひざを抱えるヘルメスの隣に腰を下ろした。その気配にヘルメスの肩がぴくりと反応する。

 リコリスはそんなヘルメスの肩にあえて頭を乗せると、ゆっくりと目を閉じた。

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