18.きみをつれて

 虎目石商会の面々との旅は順調に進んでいた。

 極夜国を出てから三日。馬車はもうすぐ、学術都市セーピオーティコンに着く。

 この町にはファーブラ国一番の大きな図書館があり、自然と学者やそれを目指す者たちが集まっていた。だからか妙な偏見や差別が他の町に比べて比較的少なく、虎目石商会はこの町を商売の拠点としていたのだ。


「さすが妖精馬ケルピーのひく馬車は早いね。普通だったら五日はかかる道のりも、あっという間だ」

「……ヘルメス、極夜国出てからずっと元気ない。何か、あった?」


 唐突に、本当に何の前置きもなくリコリスが問う。そのあまりの唐突さに、そして核心をついた言葉に、ヘルメスは返す言葉がすぐに出てこなかった。


「何、言ってるんだよ。やだなぁ、そんなことないよ。どうしたのさ、いきなり」

「……嘘。ヘルメス、ずっと泣きそう。今も、笑ってるけど、笑ってない」


 リコリスは生まれてからずっと監禁されていて、人と話すという行為をほとんどしてこなかった。だから言葉足らずというか、たどたどしい喋り方をする。けれどだからといって、彼女が頭の中で考えていることもそうであるわけではない。むしろ、出力するのが苦手なだけで、頭の中にはたくさんの言葉や考えが飛び交っていた。

 だからか、リコリスは時折前後の文脈を無視して喋る。そして、いきなり核心をつく。


「気のせいじゃないかなぁ。ほら、僕はいつも通りだよ」


 誤魔化すようにへらりと笑ったヘルメスに、リコリスはただ悲しそうな眼差しを返す。

 そんなリコリスの視線に耐えられなくなったヘルメスが外に目を向けた丁度その時、馬車はセーピオーティコンの門をくぐった。



 ※ ※ ※ ※



 門をくぐると、程なくして馬車が停まった。

 虎目石商会の人たちはすぐに積み荷を降ろし始めると、次々と荷車に積み込んでいく。手伝いを申し出たが断られてしまったヘルメスとリコリスは、やることもないので彼らをなんとはなしに眺めていた。するとそこへ、馬車を預ける手続きを終えたティグリスが戻ってきた。


「やあやあ、お二人さん。短い間だったけど世話に……はなってないな。むしろ僕たちが世話したのか。そういえば昔も、小さい亜人の女の子を運んだなぁ。まぁ、いいや。というわけで、ここで旅は終了です。お疲れ様でした!」


 ティグリスの別れの言葉は、彼の見た目と同じでとても軽く。それはまるで、同僚への仕事終わりの挨拶のようだった。そしてティグリスと入れ替わるようにやって来たのはウィオラーケウス。彼はリコリスの前に立つと切なそうな笑みを浮かべ、そっと手を差し出した。


「リコリス。きみと会えて、よかった」


 差し出された手を握り返し、リコリスも微笑む。


「ウィラーおじさん、わたしも会えて……よかった。それと……」

「わかってる。きみとの約束、必ず守るから」


 自分にはわからない会話をする二人にモヤモヤとしたものを感じ、ヘルメスは無意識にマントの胸元を握りしめる。


「さよならは言わないよ。リコリス、またいつか、きみと会える日が来ることを信じてる」

「はい。また、いつか……。お元気で、ウィラーおじさん」


 見つめ合い、固く握手を交わす二人に、ヘルメスの胸の中のモヤモヤはどんどんと膨れ上がっていった。二人を見ていられなくなりうつむいたその時、ヘルメスの前に手が差し出された。


「ヘルメス君、リコリスをよろしくね」


 ヘルメスがのろのろと顔を上げると、目の前には手を差し出しだし微笑むウィオラーケウスがいた。けれどヘルメスはなぜか、その手をすぐに取ることができなかった。

 リコリスの叔父かもしれない人。だから、リコリスと彼が仲良くするのはいいことだ、ヘルメスとて頭ではそう理解している。ただ、心が拒否するのだ。

 もしかしたら叔父ではないかもしれない人。だとしたら、彼はリコリスのことをどう思っているのだろうか? さっきかわしていた二人の約束、あれは何だったのだろうか…………

