蒸着水晶番外編 初めての喧嘩 2
やはりというか、ヘルメスたちが案内されたのはあの部屋だった。
かつてヘルメスがひどい目にあった――女装させられた――部屋だった。そしてパーウォーからのお願いというのはこれまた例にもれず、マラカイトの新作の試着だった。
「やーん、ふたりともかわいい! こんなかわいい
死んだ魚のような目で遠くを見るヘルメスと、くるくるとその場で回ってはしゃぐリコリス。そんな対照的なふたりが着せられているのは、くるぶしまである黒のワンピースに、肩口や裾をフリルで飾った白いエプロン。いわゆる
「どうしたの? ヘルメス、さっきから元気ない。この服、きらい?」
「……うん。だってさ、僕、男だよ」
「大丈夫! 似合ってる、よ。ヘルメス、すごくかわいい」
元気づけようとしたリコリスのその言葉に、ヘルメスの男としての沽券が砕け散った。
「……いなんて」
「ヘルメス?」
「かわいいなんて、全っ然嬉しくない! 僕は……僕は、リコリスに男として見てほしいのに‼ そんなにかわいいのが好きなら、リコリスなんてこのままずっとパーウォーさんと一緒にいればいいんだ!」
今にも泣きだしそうな顔で叫ぶと、ヘルメスはそのままの恰好で外へと飛び出して行ってしまった。
「待って! ヘルメス、待って‼」
追いかけようとしたリコリスを、パーウォーが慌てて止める。
「待って待って、大丈夫だから。ヘルメスちゃんならきっと、すぐに帰ってくるから」
「でも……わたし。ヘルメス、怒らせた。わたし、いらないって……」
真っ青な顔で声を震わせるリコリス。そんな彼女を、パーウォーは近くにあったソファに座らせた。
「ごめんなさい、今のはワタシが悪かったわ。リコリスちゃんは悪くない。だからほら、泣かないで」
パーウォーは長椅子に座らせたリコリスに目線を合わせるようにひざまずくと、ぽろぽろとこぼれ落ちる涙を白い柔らかなハンカチでぬぐった。
「あのヘルメスちゃんが、リコリスちゃんのこといらないなんて思うわけないでしょう? 大丈夫、すぐに帰ってくる。それにね、もしその時ここにリコリスちゃんがいなかったら、ヘルメスちゃん、心配のあまり禿げちゃうわよ」
「ヘルメス禿げる、困る。火傷隠せない、きっと悲しい。また自分、責めるかもしれない」
「安心なさい、それはないわ。だって、火傷を見るときは、必ずお父さんの目も見えるでしょ。ね? だから大丈夫」
「トートの目……そっか。うん、そうだね。わたし、ヘルメス待つ。帰ってきたら、ごめんなさい、言う」
泣き止んだリコリスの頭をぽんぽんとなでると、パーウォーはゆっくりと立ち上がった。
――さて、と。なんか、すごーく嫌な予感がするのよねぇ……
リコリスには見えないように、パーウォーは一瞬だけしかめっ面を作る。けれどすぐに笑顔を取り繕うと、彼はぬいぐるみ型使い魔を呼んだ。そしてそれをリコリスのそばに置くと、店員たちにリコリスを見ているように言いつけ、自分は店を出た。
※ ※ ※ ※
つい頭に血が上って店を飛び出したはいいが、ヘルメスは今、路地裏で猛烈に後悔していた。
――どうしよう……僕、最低だ。
木箱に腰かけ、うなだれひざを抱えるヘルメス。その頭の中は今、リコリスへ八つ当たりしてしまったことへの自己嫌悪でいっぱいだった。
――あんなこと、言うつもりなかったんだ。ずっとパーウォーさんと一緒にいればいいなんて、そんなの絶対やなのに。リコリスとずっと一緒にいるのは、僕がいい。僕だけ……なのに。
「ねえ、きみ。もしかして今、泣いてる?」
突然頭の上から声をかけられ慌てて顔を上げると、燃えるような赤と夜のような黒がヘルメスの視界を埋め尽くした。
