蒸着水晶番外編 初めての喧嘩 1

 転がるようにアルブスから旅立って二ヶ月――

 ヘルメスとリコリスは王都コロナにほど近い港町――カエルラ――に来ていた。


「アルブスと、全然違う、ね」

「うん。同じ港町でもここは王都に近いし、アルブスよりずっと都会だからね。どっかに発電所があるのかな? ほら、この町にも街路灯。王都コロナにあったのと同じだね。夜になると、この町も道を照らすんだ。それからあっちは…………」


 多くの人たちで賑わう港町を、はぐれないようにと手を繋いで歩く二人。異国の珍しい食べ物に驚き、かわいい看板を見て微笑みあい、そして珍しい話を聞いては瞳を輝かせる。そんな楽しい旅行中のような二人の様子は、逃避行の真っ最中にはとても見えなかった。


「あとこの町はね、人魚伝説が有名なんだって。カエルラの人魚姫って歌もあるらしいよ」

「人魚……人魚って、足が魚の、あの?」

「うん。歌がうまいって有名な種族だよ。マルガリートゥムっていう、海の底にある国に住んでるんだって。運が良ければ、満月の夜には歌が聞けるかもね」

「歌、聞きたいね。人魚さん、歌ってくれると、いいな」


 笑いあうふたり。そんなふたりを、突如大きな影が包み込んだ。


「やだぁ、ヘルメスちゃんとリコリスちゃんじゃない! なになに、ちょっとふたりともぉ、なんでここにいるのよぉ」


 大きな影の正体――それは二ヶ月前、ふたりの旅を手助けしてくれたお節介な海の魔法使い、パーウォーだった。

 相変わらずの厚化粧に独特の口調の大男。筋肉質ながっちりとした体を包み込むのは、どこか人魚を思わせるような珊瑚色のかわいらしいドレス。肩を露出させた意匠ベアトップの上衣は鱗のような飾りで覆われキラキラと太陽の光を反射し、海風にふわふわと揺れる薄く柔らかな布シフォンのスカートはまるで尾びれのよう。

 かわいらしい服に瞳をキラキラさせるリコリスと、そんな彼女を見て頬を緩めるヘルメス。相変わらずなふたりの様子に、パーウォーの顔にも笑みが浮かぶ。

 とはいえ、ある事情で一月前ひとつきまえにもパーウォーとふたりは王都コロナで会っていたのだが。


「相変わらずねぇ、アンタたち。で、なんでこんなとこいんのよ? コロナから旅立った後、アルブスに帰ったんじゃなかったの?」

「帰りたいのはやまやまなんだけどさぁ……ほら、アワリティアのことがあるから」


 二ヶ月前、ヘルメスはアワリティアの家からリコリスを救い出した。けれどその行為は、世間的に見ればただの誘拐。隠されていたとはいえ、リコリスはアワリティアの一族に連なる者。もしアワリティアがリコリスの存在を公にし返せと要求してくれば、ヘルメスは従わざるを得ない。


「ああ、それね。でもそうねぇ……それならたぶん、あと半年も経たないうちに解決するわよ」

「……はぁ⁉ 何それ、どういうこと?」

「だって、アワリティアはリコリスちゃんを失っちゃったじゃない? リコリスちゃんの強力な加護の後ろ盾がない今の状態じゃあ、アルブスの方はあと半年ももたないでしょうね。王都の方の店は大丈夫そうだけど。あっちはリコリスちゃんの力を必要としてないものね」

「あの大店が半年で潰れる⁉ って、本当に?」


 信じられないと疑いのまなざしを向けるヘルメスに、パーウォーは苦笑いをこぼす。


「本当よ。いままで散々好き放題やってきたツケが一気に回ってくるわよ。裏でやってた違法な商売も明るみに出るだろうから、騎士団に捕縛されるのも時間の問題。おかげでアルブスは今、この話題一色よ」


