13.継承者
「最初の
しかし、石の拒絶反応による生存時間の極端な短さ、そして被験者の精神をことごとく
その
「ねえ、ヘルメスちゃん。アナタが石の移植を受けたのって、いつ?」
「三年前。十四の時だよ」
「三年⁉ 一体どこの誰がそんな奇跡おこしたってのよ! 略奪者の寿命は石を移植されてから、個人差こそあれ三か月程度。それが三年って……」
嫌がるヘルメスの体をこれでもかと検分するパーウォーに、リコリスが「違う!」と叫んだ。
「ヘルメス略奪者、違う。だって、略奪して、ない」
珍しく語気を荒げるリコリスに、パーウォーが慌てて謝った。
「ああ、ごめんなさい、誤解しないで。略奪者っていうのはいわゆる通称で、ヘルメスちゃんを貶めるために言ったわけじゃないのよ」
「違う! 違う、違う、違う‼ ヘルメス略奪者、違う!」
考えをうまく口にすることができないもどかしさから癇癪をおこしたリコリス。それにヘルメスは困ったような微笑みを浮かべると、「落ち着いて、リコリス」となだめに入った。
「大丈夫、僕は大丈夫だから。それに、僕がトートから奪ったのは事実――」
「ヘルメス、バカ! 奪った違う。トート、ヘルメス、大好き。だから、生きて、ほしかった。わたしも、同じ。きっとヘルメス、助ける。わたしが、死んでも――」
「リコリス!」
ヘルメスはリコリスの華奢な両肩を掴むと、厳しい声で一喝した。
「リコリスが死ぬなんてそんなこと、絶対にだめだ! だったら僕が代わりに……」
そこまで言って、ヘルメスははっと口を閉ざした。そしてしばらく考え込むように固まっていたが、突然「そっか」とつぶやいた。
「奪ったんじゃなくて、与えられたんだ」
ぽろりと。涙が一粒、ヘルメスの水色の守護石からこぼれ落ちた。
「僕は……馬鹿だ。トートは、僕に与えてくれたんだ。だから僕は、略奪者にならなかった。トートは、僕が略奪者なんかにならないって知ってたんだ」
「石の持ち主が自ら与えることを望んだから、ヘルメスちゃんには拒絶反応が起きなかった……てこと?」
パーウォーの問いにうなずくと、ヘルメスはそのまま自分の顔を両手でおおった。
「トートがどんなに僕のことを愛してくれていたのか……今、やっと本当にわかった。僕がトートに言わなきゃいけなかったのは、『ごめんなさい』じゃなくて…………『ありがとう』だったんだ」
両手の間からこぼれ落ちるヘルメスの声はくぐもっていて、泣いているのがまるわかりだった。それでも男の意地なのか、ヘルメスは泣いているところを見せまいとリコリスに背を向ける。
けれどリコリスに少年のそんな繊細な心の機微などわかるはずもなく、幼子を慰めるようにヘルメスの後頭部をなでていた。
「
パーウォーのつぶやきに、リコリスが不思議そうな顔を向ける。ヘルメスもゴシゴシと腕で乱暴に目元をぬぐうと、パーウォーを見た。
「ほら、略奪者だと
「託された……継承者…………」
ヘルメスはぽかんとした顔でパーウォーの言葉を繰り返す。次いでうつむくと、ぎゅっと拳を握りしめた。そして顔を上げると、泣きそうな顔を無理やり笑顔にして笑った。
「継承者、悪くないね。……じゃあ僕はトートの分までめいっぱい長生きして、トートの目で色んなものを見て、そしていつかトートみたいな親バカな父親に――」
「バカね。それじゃお父さん、泣くわよ。ヘルメスちゃんのお父さんがアナタに託したのは、自分の人生の続きじゃない。希望よ」
「希望?」
「そ、希望。これはお節介な海の魔法使いからの贈り物。守護石、見せてもらったしね。代償はもらったから、あとは直接本人に聞いてらっしゃい。海の魔法使いパーウォーの名にかけ、ヘルメスに過去からの言葉を伝えることを誓う。泡沫の世界に祝福を」
誓約の言葉と同時に、パーウォーはヘルメスの額を人差し指でちょんと突いた。途端、ヘルメスは糸の切れた人形のように力なく崩れ落ちた。