 ぐるぐると回る不毛な思考の渦の中、自分はなんでこんなことを考えているんだろうと、ヘルメスはますます渦の中に引きずり込まれていって。


「ヘルメス君?」


 うつむき黙り込んでしまったヘルメスに、ウィオラーケウスが心配そうに声をかける。そこでようやくヘルメスは我に返り、慌てて手を差し出した。


「す、すみません。ちょっとその……考え事を、していました」


 無理やり作ったぎこちない笑みを顔に貼り付け、ヘルメスはようやくウィオラーケウスの手を握り返した。


「そうか……そうだよね。本当は極夜国できみたちをかくまってあげられればよかったんだけど。ねえ、これからどうするの? しばらくはアルブスに戻れないんだろう?」


 ヘルメスの態度のぎこちなさ、それをこの先の不安のせいだと勘違いしたウィオラーケウスに、ヘルメスはこれ幸いとそのまま話を逸らすことにした。


「そう、ですね。はい、あのアワリティアが、そんな簡単にリコリスを諦めるとは思えませんし」


 その言葉にリコリスは不安そうに眉を寄せ、ヘルメスの外套の端をきゅっと握った。


「しばらくは、リコリスと一緒に旅をしたいと思ってます。あの檻みたいな部屋の中しか知らなかったリコリスに、色々な景色を見せてあげたい。もっと、この世界の素晴らしさを知ってほしい。たくさんの楽しいことを、経験してほしい」


 ヘルメスの言葉に、リコリスの外套を握る手に力が入った。きゅっがぎゅっとなり、外套のしわが深くなる。


「そうだね。リコリスにたくさんの楽しい思い出を作ってあげて。もちろんヘルメス君、きみも」


 ウィオラーケウスのその言葉に、ヘルメスの胸のモヤモヤが再燃する。


 思い出を作ってあげて。


 それは、どういう意味なのだろうか? モヤモヤに加え、ヘルメスの胸にじわじわと不安が押し寄せる。


「じゃあ、私はこれで行くね。リコリス、ヘルメス君、またいつか」


 仲間に呼ばれ、名残惜しげに立ち去ったウィオラーケウス。その後ろ姿を、リコリスは見えなくなるまで見送っていた。ヘルメスはそのリコリスの横顔に、なんとも言い難い気持ちがこみあげてくる。そんな風に思ってしまった自分がすごく汚く思えて、ヘルメスはごまかすように空を見上げた。

 すると突然、リコリスがヘルメスの方を向いた。そしてまっすぐ、真剣な顔でヘルメスをじっと見つめる。


「……ヘルメス。やっぱり、さっきから、変。わたしに何か、言いたい?」

「え⁉ いや、その……」


 図星をつかれ、思わずうろたえてしまったヘルメス。けれどリコリスはそんなヘルメスに構うことなく、さらに言葉を続ける。


「ヘルメス。約束、したよ。ずっと一緒に、いるって。わたし、ヘルメスとずっと、いたい。ヘルメスに、わたしを、わたしだけを、見てほしい。わたしとじゃなきゃ、やだ。わたしだけが、いい。だから、ちゃんと、言う」

「ちゃんとって、何を――」


 ヘルメスの言葉を遮り、リコリスははっきりと言った。


「わたしは、ヘルメスが、好き」


 突然の告白にヘルメスが固まった。けれどリコリスはやはり構うことなく、自身の思いの丈をはっきりと言葉にしていく。


「他の誰より、ヘルメスが一番、好き。パーウォーさんやウィラーおじさんとは違う、好き。ドキドキして、そわそわして、不安で、怖くて……でも、わたしはヘルメスが、好き!」