「ねえねえ、泣いてるの? だったらさ、お願いがあるんだけど。ああ、もちろんタダでなんて言わないよ。私たち魔法使いは、等価交換が基本だからね」
ぽかんと見上げるヘルメスの前で一人勝手に喋っているのは、トカゲらしき獣人の男だった。黒いローブに黒い皮膚、全体的に黒いその獣人は、けれどその喉元だけは鮮やかな朱色に彩られていた。
彼は腰につけた小さな鞄からビンを取り出すと、いきなりヘルメスの目元に押し付けてきた。
「わっ、何⁉ ちょっ、何してんだよ!」
慌ててヘルメスが振り払った時にはすでに用は済んでいたらしく、獣人の男はビンに栓をすると大事そうに腰の鞄にしまった。
「さて、私の方は必要なものはもらったからね。で、きみはなんで泣いてたの?」
「な、泣いてない!」
「え? 泣いてたよ。だって今、涙もらったし」
事実を突きつけられ、何も言えなくなるヘルメス。そんなヘルメスに構うことなく、獣人の男はひたすら自分のいいように話を進める。
「ほら、等価交換だよ。きみの望みは、何?」
「望みって……なんで会ったばっかの知らない相手に、そんなこと言わなきゃなんないんだよ」
苛立ちから、目の前の獣人の男にかみつくヘルメス。けれど獣人の男はそんなヘルメスの態度に気を悪くした様子もなく、ただ不思議そうに首をかしげると、「ああ」と一人何かを納得した。
「
魔法使いの誓いの言葉。この二ヶ月の間に何度か聞いたそれは、今再び、唐突にヘルメスへとつきつけられた。
「あんた、魔法使いだったのか! てっきりただの変なトカゲの獣人かと――」
「トカゲじゃない、イモリ。私はアカハライモリの獣人。そこは間違えないでくれ」
「ああ、ごめん……って、トカゲとかイモリとか、僕見分けつかないんだけど」
「……ふむ、そうなのか。まあ、私も人間の見分けはつかないからね」
アカハライモリの獣人、朱の魔法使いと名乗ったサンディークスという獣人は、またも一人納得する。
「で、きみの望みは? 名乗ったんだから、きみもちゃんと教えてくれ」
「えー、なんかすごい一方的なんだけど。なんで魔法使いってこういうやつばっかなんだ?」
「ほら、望み。さっき泣いてたのと関係あるんだろ?」
まったくひかないサンディークスに、ヘルメスはしぶしぶと答える。
「僕は、好きな子に男として見られたい。こんな服が似合うとかかわいいとか、リコリスだけにはそんな風に言われたくない」
不貞腐れたように頬を膨らませ口を尖らせるヘルメスを見て、サンディークスは考え事をするようにあごに手を当て首をかしげた。そしてその大きな目をぱちぱちと瞬かせると、腰の鞄からさっきとは違う赤い液体の入った小瓶を取り出した。
「契約成立だ。朱の魔法使いサンディークスの名にかけ、この薬を与えることを誓う。
突然鼻先につきつけられた怪しげな液体の入った小瓶に、ヘルメスの眉間に盛大なしわが刻み込まれる。けれど相手は魔法使い、本物の魔法使い。ならば、これの効果は間違いない。
ヘルメスはまわりより成長の遅めな、十七歳の男としては華奢な自分の体を見下ろした。
――これを飲めば、男らしい体になれるんだ。パーウォーさんやオルロフさんみたいな、がっしりとした大人の男の体に……
ヘルメスはサンディークスから小瓶を受け取ると、一気にあおった。口に中に広がる、どろりとした焼けるような甘味。舌に絡みつくようなその甘さに顔をしかめた瞬間――ヘルメスの心臓が、どくんと大きく跳ねた。次いでヘルメスを襲ったのは、燃えるような熱さ。思わず両腕で自らを抱きしめ、ヘルメスはその場にうずくまった。
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