5.現在の罰

 トートは傷ついたヘルメスを抱きかかえ、昔馴染みの医療魔術師の家へと走った。


「ミラビリス! 助けて、助けてください‼ ヘルメスが――」


 こじんまりとした一軒家。その年季の入った扉の前で、トートは馴染みの魔術師の名前を叫んだ。しばらくすると扉の向こうから騒がしい足音が聞こえてきて、勢いよく扉が開かれた。


「呼び鈴鳴らしなさいよ、呼び鈴! ……って、トート? やだ、ちょっと何で泣いてんのよ」


 号泣するトートを見て顔を引きつらせたのは、胡桃色のふわふわとした短いくせ毛に琥珀色の瞳をした、一見少年のような少女だった。


「助けてください! 調合の最中、誤って爆発で、ヘルメスが‼」

「落ち着きなさい! とにかく入って。応急処置は? 何の薬品浴びたの?」


 ミラビリスは恐慌状態のトートを一喝すると、すぐさま二人を家に迎え入れた。そして診察室に行くまでの間にトートからヘルメスの状況を聞き出し、診察室に入るなり処置を始めた。


「化学熱傷だけでもやっかいなのに、爆発に巻き込まれて驚いた火精霊たちの炎の熱傷もだなんて……」


 ミラビリスはてきぱきと治療を進めてはいたが、その表情は決して明るいものではなく。

 そしてトートにとっては永遠かと思われるような長い長い治療が終わると、診察室には顔の右半分を包帯で覆われベッドで昏々と眠るヘルメスと、疲れ切って椅子に座り込んだミラビリスが残った。

 ヘルメスの痛々しい姿に一瞬だけ悲しげな視線を落とすと、ミラビリスはトートに向き合う。


「トート、残念だけど……精霊に焼かれてしまったこの子の右目は、もう。おそらく、二度と光を見ることはできない。それどころかたぶん、このまま、目を覚ますことも…………」


 下された非情な宣告にトートは目を見開き絶句した後、ようやく絞り出した声でミラビリスに訴えた。


「そん……な。…………なんとか、なんとかならないんですか? だって、あなたは魔法使いの血をひく亜人で、優秀な医療魔術師でしょう⁉」

「無理言わないで! 化学熱傷の方はできうる限りの処置をしたけど、精霊熱傷の方は……。ごめんなさい。私には、どうすることもできない。人間が精霊の炎で焼かれてしまったら、もう、私には……」


 そこでミラビリスは一度深呼吸すると、錯乱して無茶を言うトートに努めて冷静に、そしていつもよりも静かな声でさとす。


「それにね、たとえ私が本物の魔法使いだったとしても、きっと無理。本当は、あなただってわかってるんでしょう? 魔法だって魔術や錬金術と同じ、万能じゃない。ましてや人間には、暴走した精霊によって負わされた傷の再生はもちろん、治癒でさえ無理だわ」


 ミラビリスの言葉にうつむき、黙り込んでしまったトート。狭い診察室の中を重苦しい沈黙が支配する。

 しばらくしておもむろに顔を上げたトートは、意を決したようにミラビリスを見た。


「普通の人間……じゃなければ、助かるんですよね?」

「まさか…………嫌だからね! トート、自分が何言おうとしてるのかわかってんの?」


 眉間にしわを寄せ、怒りをあらわにするミラビリス。しかし同時に、その顔には微かな悲しみも浮かんでいた。


「もちろん、わかっています。だからミラビリス。私はこれからあなたに、とても残酷なお願いをします。でも、どうかお願いします。だって、私はこの子の親なんです。親が子供を助けたい、そう思うのは当然でしょう?」


 そう言い切ったトートの顔はとても晴れやかで、ミラビリスはそんな彼を見て顔をくしゃりと歪めた。


「私には、親子の情なんてわかんないよ。それにあなたたち、本当の親子じゃ――」


 ミラビリスの言葉を遮さえぎり、トートは断言した。


「親子ですよ。種族とか血の繋がりなんて関係ない。私とヘルメスは、親子です」


 まっすぐ射貫くトートの眼差しを受け、ミラビリスは諦めたようにうつむき、首を振った。そして一言、「バカだよ、トートは……」と呟く。


「はい、すみません。でもね、ヘルメスに対しては私、どうしても親バカになっちゃうみたいです」


 トートは照れたような困ったような、けれどとても満足そうな笑みをミラビリスに返した。


 診察室のさらに奥、そこはミラビリス専用の手術室になっていた。

 今、その狭い部屋には二つのベッドが並べられ、それぞれにトートとヘルメスが横たわっていた。その二つのうちの一つ、トートが横たわる方のすぐそばにミラビリスが立つ。


「これが最後の確認よ。本当にいいの? 後悔しない? あなたの守護石を移植すれば、ヘルメスは助かるかもしれない。けど…………ねえ、本当にいいの? 石人の瞳を移植したら、ヘルメスはもしかしたら――」