※ ※ ※ ※
目を開けると、そこには見慣れたいつもの光景があった。
「あれ? 僕、いつの間に家に帰ってきたんだっけ……?」
トートお気に入りの革のソファの上で目をこすりながら、ヘルメスは寝ぼけ
小さな窓から差し込む白く眩しい陽光、ところどころでこぼこと曲線を描く真っ白な漆喰の壁、使い込まれた濃い
「おはよう、ヘルメス」
「トート⁉ なんで、だってトートは……」
慌てふためくヘルメスを見て、クスクスとおかしそうに笑うトート。彼は理解の追いつかないヘルメスの頭をそっとなでると、「大きくなりましたね」と微笑んだ。
「僕、夢……見てた、の? それとも、こっちが夢?」
「残念ですが、こちらが夢です。これは魔法使いが気まぐれに見せている、一時の夢。あなたの右目に残る私の魂の欠片を形にし、夢という形で見せているだけ」
「夢……そっか。でも、夢でもいい。トート、トート! ずっと謝りたかったんだ、ごめん、トート」
まるで子供返りしてしまったかのように泣きじゃくりながら、ヘルメスはトートにしがみついた。トートはそんなヘルメスを困ったように笑いながらも抱きしめ、あやすようにゆっくりと背中をなでる。
そうしてヘルメスの気が済むまで泣かせてやると、トートは「ヘルメスは相変わらず泣き虫ですね」と笑った。
「ち、違うよ! 今が特別なだけで、いつもこんなに泣くわけないだろ‼ 僕のこと、いくつだと思ってんだよ。もう十七だよ。人前でなんか泣かないよ」
「そうですよね、もう十七ですもんね。あの泣き虫で意地っ張りでちっちゃな子供だったヘルメスが……こんなに大きくなって。そういえばあの頃より、少しだけ声も低くなりましたね」
ヘルメスを見つめるトートの瞳はどこまでも優しくて、けれどとても寂しそうだった。
「ヘルメス。私はね、あの時あなたを助けることができて、本当に嬉しかったんですよ。ああ、亜人でよかったって。生まれて初めて、心の底から思いました」
「でも! だって、それでトートは……。僕は、悲しかった。僕のせいでどんどん弱ってくトートを見て、後悔と自分への怒りでぐちゃぐちゃで、でもせめて笑ってなきゃって」
「申し訳ありません。私の言葉は、あなたを縛る鎖になってしまったんですね」
「ちがっ、違う‼ トートは悪くない! だって、悪いのは全部僕だ。僕がちゃんとしてれば――」
なおも自分を責める言葉を言い募ろうとするヘルメスを、トートは強く抱きしめた。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい、ヘルメス。私のわがままで、あなたをこんなにも傷つけ苦しませてしまって……でも、あの時はそうせずにはいられなかった。いいえ、たとえ何度あの時を迎えようと、やっぱり私はあなたを助けてしまうでしょう」
自分を愛し守ってくれた温かな存在に、ヘルメスは幼子のように、ただただ強くすがりついた。この優しい夢から覚めれば失ってしまう温もりを、今は少しでも長く感じていたくて。
そんなヘルメスの背を優しくさすりながら、トートは子守唄を歌うように囁く。
「私のもとに来てくれて、ありがとう。私を父と呼んで愛してくれて、ありがとう。そして、私にあなたを助けさせてくれて、ありがとう」
トートの胸に頭をこすりつけ、その背に手を回し服をぎゅうと握りしめ、
「僕を受け入れてくれて、ありがとう。僕を息子と呼んで愛してくれて、ありがとう。そして、僕を助けてくれて、信じて、託してくれて……ありが、とう」
トートは何も言わずヘルメスをぎゅっと抱きしめた。ヘルメスももう何も言わず、ただトートを抱きしめ返した。
しばらくそうして互いの温もりを分け合っていた二人だったが、トートの「そろそろ時間です」という言葉で温かな時間は終わりを迎えた。