 パーウォーから聞かされたアワリティアの現状に唖然とするヘルメス。リコリスはその隣で、ほんの少しだけ悲しそうに目を伏せた。


「ほら、そんな顔しない。せっかくのかわいい顔が台無しよ」


 少しばかりしんみりとしてしまった雰囲気を打ち消すようにからりと笑うと、パーウォーはリコリスの両頬をぷにぷにとつまんで無理やり口角を上げさせた。


「リコリスにベタベタさわんな!」


 すかさずリコリスを引き寄せ、パーウォーから隠すように抱きしめるヘルメス。それに一瞬ぽかんとした後、パーウォーは面白そうにニヤニヤとヘルメスを見下ろした。


「ヘルメスちゃんてば、ほんとにやきもち焼きやさんよねぇ。いいじゃない、ちょっと触るくらい。ワタシとヘルメスちゃんとリコリスちゃんの仲じゃない」

「よくない! だってパーウォーさん、男じゃん。僕以外の男は触っちゃダメ」


 ストレートな独占欲を一切隠すことないヘルメスを、リコリスは困ったように見上げる。


「ヘルメス、それは無理。それじゃわたし、何もできないまま」

「それはそうかもしれないけど……でも、ダメ! 今のリコリスは無防備すぎる。あのね、パーウォーさんだってああ見えて男なんだから、ちゃんと警戒しなきゃダメだよ」

「なんで警戒する? パーウォーさん、いい人。いっぱい助けてくれた。あと部屋、かわいい」

「助けてくれたしいい人なのは認めるけど……でも、あの部屋はどぎつい。目が痛くなる」


 出会った頃よりいっそう過保護になっているヘルメスにパーウォーは苦笑し、こっそりと小さなため息をもらした。


「こんな往来の真ん中で立ち話もなんだし、うちの店にいらっしゃいな。そうそう、ふたりにお願いしたいこともあるのよ。ほら、行くわよ」


 そう言うが早いか、パーウォーはリコリスを抱えたヘルメスを問答無用で横抱き――いわゆるお姫様抱っこ――した。そしてあろうことか、そのまま往来の真ん中を堂々と歩き始める。

 一気に集まる周囲の視線に、ヘルメスは顔を真っ赤にして「降ろせ!」と抗議したが、パーウォーはなぜかにっこりと微笑むだけで応じる気配がまったくない。ちなみにリコリスはいつもと違う目線の高さが新鮮なのか、楽しそうに景色を眺めている。


「わ、悪かったよ! かわいい、あの部屋はかわいいです‼ だから降ろしてください、お願いします」


 ヘルメスの謝罪の言葉にパーウォーは「わかればいいのよ、わかれば」とにっこり微笑むと、ようやくふたりを解放した。真っ赤な顔でその場にしゃがみ込むヘルメスと、隣で残念そうにパーウォーを見上げるリコリス。そんなふたり――特にヘルメス――の様子に、パーウォーは小さく吹き出してから両手を広げた。


「ようこそ、マラカイト本店へ」


 パーウォーの歓迎の声にヘルメスが顔を上げると、そこにはアルブスにあったマラカイトと瓜二つの店構えがあった。パーウォーに案内され足を踏み入れた店内は、かつてヘルメスが訪れたアルブスの店と全く同じ。あの奥へと続く忌まわしき扉もあり、ヘルメスは思わず口元を引きつらせる。

 けれど現金なもので、かわいらしい服や小物を見て頬を紅潮させているリコリスの嬉しそうな様子に、その引きつっていた頬は見る見る間にゆるんでいった。


 そのまま別の扉から応接室に案内されると、そこにはパーウォーお手製の焼き菓子シフォンケーキと花の香りのするお茶が用意されていた。おいしそうなお菓子を目の前にして、仲良く同時に鳴るふたりのおなか。そんなふたりにパーウォーが吹き出すと、それを合図にして和やかなお茶会が始まった。


「そうそう、ふたりにお願いしたいことなんだけど……」


 本題を切り出してきたパーウォーにヘルメスが反射的に構える。


「ちょっと、まだ何も言ってないでしょ。やぁねぇ、ヘルメスちゃんったら。大丈夫よぉ、今度はリコリスちゃんとふたりでだから安心して」

「するか! 余計嫌に決まってんだろ!」


 すかさず断ったヘルメス。するとリコリスが悲しそうな顔でヘルメスの袖を引っ張り見上げてきた。


「ヘルメス……わたしと一緒、いや?」

「ちがっ、違うよ! そうじゃなくて……その、これは僕の男としての沽券プライドの問題なんだ。リコリスのことが嫌なんて、それだけは絶対ないから‼」

「じゃあ決まりね! 安心して、ヘルメスちゃん。今回は普通のお洋服だから」

「は⁉ いや、だから僕は――」

「ヘルメスと一緒、わたし、うれしい! 一緒、がんばろ?」


 ものすごく嬉しそうなリコリスの笑顔を前にして、ヘルメスは言葉を詰まらせた。ここで自分が嫌だと言ってしまうと、きっとリコリスは悲しく思うだろう。それを想像すると、ヘルメスはもう嫌だとは言えなくなってしまっていた。

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