 ミラビリスの言葉を遮り、トートは笑顔でその言葉を告げる。


「もしも、いつか私が困ったときは……一番の友人であり、未来の大先生のあなたに助けてもらうことにします」


 すると、ミラビリスはきつく拳をにぎりしめ、「ずるい……」と震える声で訴えた。


「ずるいよ、トート。今その約束を出すなんて……でも……それがどんな、ことでも。トートが……望む、なら」


 今にも泣きだしてしまいそうなミラビリスにトートは一言、こちらも泣きそうな顔で「ごめんなさい」と告げた。けれど、トートはすぐに温かないつもの笑顔を取り戻すと、ミラビリスへと言葉を重ねる。


「大丈夫。ヘルメスなら、大丈夫。だって私たちは、親子ですから。ヘルメスは略奪者プラエドーになんてなりませんよ」

「何を根拠に! それにトート、あなたは? だって、守護石を失った石人は……」

「守護石を失えば、石人の亜人である私は、遠からず死ぬでしょう。でも、そんなことは問題ありません。私はもう、十分生きました。友人はあなた以外とうの昔に旅立ち、その子らももういません。ええ、私は十分すぎるほど生きました。そんな私の残りの命、それを愛する息子のために使える。満足こそすれ、後悔なんてするはずないじゃないですか」


 揺るぎないトートの決意を前にして、ミラビリスはこれ以上の説得は無理だと断念した。それに、ヘルメスに残された時間も少なくなってきていた。


「わかった。でもねトート……ううん、ごめん。さ、手術、始めよっか」

「ごめんなさい、ミラビリス。……あなたの父には、なれなくて」


 何かを言いかけたミラビリスだったが、結局その口から言葉が紡がれることはなかった。そのまま彼女はヘルメスとトートに無痛魔術と睡眠魔術を施していく。


「言い訳になってしまいますが……でもね、ミラビリス。私は、あなたも……」


 魔術が効いて眠るトートを見下ろし、ミラビリスは震える声で呟いた。


「うん、わかってた。わかってたよ、トート。私こそ、ごめんね。本当はね、私も、そうなれたらいいなって思ってた。でも、私は……私の気持ちは……」


 ぽつりぽつりと、手術室に温かな雨が降っていた。



 ※ ※ ※ ※



「僕のこの右目はね、僕を助けるためなんかに、トートが自分の命と引き換えにくれたんだ」


 もうどうすることもできない過去に心をとばし、ヘルメスは苦しそうに笑った。

 すると次の瞬間、ヘルメスの右頬が優しい温もりに包まれる。


「なんか、なんて……言っちゃダメ、だよ。トート、泣いてる」

「……え?」


 リコリスの柔らかい指が、赤黒く変色したヘルメスの火傷痕をなぞる。そのとき感じた濡れた感触で、ヘルメスは初めて自分の右目から涙があふれていたことに気づいた。


「ね? トート、泣いてる。ヘルメスがそんなこと言うから、悲しいって」

「でも……だって! トートは、トートは僕のせいで死んだんだ‼ 僕のせいで、ミラビリス先生だって苦しんだ。僕が、僕さえいなければ――」


 過去の痛みに慟哭どうこくするヘルメスを、ふわりとした暖かくて柔らかいものが包み込んだ。


「でもね、ヘルメスいなかったら、わたし、ずっと一人……だった。死ぬまで、ずっと。あの部屋できっと、今も一人、だった」


 驚き言葉を失うヘルメスの耳元で、リコリスはたどたどしくも自分の正直な気持ちを語った。

 懸命に紡がれるリコリスの拙い言葉はゆっくりと、けれど確実にヘルメスの心にじわじわと染み込んでゆく。そして同時に思い出させる、トートの最後の言葉を。

 ヘルメスに守護石を移植した後、トートは徐々に弱っていき、結果として一年後に逝ってしまった。そんな最後の一年、ヘルメスはわずかな時間も惜しくて、とにかくトートと今まで以上にたくさんの話をした。

 トートは母の故郷の極夜国ノクスを見てみたかったこと、トートの父は優秀な錬金術師だったこと、石人の半身至上主義のこと、魔法使いの亜人であるミラビリスとの出会い、そして毎日のように、最期の時まで言っていた言葉――