「最後に会えて、こうして話せて……とても、本当にとても嬉しかった」
笑顔で涙を流すトートに、ヘルメスもぼろぼろと涙をこぼしながら精一杯の笑顔を返す。
「僕ね、ちゃんと一人で料理できるようになったよ。もちろん洗濯だってばっちりだ。合成宝石だって作れるし、精霊たちとも仲良くやってる。あとね、好きな女の子もできたんだ」
「ええ、ずっと見ていました。もうすっかり一人前ですね」
「うん。僕はもう、大丈夫だよ」
しばし無言で見つめ合う二人。なかなかお互い言葉が切り出せないのは、次の言葉がおそらく最後になるだろうというのがわかっていたから。
「ヘルメス」
沈黙を破ったのは、やはりトートだった。彼は切なそうに目を細め、成長した我が子を改めてまじまじと見つめる。
「どうかあなたの思うように自由に生き、そして幸せになってください。あなたの未来は、あなただけのものです。だからどうか、決して贖罪なんかに費やさないでください。私の希望は、あなたが幸せに笑っていられる、そんな未来です」
ヘルメスはトートの言葉に、今度こそ満面の笑みで応えてみせた。
「うん。トートが呆れるほど、いっぱいいっぱい幸せになってみせるから。…………あと、今までたくさん心配させて、ごめんなさい」
「ふふ、心配するのも親の特権ですよ。ヘルメス……あなたと一緒にいられた時間、それは何にも代えがたい私の宝物でした。私を親にしてくれて、幸せにしてくれて……ありがとう」
ゆらりと空間が歪み、トートの姿が蜃気楼のように揺らぐ。
「僕も! トートと一緒にいられた時間、大切な宝物だったよ。めちゃくちゃ幸せだった。ありがとう……さよなら、父さん」
崩れゆく世界の中、最後にヘルメスが見たトートの顔は、この上なく幸せそうな笑顔だった。
※ ※ ※ ※
「ヘルメス!」
ヘルメスが目を開けた途端、リコリスが飛びつくようにのしかかってきた。
「あらあら、若いっていいわねぇ」
向かいの長椅子ではパーウォーがのんきにお茶を飲みながら、まるでじゃれあう子猫でもみるかのような微笑ましげな視線を二人に送っていた。
「この目に痛いけばけばしい部屋……そっか、戻ってきたんだ」
「相変わらず一言多い子ねぇ。で、どうだった?」
ティーカップをソーサーに置くと、パーウォーが問う。ヘルメスはソファに寝転がったまま右腕で目元を隠すと、一言、「ありがとう」とだけ答えた。
「そう。無事、悲劇の主人公の時間は終わったみたいね」
「うん、もう大丈夫。父さんと約束したからね、呆れるほど幸せになるって」
「そう。じゃあ、進みなさい。時間は有限なのだから」
パーウォーが手を叩くと、先ほどの茶色と白のクマのぬいぐるみが出てきた。それを見た途端、リコリスはヘルメスの上から跳ね起きると嬉しそうにぬいぐるみの方へと駆けていってしまった。そんなリコリスの反応に、ヘルメスはぬいぐるみに負けた気がして思わず苦笑いをこぼす。
「この子たちが部屋に案内するわ。今夜はもう遅いし、ゆっくり休みなさい」
「ねえパーウォーさん、この家の中の部屋って……」
「もちろん、ワタシの趣味全開よ。なによ、いいでしょう。ワタシが自分の家をどうしようと。何か文句でもあるの?」
「嬉しい! お姫様みたいな部屋、かわいい」
ぬいぐるみとじゃれていたリコリスが向けてきた嬉しそうな笑顔に、ヘルメスは喉元まで出かかっていた言葉をとっさに飲み込んだ。パーウォーの趣味は正直どうかと思うヘルメスだったが、リコリスが喜ぶのならと彼女の言葉を肯定する。
「キラキラのお部屋、かわいい、ね」
「ウン、カワイイネ」
「でしょー! やーっとヘルメスちゃんもわかってくれたのね」
好きな女の子を喜ばせることを優先した少年はその夜、フリフリとキラキラの洪水に沈むことになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます