14.邂逅

 目に痛い等々文句を言っていたヘルメスも、柔らかな布団の前では無力だった。風呂から出てベッドにたどり着いた直後、ヘルメスの意識は落ちた。目に痛かろうが、ひらひらやキラキラが気になろうが、目を閉じてしまえば関係ない。ただ、用意されていたひらひらのネグリジェだけは断固拒否した。


「おはよう。昨日はよく眠れたかしら?」


 昨日と同じぬいぐるみのクマたちに案内され、ヘルメスとリコリスは食堂にやってきた。ここは昨日泊まった個室とはうってかわって、家具は豪奢ごうしゃだが落ち着いた色味で品よくまとめられていた。ただ、椅子一つとってもとても高そうで、ヘルメスは別の意味で落ち着かない気分を味わう羽目になったが。

 けれどリコリスはそんなことお構いなしで、おいしそうな朝食を見て瞳を輝かせている。


「おかげさまで。夢も見ないでぐっすりだったよ」

「夢、楽しい夢、見た! レプスと一緒、空飛んでた」


 ぬいぐるみたちに案内され、ヘルメスとリコリスも席に着く。それぞれの信仰する神への短い祈りを済ませると、食事が始まった。


「で、ヘルメスちゃんたちはこれからどうするの? やっぱり極夜国、行くの?」


 パーウォーの問いにヘルメスは神妙な顔でうつむき、そしてリコリスを見た。


「僕は……行きたい、と思ってる」

「いいよ。ヘルメスが、行きたいなら。今のヘルメスなら、いいよ」


 あれだけ嫌がっていたリコリスからあっさりと了承が得られ、ヘルメスは拍子抜けしてしまった。


「なんで? だって、あんなに嫌がってたのに……」

「だってヘルメス、もうわたしにトート、見てない。だったら、いい」


 リコリスの言葉の意味がわからず、ヘルメスは助けを求めるようにパーウォーを見る。するとパーウォーは仕方ないわねぇという顔でくすりと笑った。


「えーとぉ、要するに『わたしが一番! わたしだけを見て! 浮気しないで!』ってことじゃない?」

「ええ⁉」

「違う!」


 顔を真っ赤にして素っ頓狂な声を出すヘルメスと、真っ赤な顔で椅子を倒す勢いで立ち上がったリコリス。そんな二人を見て、パーウォーは思い切り吹き出した。

 賑やかな食事を終え、ヘルメスたちはいよいよ極夜国を目指す。


「道中、気をつけなさい。あの狂犬、きっとまた来るわよ」

「クルーデーリスか……。うん、でも大丈夫。迷いの森に入っちゃえばけるから」


 そのヘルメスの言葉に、パーウォーが突然「ああ!」と大きな声を上げた。


「それ! ちょっとヘルメスちゃん、迷いの森を抜けるための魔法無効化装置に、あんな合成黒金剛石シンセティックダイヤ組み込んじゃだめじゃない。仕方ないから応急処置として、ワタシが魔力込め直して強化しといたわよ。といっても、本当に応急処置だけど」

「ああ、ありがと……って、勝手に人の荷物漁んな! でも、ほんとありがとう。正直助かった」

「どういたしまして。あとその装置、あの森じゃ往路もつかどうかよ。極夜国に辿り着けるかは運次第ね」

「ええ⁉ これ、結構高かったのに。でも、迷いの森の結界ってそんなすごいの?」


 ヘルメスの疑問にパーウォーはこれでもかという呆れ顔で、さらには大きなため息までついてみせた。


「アンタねぇ、石人たちをなんだと思ってるのよ。彼らはあの迷いの森を作った、石を使った魔法の扱いに関しちゃ右に出る者なしの妖精族よ。そんなちゃちな機械に合成宝石で、彼らの張った結界を抜けられるわけないでしょ。そもそもそんなので抜けられるんだったら、鎖国なんて成り立っちゃいないわよ」

「あー、確かに」


 のんきな相づちをうつヘルメスの緊張感のなさに、がっくりと肩を落とすパーウォー。彼はもう一つため息をつくと、さらに説明を続けた。


「それにね、もし運よくあの森を抜けられたとしても……人間はもとより、守護石を持つ石人以外は一部を除いてあの国には入れないわよ。もしなんの対策もなく無理に入ろうとすれば、死ぬわね」


