17.巡り、廻る

 国外退去処分――


 それはこの国の決まり事。例えオルロフであろうとくつがえせない、覆してはならないものだった。


 かつては極夜国も外の世界との交流があった。

 けれどそれは、欲に目がくらんだ人間たちの裏切りによって断ち切られてしまった。その事件以降、石人たちは自分たちだけの世界を作り上げ、その中に閉じこもってしまった。

 石人以外を受け入れぬ結界を張り、人を惑わす霧で森を包み、国民の出入りに制限を設けて。


 けれど、それでも半身を探すために国を後にする者たちはいた。数こそ少ないものの、石人の性質ゆえか、彼らは決していなくなることはなかった。

 そんな彼らの中で運よく半身と出会い、さらに運よく子を授かった者たち。そんな彼らの子らが、極夜国へと戻ってくることが稀にあった。

 そう、ヘルメスやリコリスのように……


 ヘルメスとリコリスはオルロフと別れた後、兵士たちによって城の中の一室へと案内された。

 そこで事情聴取を受け、やっと解放された時には夜になっていた。とはいえ、ここは常夜の国。窓の外の風景に大きな変化は見られなかった。


 そして現在、ヘルメスとリコリスは与えられた部屋の中で夕食をとっていた。


「いやー、お城での夕食ってもっとこう、豪華絢爛ごうかけんらん! って感じのやつ想像してたんだけどなぁ」

「ん? これ、おいしいよ。お水もおいしい」


 携帯食料をかじりながらしょぼくれるヘルメスと、その隣でそれを幸せそうに頬張るリコリス。

 今、ふたりが食べているそれは、極夜国から提供されたものではない。ヘルメスが持ってきた、自前の携帯食料だ。極夜国から与えられたのは水のみ。とはいえ、これは極夜国がヘルメスたちを軽んじているというわけではない。ただここには、食料というものが無いだけ。厳密に言えば、いちおう共生している精霊たちに与える菓子などはあるにはあるが、そもそも石人たちには食べ物を食べるということが想像できていなかった。

 石人は月の光と水のみで生きている。人間や半石人のように食料を必要としない。だからこそ、この常夜の不毛の地で生きていくことができたのだが。


「それにしてもさ……せっかく来たのに、明日にはもう出てかなきゃいけないなんてなぁ」


 ヘルメスは窓の外を眺めながらぼやく。

 この国では、石人以外は生きられない。だから今までも、たとえ運よくこの国にたどり着けた半石人たちも、例外なく国外退去処分になっていた。

 半石人は純粋な石人とは違い、人間と同じように太陽の光と食物を必要とする。そんな彼らがこの地で暮らすのは不可能。だから例外なく、皆、この国を去る。


「わたしは、構わないよ。お父さん、連れてこれた」

「リコリス……」

「それに、お母さんと一緒に、してあげられた」


 事情聴取の後、オルロフのはからいによって、リコリスの父はこの国で眠ることを許された。その半身である母も。石人たちは、同胞と半身への情はあつい種族だから。


「うん……。でもさ、まさかレプスの中に、リコリスのお母さんの遺髪が入ってたなんて思わなかったよ」


 リコリスが肌身離さず持ち歩いていたうさぎのぬいぐるみ。あれは母が作ってくれた形見でもあり、母の遺髪を保管するためのものでもあった。


「でもさ、よかったの? レプス、お父さんの目と一緒に埋葬しちゃって」


 ヘルメスの気遣わしげな問いに、リコリスは迷いなくうなずく。


「もう大丈夫、だから。お父さんとお母さん、やっと会えた。これからは、ずっと一緒。わたしはもう、大丈夫」


 出会ったばかりの頃、戸惑いと不安に揺れていたリコリスの瞳。それは今、確かな意思をもってまっすぐ前を向いていた。ふと、その視線がヘルメスに向けられる。

 純粋にまっすぐ、そして何かを含んだリコリスの視線。それを受け止めた瞬間、ヘルメスは急に怖くなった。


「そ、そろそろ遅いし、明日も早いし! じゃ、おやすみ」


 誤魔化すように就寝の挨拶をして、ヘルメスは逃げるようにリコリスの部屋を飛び出した。そしてひとり、廊下でため息をつく。


「僕は一体……どうしたいんだよ」


 壁に背を預け、ずるずるとしゃがみ込み頭を抱える。

 初めてリコリスを見た時に感じた気持ち。むず痒いような苦しいような、あの何とも言えない気持ち。そして次に感じたのは、ドキドキする気持ち。今まで感じたことがないその気持ちを、ヘルメスは恋だと思った。半身が見つかった、これでトートが喜ぶ、と。