 最後はぶつけるように、叫ぶように言い放ったリコリス。そのまっすぐで飾り気などまったくない愛の告白に、ヘルメスはただただ呆然と立ち尽くす。


「その、それは……僕のこと、好きって……それって、でも…………ええ!?」


 頬を真っ赤に染め、まっすぐヘルメスを見るリコリス。その姿に、その言葉に、ヘルメスの頬も瞬く間に紅くなる。束の間、動揺からうろうろと視線をさまよわせていたヘルメスだったが、すぐにそろりと窺うようにリコリスの方に視線を戻した。

 りんごのように赤く染まった頬、何かをこらえるように固く結ばれた口もと、スカートを握りしめる小さな手……


 その姿はヘルメスの心にじんわりとした、けれど微かに仄暗い喜びをもたらした。

 相手の心がわからない不安、好きだから緊張してしまう、好きだから怖くなってしまう心。そして、自分だけを見てほしいという独占欲――。

 綺麗で純粋無垢な、まるで新雪のようだったリコリスの心。そこに自分の足跡をつけてしまったことに、ヘルメスは少しの罪悪感と、仄暗い大きな喜びを覚えていた。

 固く握りしめられたリコリスの手をそっとほどくと、ヘルメスは自分の両手で包み込んだ。


「ありがとう、リコリス。僕もリコリスのこと、好きだよ。他の誰よりも、一番好き。もちろん父さんや他のみんなとは全然違う、リコリスだけの好き、だよ。僕も、リコリスとずっと一緒にいたい。たとえ半身じゃなくったっていい。僕は、リコリスとこの先もずっと、死ぬまで一緒にいたい」


 ヘルメスの言葉に、固かったリコリスの顔がふわりと綻ぶ。

 と同時に、周りから拍手と指笛、そして歓声が巻き起こった。慌てて周囲を見回すヘルメス。そこでやっと、ヘルメスは自分たちがどこでこのやり取りをしていたのかを思い出した。

 馬車の発着場――そこはひっきりなしに人が出入りする町の玄関口。そして、多くの人が集まる場所。


「リ、リコリス、行こ!」

「うん!」


 嬉しそうに笑うリコリスの手を引き、周りの生温い視線から逃げるように広場を駆けるヘルメス。誰かとすれ違う度にかけられる、「お幸せに」とか「若いねぇ」というはなむけとからかいの言葉の中を、ひたすら愛想笑いでやりすごす。そして発着場を後にした二人は公園、その中の小高い丘の上に辿り着いた。

 町を一望できるその場所は先ほどの喧噪とは打って変わり、鳥のさえずりが気持ちいい静かな場所だった。幸せそうな親子連れの笑い声、仲睦まじい若い男女の囁き、駆け回る子供たちの元気な声。それらが時折、そよそよと吹く風に運ばれてくる。

 アルブスとは違う、潮の香りのまったくしない風を頬に受け、ヘルメスはぽつりとつぶやいた。


「僕ね、怖かったんだ」


 前を向いたまま遠くを見つめ、どこか途方に暮れたようにつぶやくヘルメス。そんな彼に何も言わず、リコリスはただ静かに耳を傾けた。返事をするように、つないだ手に少しだけ力を込めて。


「ウィオラーケウスさんにね、リコリス、取られちゃうんじゃないか……って」


 この町に着く直前、あの時と同じように不安で揺れているヘルメスの瞳を見て、リコリスはつないだ手をさらにぎゅっと握りしめた。


「さっき、別れる時にウィオラーケウスさんが言った『約束』って言葉。僕ね、それを聞いた時……すごく、怖くなったんだ。僕の知らない二人だけの約束、それがすごく寂しくて、嫌だった」


 寂しそうな、困ったような。そんな笑みを浮かべるヘルメス、その独白は続く。


「もしかしたらリコリス、本当はウィオラーケウスさんと一緒に暮らしたいのかなって思って……。二人の約束って、そのことなんじゃないかって――」

「違う! だって、わたしヘルメスと一緒、選んだ。ウィラーおじさんとの約束、それ、違う」


 今にも泣きそうな顔で、リコリスは首を横に振った。ヘルメスの手を握りしめ、力一杯全身で「違う」と訴える。


「わたしが約束したのは、お父さんとお母さんのお墓、のこと」


 明かされた約束の内容は、聞いてみればヘルメスの想像とはまったく違うものだった。

 極夜国へもう行くことのできないリコリスの代わりに、ウィオラーケウスが墓の管理をする。それだけ、たったそれだけの、けれどリコリスにとってはとても大切な約束だった。


「そっか……そう、だよね。ごめん。僕、自分のことばっかりで……。リコリスのこと、全然考えられてなかった」

「わたしも、ヘルメスの不安、わからなかった。だから、ごめんね」

「ううん、リコリスは悪くないよ。僕が一人で勝手に思い込んで、一人で拗ねてただけだもん」


 しょんぼりとうなだれ反省するヘルメスを見て、リコリスは「ヘルメス、あわてんぼう、だね」とおかしそうに笑った。


「あのね、わたし、お喋り、苦手。言葉、うまく出て、こないから。でもね、ヘルメスとは、いっぱいお話し、したい。わたしは、ヘルメスのこと、もっといっぱい、知りたい。わたしのことも、知ってほしい。ね? だから、わからないこと、たくさんお喋り、しよ?」


 自分の想いを拙いながらも精一杯伝えるリコリスに、ヘルメスはただ何度も何度もうなずいた。

 ヘルメスが守ってあげなきゃと思っていた女の子は、もうそこにはいなかった。ただ流されるままだった女の子は、今、自分の足でしっかりと歩いていた。


「うん。僕もリコリスのこと、いっぱい知りたい。僕のことも、いっぱい知ってほしい。だから、たくさんお喋りしよう。これからもずっとずっと、二人でいろんなものを見て、いろんなことを経験して、たくさんお喋りしよう」


 ヘルメスは改めてリコリスの手を取ると、ゆっくりとひざまずいた。そして一つ大きく深呼吸すると、まっすぐリコリスを見上げる。


「リコリス、僕はこの先もずっと、ずっときみと一緒にいたい。死が二人を分かつまで、決してきみを離さないと誓います。だから……どうか僕と、結婚してください!」


 突然の求婚に驚き目を見張るリコリス。けれど次の瞬間、彼女は芍薬しゃくやくの花がほころぶような、ふんわりとした笑顔を花開かせて。


「うん。わたしも、ヘルメスとずっと一緒が、いい」


 リコリスの快諾を得たヘルメスは勢いよく立ち上がると、彼女の手を取ってくるくる、くるくると、まるで舞い落ちるカエデの種のようにその場で回り始めた。笑いながらじゃれ合う少年と少女。二人はそのまま芝生の上に倒れ込むと、手をつないだまま並んで青い空を見上げた。


「リコリス、きみと行きたい場所がいっぱいあるんだ。空の上の国、砂の海、見渡す限りの平原や樹上の町……。この世界は、たくさんの綺麗や不思議があふれてる。僕もまだ見たことがないたくさんの景色を、リコリス、きみと一緒に見てみたいんだ」


 繋いでいない方の手を空へと伸ばし、ヘルメスは自分の夢を語った。リコリスもヘルメスと同じように空へと手を伸ばし、その言葉に耳を傾ける。


「それでね、色んな思い出をたくさん作って、あの家に……僕たちの家に、帰るんだ。きみをつれて」

「うん。楽しみ、だね。ヘルメスと一緒なら、きっと楽しい。いっぱいお土産持って、帰ろう。わたしたちの、家へ」


 まばゆい夏の日差しをさえぎる涼やかな木陰で、少年と少女は未来の話をする。

 明日をも知れない逃避行を明るい未来で塗り替えて、いつか帰る場所へと希望を繋ぐ。


「行こう、リコリス。世界は広いよ。きみに見せたいもの、いっぱいあるんだ」

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