 想定よりも物騒な返答に、ヘルメスは思わず生唾を飲み込む。リコリスも不安げな顔でパーウォーを見上げた。


「ま、アンタたちなら入れるんじゃない? 守護石は持っているんだし。ただし辿り着ければ、の話だけどね」


 少し意地悪く笑ったパーウォーに対し、ヘルメスは居住まいを正すと深く頭を下げた。


「パーウォーさん。色々と、ありがとうございました」


 突然改まった態度をとったヘルメスに意表を突かれ、パーウォーは口を開けたままパチパチと瞬きを繰り返すという間抜けな顔を返してしまった。


「ちょっ、今生こんじょうの別れってわけじゃないんだから。そんな急に改まんないでよ、どうしちゃったの? あの口が悪い一言多いヘルメスちゃんが」

「口悪いのと一言多いは余計。あと、今生の別れのつもりもないから。ただ、けじめはちゃんとつけとこうと思っただけ」

「そ、そう? ならいいのだけど。で、今生の別れじゃないってのなら、迷いの森を抜ける当てはあるってこと?」

「あるよ。霧に追い返されさえしなければ。昔、父さんに教えてもらったから。父さんの母さんが残した、『妖精の抜け道』のこと」


 ヘルメスの返答に、パーウォーは「ああ」と納得する。

 

 妖精の抜け道

 

 極夜国の石人たちの中には、鎖国が始まってからも半身を求めて旅立つ者たちがいた。

 彼らは故郷を後にする時、森の中に自分だけの魔力の目印をつけていく。もう二度と戻ることができないかもしれない故郷へ、別離と愛惜あいせきを込めて。


「決して他の人には教えちゃいけないよって、死ぬ少し前に教えてくれたんだ」

「そう。なら、もう言うことはないわね。行きなさいヘルメス、アナタの望むままに」


 全てを包み込む慈母のような笑みを浮かべたパーウォーが指を鳴らす。すると次の瞬間、ヘルメスとリコリスは深い霧に沈む森の前に立っていた。


『ヘルメスちゃん、アンタの大事な愛車は預かっといてあげる。だから、必ず引き取りに来なさいよ』


 パーウォーのはなむけの言葉にうなずくと、ヘルメスはリコリスの手を取って森へ足を踏み入れようとした。と、その時、ヘルメスとリコリスの右目が鋭い痛みを訴える。


「待ってたぞ、薄汚いコソ泥野郎」


 少し離れた木の陰から、クルーデーリスが現れた。その後ろには、六人の男たちが控えている。


「うっわ、しつこいなぁ。発信機もないのに毎度よくわかるよね、僕たちの居場所」

「これがあるからな。どうやらこいつは、そこの化け物に引き寄せられるらしい」


 リコリスを一瞥し、ヘルメスに右手の籠手ガントレットを見せつけたクルーデーリス。そこに埋め込まれた呪いの瞳は、ヘルメスが前に見た時よりなお一層くらい光をたたえていた。


「せっかくだからさ、今日こそは商品説明してよ。それ、アンタのイチオシなんでしょ?」

「そうだな……じゃあ、死出の旅への土産みやげに教えてやるよ」


 ニタリと嫌らしい笑みを浮かべたクルーデーリスが、嘲りの目でリコリスを見る。リコリスは絶え間なく襲ってくる痛みと刷り込まれた恐怖でびくりと体を震わせ、すがるようにヘルメスの外套を掴んだ。


「まずこいつの原材料だが……核となったこの水晶。これはそこの化け物の父親の、成れの果てってやつだ」


 息を吞む気配にヘルメスが振り返る。するとそこには真っ青な顔でクルーデーリスを、正確にはその籠手の水晶を凝視するリコリスの姿があった。蒼白な顔はまるですべての感情が抜け落ちてしまったかのようで、氷の彫像のような様相がヘルメスをひどく落ち着かない気持ちにさせた。

 しかしクルーデーリスはヘルメスとは全く反対で、衝撃に口もきけないリコリスを見て残酷な笑みをますます深め、饒舌じょうぜつをふるい始めた。


「お前の母親、アワリティアの面汚しの女を捕まえた時に来たんだとよ。あまりにもうるさかったんで始末したって言ってたな。しっかし馬鹿だよなぁ、コイツ。女なんて見捨てて、さっさと自分だけ逃げりゃよかったのによ」

「黙れよ!」


 命がけで家族を助けに来たリコリスの父を嘲笑あざわらうクルーデーリスに、ヘルメスは心の底からの激しい怒りを覚えた。その怒りに呼応するように精霊たちがざわめき始めたのを感じ、ヘルメスは慌てて心を鎮めるために深呼吸する。

 その時、別の木陰からクルーデーリスの部下が二人飛び出してきた。ヘルメスがあっと思った時には二人の男はすでに目の前で、精霊を呼び出しても間に合わうかどうかという状況だった。