 そして先ほどの決意がこもったリコリスの眼差しを思い出し、ヘルメスは頭をかきむしる。

 今までは、ただ一方的に自分の気持ちを押し付けていた。「好きだ」と簡単に言えた。リコリスがよくわかっていないのもあって、ヘルメスも結構軽い気持ちで言っていた。しかし、いつからかリコリスの反応が変わってきて、ヘルメスもあまり気軽に「好き」と言えなくなってきた。そしてなぜか、やたらと緊張するようになった。


「リコリスは僕のこと……本当はどう思ってるんだろう」


 荒野でかわした約束。あの時、リコリスはどんな気持ちでヘルメスに「ずっと一緒にいて」と言ったのだろうか。


 好意? 依存? 寂しさ? そもそもあの約束は、まだ有効なの?


 考えれば考えるほどわからなくなり、ヘルメスはますます頭を抱え込む。リコリスに直接聞くのが一番手っ取り早い。そんなことはわかっていたが、先ほどのリコリスの何かを決意したような眼差しがヘルメスをためらわせる。もし、もしも――


 もう、一人でも大丈夫。


 そんな答えが返ってきたら。そう考えたら、ヘルメスは急に怖くなった。

 ひな鳥のように、ヘルメスの後を何の疑いもなくついてきたリコリス。でも、ひな鳥はいつか巣立つもの。リコリスもいつか、ヘルメスのもとからいなくなってしまうのだろうか? それは今なのか? そんな考えばかりがヘルメスの頭の中をぐるぐる回る。

 とぼとぼと自分に与えられた部屋に戻ると、ヘルメスはそのまま寝台に倒れ込んだ。


「バカだな、僕は。めいっぱい甘やかして依存させるつもりが、いつの間にか……僕が、依存してたんだ」



 ※ ※ ※ ※



 初めてリコリスを見た時に感じた気持ち。むず痒いような苦しいような、何とも言えない気持ち。

 

 ――助けたい、守ってあげたい。ただそう思った。


 次に感じたのはドキドキする気持ち。今まで感じたことがない気持ち。


 ――運命だと思った。リコリスしかいない、そう思った。


 いつからかリコリスの反応が変わってきて、意識すると緊張するようになった。


 ――依存させたい、自分がいないとだめにしてしまいたい。そんなよこしまな思いを抱いた。


 そして今、拒絶されたらと怯えている。


 ――僕を捨てないで、もう、ひとりにしないで。そう、僕の中の子供が泣いていた。



 ※ ※ ※ ※



 目覚めは最悪だった。ヘルメスは目をこすり重い頭を振ると、妙な夢の名残を振り払う。

 相変わらず窓の外は夜なので、それも調子が狂う。すでに太陽の光が恋しくなっているヘルメスは、自分は極夜国では暮らせないな、と思った。

 兵士に案内されリコリスと合流すると簡単に朝食を済ませ、それが終わると再び兵士に案内され、ヘルメスたちは正門前に連れてこられた。

 ここに来るまで、いつもと違い口数の少ないヘルメスをリコリスが心配そうに見つめていた。けれどヘルメスはそんなリコリスを見ようとしない。二人の間には、いままでになく重い空気が流れていた。


「やあやあ、君たちが久々の不法入国の半石人か」


 そこへ割って入ってきたのは、どこか軽薄そうに見える若い男。へらへらと笑いながら、無遠慮にヘルメスとリコリスを観察する。


「へぇー、こりゃまた強そうな加護だねぇ。きみの守護石ってこれ、黄金蒸着水晶ゴールデンオーラでしょう? いいなぁ、きみが石人だったら是非うちに来てほしかったなぁ」


 そう言って男はリコリスに触れようと手を伸ばした。


「えっと……何?」

「あ、いや……つい?」


 気がついた時には、ヘルメスは男の手首を掴んで止めていた。

 ヘルメス本人にもなんだかよくわからなかったが、とにかくリコリスに触れてほしくない、そう思ったときには動いていた。

 一方リコリスは素早くヘルメスの後ろに避難し、警戒するように男を見ていた。そんな二人の様子に男は「ああ!」と手を打ち合わせると、勝手に何かを納得した。


「そっかそっかー、うん、ごめんね。この子、君の半身だったんだね」


 男の言葉に固まるヘルメス。

 昨日までなら「だから触んないでね」くらい言っていたのだが、いかんせん今のヘルメスには軽口を叩けるような心の余裕はなかった。ただ口をパクパクとさせ、真っ赤な顔で「ああ」とか「うう」とかの意味のない言葉をもらすだけ。