『笑って、ヘルメス』


 トートの願い。だから、ヘルメスは笑った。どんなに辛くても悲しくても、トートが笑ってくれるなら、と。

 それなのに、ヘルメスを見るトートの笑顔はいつも悲しげで。そんなトートの笑顔を見るたび、ヘルメスは自分の至らなさを責めた。


「そうだ……僕は、笑ってなくちゃいけないんだ。僕が笑わないと、トートが悲しむから」


 そう、自らに言い聞かせるようにヘルメスがつぶやくと、リコリスはすかさず「違う」と首を横に振った。その度に彼女の綿毛のような髪の毛が首筋をなで、そのなんとも言えぬくすぐったさにヘルメスは思わず身をよじる。しかし思いの外リコリスの抱擁は力強く、無理に引きはがすこともできないヘルメスは、最終的には諦めて彼女の好きにさせた。


「それじゃトート、ずっと泣いた、まま。ヘルメスも、泣いた、まま」

「リコリス? ごめん、ちょっと意味が分からないんだけど……」

「ヘルメス、頭いいのに、バカ」

「えぇ⁉ 何、僕、もしかして怒られてる?」


 こくこくとリコリスがうなずくたびに首筋がくすぐられ、とうとうそのくすぐったさに耐えられなくなったヘルメスは「降参、降参だから」と笑いながらリコリスを引きはがした。

 なんとか距離を取ったものの、それでもいまだ互いの息遣いを感じられるほど密着している。その距離に、ヘルメスがなんとも言えぬ妙な居心地の悪さというか緊張を感じていると、目の前の金と赤の瞳が優しく細められた。


「ヘルメスは、そういう顔の方が、いい。自然。それに、ね? 涙、止まった」


 そう言ってリコリスが笑った瞬間、ヘルメスの鼓動は今までになく大きく跳ねあがった。

 出会ってからついさっきまで、リコリス相手にそんな風になったことなど一度もなかったというのに。それがなぜか急に動悸が止まらなくなり、顔も火照って仕方がない。ヘルメスはそんな自分の突然の変化に戸惑い、困ったような顔でリコリスを見た。


「どうしよう、リコリス。僕、なんかドキドキしてきた」

「ドキドキ? ヘルメス、怖いの?」

「ううん、違う。なんていうか、怖いとかそういうんじゃなくて。なんか、リコリスに見られてると僕、すっごくドキドキするみたい」


 ヘルメスの言葉をうまく理解することができなく、リコリスは怪訝そうに首をかしげる。


「僕、リコリスのこと好きになっちゃったかもしれない」

「……ん? わたしもヘルメス、好き」

「違う、違うよ! その好きじゃない‼ 何て言うか……半身、みたいな? そう、半身……半身?」


 ヘルメスは自分で言った『半身』という言葉に首をかしげる。

 と、その時、ヘルメスの脳裏に懐かしい声が蘇った。


『笑って、ヘルメス。そしていつか見つけて、あなただけの半身を。私以外の、真に心を許せる相手、共に未来を歩める相手を。私があなたにしてほしいのは、後悔や贖罪しょくざいなんかじゃありません。真に願うのは、この先もあなたが笑って、そして幸せに生きていってくれることです』


 そう、あの言葉には続きがあった。

 最後で最期、あの日、トートは困ったように微笑みながらヘルメスに言ったのだ。笑って、半身を見つけて、幸せに生きて、と。

 忘れていたわけではない。だからこそヘルメスは、できる限り笑みを絶やさないように暮らしていたのだ。トートの最期の願いを叶えるために、いつでもにこにこ人当たりよく、毎日をそれなりに楽しく、そして報復等を行う際は周りに一切悟られないように細心の注意を払って。


 けれどヘルメスには、精霊たち以外の心を許せる相手だけはできなかった。

 亜人であるトートに対する差別を見て育ったヘルメスには、心の底から人間を信じることはできなかった。もちろん人にも色々いるというのは頭ではわかっていたし、なによりそんな自分も人間だ。


 けれど、心が拒否した。


 だから人間の女の子相手にときめくなんて有り得なかったし、火傷痕のこともあって相手から好かれることもまずなかった。おかげで十七になった今も、ヘルメスは初恋というものを経験したことがない。

 けれど今日、今、それは訪れた。

 トートの瞳が導いてくれた、トートと同じ亜人の少女。


「見つけた……僕の半身。これでまた一つ、トートの願いが叶う」


 そんなどこか歪んだヘルメスのつぶやきに気づくことなく、リコリスはただ不思議そうに「はんしん?」とオウム返しした。

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