「……じゃえ」


 焦るヘルメスの中に、繋いだ手からぞわりとした冷たい氷のような魔力が流れ込んできた。


「だめだ、リコリ――」


 ヘルメスが静止の声をあげた時にはもう遅く、飛びかかってきた男たちは出てきた木陰より後ろまで吹き飛ばされていた。

 リコリスの魔力を得た精霊たちがたけり狂う。

 風と水は容赦なく男たちを切り裂き、土塊つちくれは逃げる男たちの足をからめとり、炎は全てを飲み込もうとその顎門あぎとを大きく開け踊り狂っていた。

 ヘルメスは振り返り、リコリスの肩を掴むと激しく揺する。


「リコリス! このままじゃ、みんな死んじゃう。それにいくらきみだってこんな無茶したら、すぐに魔力切れを起こす」


 ヘルメスの必死の説得に、うつむいていたリコリスが顔を上げた。その赤と金の瞳は涙にぬれ、怒りのためかまるで炎が宿ったかのように燃え上っていた。


「死んじゃえばいい。みんな、死んじゃえばいい。わたしから、全部とった。お母さんも、お父さんも、みんなみんなみんな! 死んじゃえ、みんな死んじゃえ‼」


 血を吐くようなリコリスの叫びに、ヘルメスの心までもが同調したようにきりきりと痛む。

 助けに来ない薄情な父だと誤解していた分、そのやり場のない気持ちが今のリコリスの怒りに上乗せされてしまっているのだろう。彼女は激しい癇癪を起こしていた。路地裏での暴走も結構なものだったが、今回の暴走は完全にそれを上回っている。

 あの時は頭突きでなんとか止められたが、今回はそれでおさまるかどうか。ヘルメスはどうにかしてこの事態を収拾するための策を考える。


「リコリス、お願いだから精霊たちみんなを止めて! 僕はきみもみんなも、人殺しになんてさせたくない。あんな奴らのために、リコリスの手も心も汚してほしくないんだ」

「わからない、の。どうしていいか、わからない。止まらない、の。心が、頭が、沸騰しそう」


 ヘルメスの胸に額をこすりつけるようにすがりつくリコリス。その姿に、ヘルメスの中で焦りだけが募ってゆく。どうしよう、どうすればいい、そればかりがヘルメスの頭の中をぐるぐると駆け巡る。

 刹那――後頭部にチリチリとした何かを感じ、ヘルメスはとっさにリコリスを抱えたまま地面へと伏せた。直後、ヘルメスの頭があった位置を、クルーデーリスの太い腕が通り過ぎて行った。


「ちっ、勘のいい奴め」


 ヘルメスが振り返ると、すぐ後ろにびしょぬれのクルーデーリスが立っていた。すぐさま立ち上がろうとしたヘルメスだったが、クルーデーリスの方が一歩早かった。クルーデーリスはうつぶせになっていたヘルメスの背に勢いよく足を下ろし、その場に縫いとめる。


「やっと捕まえたぞ、薄汚いコソ泥め」


 下にいるリコリスを傷つけないよう必死に腕を突っ張るヘルメスを、クルーデーリスは笑いながら幾度となく踏みつけた。真っ青な顔で見上げてくるリコリスにヘルメスはやせ我慢で笑顔を作ると、震える腕を無理やり奮い立たせる。


「ごめん、なさい。わたし……が、わたしの、せい」

「だい……じょう、ぶ。これくらい、なんともない。それより逃げ――」


 蹴るのに飽きたクルーデーリスは、ヘルメスの首を掴むと右手だけで軽々と持ち上げた。喉を締め付けられ、息を詰まらせるヘルメス。それを見たリコリスは助けようと、半狂乱でクルーデーリスに掴みかかった。


「離して、離してよ! やだ、ヘルメス‼」

「煩い、化け物。俺に……触るな!」


 クルーデーリスはまとわりつくリコリスを軽く振り払った。華奢なリコリスはそれだけで簡単に吹き飛び、あっけなく地面に叩きつけられる。けれどリコリスはすぐに立ち上がると、再びクルーデーリスに飛びついた。


「離せ! ヘルメス、離せ‼」

「触るなっつってんだろうが、この化け物が!」


 クルーデーリスは心底鬱陶しそうにリコリスを振り払った。精霊の暴走によってできた局地的な嵐の中、何度も何度も、振り払っても泥だらけになっても飛びついてくるリコリス。そのしつこさに、いい加減クルーデーリスの堪忍袋の緒が切れた。


「いい加減にしろ! 踊り狂え、ザラマンデ――」


 クルーデーリスが籠手の力を引き出そうと呪文キーワードを口にしたと同時に、ヘルメスとリコリスの右目に激痛がはしった。その痛みに耐えられず、二人は強く目を閉じる。

 次の瞬間、キーンという甲高い音があたりに鳴り響く。ヘルメスは自分を捕らえるクルーデーリスの右手、籠手の魔力が急激に跳ね上がったのを感じた。直後、首の後ろから熱風が押し寄せてきて――

 そして、クルーデーリスの右手が力を失った。同時にヘルメスは地面へと投げ出される。


 守護石の痛みから解放された二人が目を開けたその時――クルーデーリスの姿は、煙のように消えてしまっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る