12.略奪者
何もかも知ってる風な海の魔法使いを前に、ヘルメスは緊張から思わず生唾を飲み込む。ばさばさとしたつけまつげの奥にある海のような青の瞳は全てを見透かすようで、ヘルメスをひどく落ち着かなくさせた。
「助けてくれた代償……だよ、ね?」
緊張で硬くなった声で問うヘルメスに、しかし、パーウォーはゆっくりと首を振った。
「残念、はずれ。安心して、今回助けた分の代償はもういただいてるから」
パーウォーの答えを聞き、思わず安堵のため息をこぼしたヘルメス。リコリスは会話の意味がわからず、ただ二人の間に流れる緊張した雰囲気に不安そうに視線を揺らす。
「でも、代償って何を取ったの? 僕、全然覚えがないんだけど」
「んー……初々しい少年少女の甘酸っぱい会話?」
にやにやと楽しそうに笑うパーウォー。そんな彼を
「あーーー!」
突然叫ぶと慌ててカーゴパンツのポケットに手を突っ込み、そして呆然とパーウォーを見上げた。
取り出したのは、パーウォーから肌身離さず持っていろと渡された
「盗聴かぁぁぁぁ‼」
と、石に向かって大音量で叫んだ。すると同時に、目の前で「ぎゃっ!」という野太い悲鳴が上がった。
「ひどい、ヘルメスちゃん! もう、耳がきーんってなったじゃない」
ソファの上で巨体を縮こまらせ、両手で耳を押さえる女装のおっさん。実際はおっさんというほど年を取っているようには見えないが、ムカついたヘルメスはあえて心の中でおっさんと評していた。
仁王立ちしたヘルメスは、ソファの上で縮こまるパーウォーを冷たく見下ろす。リコリスは両耳を手で押さえながら、ただぽかんと目の前で対峙する二人を見ていた。
「ふ・ざ・け・ん・な! 盗聴なんて悪趣味なことするからだ」
「なによぅ、その盗聴のおかげでヘルメスちゃんたちの危機を救えたんじゃない」
「それは感謝する。だけど盗聴はやっぱムカつく。だから、この石は返す」
「えぇー。これからってとこなの――」
「か・え・す!」
パーウォーの言葉をさえぎり孔雀石をガラス張りのローテーブルの上に置くと、ヘルメスはムッとした顔でソファにどかりと腰を下ろした。
「わかったわよぉ、盗み聞きしたことは謝るわ。だから、そんなに怒らないでってばぁ」
くねくねと謝る大男の姿をこれ以上見たくなかったヘルメスは大きなため息をつくと、「もういいよ」と投げやりに謝罪を受け入れた。
「ありがと。だからヘルメスちゃん、好きよ。じゃあお詫びってことで、ヘルメスちゃんが知りたいこと、ワタシにわかることだったらなんでも答えてあ・げ・る」
「なんでも? 本当になんでも?」
「ワタシの生い立ちでも趣味でも、答えられることならね。さあ、遠慮しないでどーんと聞いて。ワタシ、これでも海の賢者とも呼ばれてるのよ」
ヘルメスはパーウォーの軽口を無視すると、ならばと、ずっと気になっていた疑問をぶつけた。
「なんでアワリティアは、リコリスを生かさず殺さず監禁してたのか。その理由、教えて」
アワリティアの人間はリコリスのことを
だからこそ、ヘルメスにはわからなかった。なぜそこまでしてリコリスを必要とするのか。あの強欲を絵に描いたような家の人々が、利益を生まない存在に
「ヘルメスちゃんてば真面目なんだからぁ。えーとね、たぶんだけど……リコリスちゃんの加護の力のせい、じゃないかしら」
少しだけ困ったような顔で答えたパーウォーに、ヘルメスは「加護の力?」と首をかしげてリコリスを見た。しかし当のリコリスも自分の加護は知らないようで、ヘルメス同様首をかしげていた。
するとパーウォーは「ちょっと待ってて」と部屋から出て行くと、すぐに何かの機械を持ってきた。
「これはね、石人の加護の力を知るための魔導機械」
パーウォーが持ってきたのは両手くらいの大きさの鉄の箱で、上半分には魔法陣とその中心に白い曇り硝子のような小さな石、下半分には液晶画面が嵌め込まれていた。
「この白い石、元は
クルーデーリスの持っていた
機械を作動させると白い石の部分をリコリスの左目、守護石にかざす。すぐにピッという音が聞こえ、パーウォーは液晶画面に目を落とした。
「やっぱりねぇ」
うんざりとした表情でつぶくと、液晶画面をヘルメスとリコリスの方に向けた。そこに記されていたのは――
『
それを見て、リコリスはただきょとんとするばかりだったが、ヘルメスの方は一気に顔を曇らせた。
「これが、リコリスがアワリティアに囚われてた理由なんだね」
眉間にしわをよせ、不機嫌そうに吐き捨てたヘルメスにパーウォーがうなずく。
「そ。アワリティアは、この繁栄の加護が欲しかったの。だからリコリスちゃんを生かさず殺さず閉じ込めてたワケ」
「じゃあ、アワリティア商会があそこまで大きくなったのって……」
「おそらく、この子の力のおかげでしょうね。リコリスちゃん、どうやら規格外の力を持っちゃってるみたい。すごいわね、下手したら本家の石人より強いくらいよ」
感心するパーウォーと苦々しい顔のヘルメス。そんな二人に見つめられ、リコリスはわけがわからず戸惑う。
「さて。じゃあ、ヘルメスちゃんのも見ちゃいましょうか」
あいさつを交わすくらいの軽いパーウォーの言葉にヘルメスは思わず動揺し、身構えてしまった。