 男はそんなヘルメスなどお構いなしに、勝手に自己紹介を始めた。


「僕はティグリス。虎目石商会で営業を担当してるんだ。あ、気軽にティガーって呼んでね。ちなみに今回僕が来たのは、きみたちを迷いの森の外まで送るってお役目を仰せつかってきたからだよ」


 ティグリスは一人でどんどん話を進め、ヘルメスとリコリスはあっという間に妖精馬ケルピーのひく幌馬車に乗せられていた。


「まあ、短い間だけどよろしくね。あ、ここにいるのは全員虎目石商会の者だよ。きみたちを送り届けた後、ついでだからちょっと商売してこようと思ってね」


 幌馬車の中にはティグリスの他に五人、そして御者台に一人、合計七人の石人がいた。

 その中の一人、紫水晶アメシストの瞳を持った石人の男。彼はヘルメスたちが馬車に乗ってから、ずっとリコリスを見ていた。リコリスも気づいていたようで、落ち着かないのか不安そうにヘルメスの外套を掴んでいる。


「あの……」


 ヘルメスは思い切って紫水晶の男に話しかけてみた。するとリコリスをぼうっと見ていた男は、はっとしたようにヘルメスの方を見た。


「あ、すみません! ……不躾ぶしつけ、でしたよね」


 思いの外素直に謝った紫水晶の男に、ヘルメスとリコリスは拍子抜けする。


「リコリスに、何か?」

「ああ、その……そちらのお嬢さんが、あまりにも私の兄に似ていたもので。つい」

「お兄さん?」

「はい。私の兄は水晶クォーツの守護石持ちで、お嬢さんと同じ先天性色素欠乏症アルビノだったんです。半身を求めて九十年くらい前だったかな、国を飛び出して行ってしまいました」


 リコリスの肩がピクリと跳ねる。

 九十年前といえば、リコリスが生まれた頃だ。リコリスは少し早くなった鼓動を押さえるように胸に手を当て、紫水晶の石人にたずねた。


「お兄さんの名前……教えて、ほしい」

「え? ああ、ロタールだよ。兄の名前は、ロタールっていうんだ」


 リコリスは胸の上で手を握りしめ、「同じ」とつぶやいた。とても小さな、かすかなそのつぶやきは、けれど隣にいたヘルメスには確かに聞こえていた。思わず目を見張り、ヘルメスは紫水晶の石人とリコリスを交互に見比べる。確かに、彼とリコリスの面差しはどことなく似ていた。


「あの……私とお嬢さんの顔が、何か?」


 紫水晶の石人は、ヘルメスを見ながら不思議そうに首をかしげた。ヘルメスは慌てて首を振り、自分の中に芽生た小さな不安に気づかないふりをしてリコリスを見る。


「わたしのお父さんも、水晶の石人。それにロタールって、お母さんが、呼んでた」

「え⁉ じゃあきみは、もしかして……」


 けれどリコリスは、申し訳なさそうに首を振った。それにヘルメスは少しだけほっとする。


「ごめんな、さい。わからない。わたし、お父さん、会ったことない……から。名前しか、知らない」

「そっか。でも、もしかしたらもしかすると、お嬢さんは私のめいかもしれないんだね」


 紫水晶の石人は懐かしいものを見る時のように目を細め、困り顔のリコリスを見た。その優しげな紫の眼差しに、ヘルメスの中の不安が少しずつ大きくなる。


「私はウィオラーケウス。もしかしたら……いや、間違いない。私はきみのおじだよ」

「なんで? なんで、わかるの?」


 不思議そうにたずねたリコリスに、ウィオラーケウスは笑いながら言った。


「だって、君は兄さんにそっくりだもの。絶対だよ、絶対にきみはロタール兄さんの子だ。だから私のことは、気軽にウィラーおじさんとでも呼んでよ」

「ウィラー……おじ、さん? えっと、わたしはリコリス、です」


 いきなり出来た親戚に戸惑いながらも、少しずつ心を開いてゆくリコリス。そんな彼女の様子に、ヘルメスの心はじりじりとした不安に塗りつぶされてゆく。


 ――もし、ウィオラーケウスが極夜国を出てリコリスを引き取る。と言ったらどうしよう。

 ――もし、リコリスが叔父と暮らす。と言ったらどうしよう。


 揺れる馬車の中、ヘルメスは今にも泣きそうな顔をしていた。

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