ヘルメスは自分が石人の亜人だということを隠している。もちろん精霊が見えることも。それはパーウォーにも言ったことはないし、当然守護石の存在を明かしたこともない。
「なんで? だって、僕人間だよ。加護の力なんてあるわけないじゃん」
「嘘おっしゃい。だってアナタ、石人の亜人でしょう? それも、ただの亜人じゃない」
「な、に……言ってるんだよ」
何もかも見通すような深く青い瞳に見つめられ、ヘルメスは自分の顔が盛大に引きつるのを感じていた。しばらく無言で見つめ合っていたが、これ以上は誤魔化せないと観念すると、ヘルメスは大きなため息と一緒に自分のことを吐き出した。
「さすがは伝説の魔法使い、何でもお見通しってわけか。了解、降参だ。僕みたいな若輩者が、アンタみたいな
「あら、老獪だなんてひどい。ま、いいわ。さ、諦めたのならアナタの守護石、見せてちょうだい」
パーウォーに
現れたのは、赤黒く変色した肌の中で涼やかな虹色の光沢を放つ空色の水晶。
「
トートの瞳を褒められ、ヘルメスの顔が少しだけ綻ぶ。
「本当は半分当てずっぽうだったんだけど。ふーん、本当に守護石持ってたんだ」
「当てずっぽうだったのかよ! ほんと食えねぇな、アンタ」
「あら、半分って言ったでしょう。もう半分は、やっぱりって思ってたもの。なんて言うの? ヘルメスちゃんの気配って、人間とも亜人ともつかないっていうか……こう、人間の気配の中にちらっと亜人の気配が見えるっていうか……。ねえ、もしかしてもしかすると、なんだけど……」
歯切れ悪く言葉を濁すパーウォーは、何かを考え込むようにあごに手を当てる。そしてうつむけていた顔を上げると、ヘルメスを正面からまっすぐ見た。その瞳は真剣そのもので、先程までのからかうような色は微塵もない。
「ヘルメスちゃんのその目って、誰かから移植されたもの……じゃない?」
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ過去の痛みに捕らわれかけたヘルメスだったが、すぐに笑顔を貼りつけるとうなずいた。
「うん。僕の育ての親が、僕を救うためにくれたんだ。自分の命と引き換えにして」
「ヘルメス……」
知らず知らずのうちに固く握りしめられていたヘルメスの左手。その左手を、リコリスが小さな両手で包み込んでいた。ヘルメスは重ねられたリコリスの手に自分の右手を重ねると、「わかってる」と微笑みうなずいた。
「僕の育ての親……トートは石人の亜人で、そして優秀な精霊錬金術師だった。でも、事故で精霊熱傷を負った僕を助けるために、自分の守護石を……」
「そう。やっぱりアナタ……
ヘルメスは悲しげに小さくうなずいた。
「でも、初めて見たわ。狂ってない、しかも五体満足な略奪者なんて」
略奪者――
それはある一人の狂った男によって生み出された、歪でおぞましい
※ ※ ※ ※
ある日、彼の前に一人の少女が現れた。銀色の髪に
クピディタースは一目でその美しい少女の虜になった。そして彼女に求婚した。けれど、ハイドランジアはどれだけクピディタースが愛を囁いても、彼を見ることはなかった。
それもそのはず、ハイドランジアは半身を求め極夜国を出てきた石人。どんなに愛を囁かれようとも、半身でなければ意味がない。
そして皮肉なことに、クピディタースと知り合ったことにより、ハイドランジアは半身を見つけてしまった。
ハイドランジアの半身はクピディタースの部下の一人で、プルウィアという少年だった。
二人は出会った瞬間恋に落ちた。よりにもよって、クピディタースの目の前で。
クピディタースがどんなに愛を乞うても与えてくれなかった少女は、彼の目の前で、それもただの凡庸な少年にそれを与えた。そしてクピディタースには、初めての挫折と絶望を。
クピディタースはいわゆる天才だった。しかも公爵家嫡男で王家と血の繋がりもあり、さらには本人の容姿も非常に優れていたため、彼は挫折というものを経験したことがなかった。金も物も女も、彼が欲しいと言う前に皆、手の中に勝手に飛び込んできた。
そんな彼が初めて手に入れられなかったもの、それがハイドランジアだった。それは彼の自尊心をひどく傷つけ、初めての恋は執着と憎しみに塗り替えられ、醜く歪んでしまった。そして――
ハイドランジアとプルウィアの結婚式が挙げられるはずだったその日、一匹の怪物が誕生した。
二人の結婚式に突如現れたクピディタース。驚く二人の目の前で、彼は列席者を次々とその手にかけていった。淡々と、まるで作業のように。そして花嫁の目の前で花婿を殺すと、最後には花嫁をも殺した。
朱に染まった教会の中に一人立つクピディタース。ごうごうと燃え盛る炎の中、彼はおもむろに花嫁――ハイドランジア――を抱きよせると、その冷たくも美しい守護石にそっと口づけた。
そして蕩けるような笑みを浮かべた次の瞬間――クピディタースはハイドランジアの守護石をえぐり出し、それを自身の瞳と入れ替えた。
恨みを抱いて死んだ石人の瞳は強力な魔道具になる。けれど同時に、強烈な呪いもついてくる。そんな呪いの瞳を体に埋め込めばどうなるか……
百五十年前、たった一人の人造石人によって、王都コロナはその四分の一を焼失した。
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