4.過去の罪

 ヘルメスの右目――その透き通る空色の瞳は、石人のみが持つ守護石だった。


「ヘルメス、も……同じ?」


 驚きに目を見張るリコリス。そんな彼女を見て、ヘルメスは少し悲しそうに笑った。


「うん、同じ。でもね、本当のことを言うときみと僕は違う。というより、僕だけが違うんだ。半分人間、半分石人っていうのは確かに同じ。だけどね、僕は略奪者プラエドーだから」

「ヘルメス、何言ってるかわからない。むずかしい」


 リコリスは眉を寄せると、理解できないという顔をした。そんな彼女の反応にヘルメスは少しだけ、ほんの少しだけ、また悲しそうに笑った。


「えっとね、リコリスは生まれた時から亜人だったでしょ? 僕はね、十四歳までは人間だったんだ」



 ※ ※ ※ ※



「師匠! ねえ、師匠ってば」


 雑然とした工房の中、銀の髪を後ろで一つに結った若い男がせわしなく動き回っていた。そんな男の後ろをついて回って話しかけているのは、頬を膨らませた赤毛の少年。


「ヘルメス、ちょっと今は手が離せないんです。話なら後で聞きますから」


 振り向いた銀髪の男は困り顔で微笑むと、赤毛の少年――ヘルメス――の頭にぽんぽんと手を置いてなだめた。


「子供扱いすんな! 僕だってもう十四なんだよ。錬金術のことだっていっぱい勉強したし、師匠の仕事も手伝えるってば。この前だって一人で電池作ったし、合成宝石だってもう作れるんだからな」

「ヘルメス…………あなた、また私のいない間に勝手に工房を使ったんですか? 何度も言っているでしょう、錬金術には危険が伴うんです。あなたが優秀なのは認めます。けれどその過信、いつか取り返しのつかないことになりますよ」


 普段は温厚な男が、厳しい顔でヘルメスを戒めた。しかし反抗期真っ最中のヘルメスには、そんな男の言葉も気持ちも届かない。さらに頬を膨らませ、「トートの分からず屋!」と言い放つと工房を飛び出してしまった。

 残された男――トート――はへにゃりと眉を八の字にすると、大きなため息を吐く。


「小さな頃はとっても素直で従順な子だったのに……。いえ、これも成長なのでしょう。私たちと違って、人間の成長はとても早いから。時々、心が追い付かなくなります」


 トートは心配そうに見上げてくるウンディーネに心配ないと微笑むと、天を仰ぐ。


「私が過保護すぎるのかもしれませんね。あの子も、もう十四。人間の世界ではそろそろ大人の仲間入りをする頃。それをいつまでも手元に置いておこうというのは私の我儘……ですよね。子離れ、する頃合いでしょうか。寂しいですが」


 トートが工房で寂寥感せきりょうかんに苛まれている頃、ヘルメスの方は子供扱いばかりする育ての親に対して不満を爆発させていた。


「トートのアホーーー‼」


 誰もいない砂浜、ヘルメスはそこでトートへの悪口をこれでもかと叫んでいた。そうやって思う存分叫び少しスッキリすると、そのままごろんと砂浜に寝転がった。そして考える。錬金術の師匠であり、育ての親でもあるトートのことを。


 元々、ヘルメスは孤児だった。

 どんな理由かなどヘルメスには知るよしもないが、とにかく捨てられていたのだ。ゴミのように。そんな死にかけていた子供を、たまたま通りかかったトートが気まぐれで拾った。

 だから、ヘルメスは怖かった。役に立たない子供では、いつかトートの気が変わった時に捨てられてしまうのではないかと。だから、必死で錬金術を学んだ。早くトートの役に立ちたくて、育ててもらった恩を返したくて。

 けれど、トートがヘルメスにやらせてくれるのは簡単な仕事ばかり。大変な仕事はトートが全て一人でやっていた。危険だと言って、ヘルメスには決して手伝わせてくれなかった。


「僕、信用されてないのかな……」


 トートは優しい。いや、優しすぎる。

 石人と人間の間に生まれた亜人というだけでいわれない差別を受けているというのに、わざわざ人間の子供を拾って育ててしまうくらいだ。そんなトートを、ヘルメスは救い難い底抜けのお人よしだと思っている。

 けれど、だからこそヘルメスは、いつまでも彼のお荷物でいたくなかった。与えられるばかりでなく、ヘルメスからも彼に何かを与え、そして守りたかった。


「余計なお世話……ってやつなのかな。トートには僕なんて、必要ないのかもしれない」

「何を馬鹿なことを言っているんですか」


 独り言に返事がきたことに驚き跳ね起きると、いつの間にかヘルメスの後ろにトートが膝を抱えてしゃがみこんでいた。


「げっ! トート、いつからそこに……?」

「信用されてないのかな……あたりからですね」


 真っ赤な顔で頭を抱えたヘルメスに、トートは口をへの字にしてぽこんと軽く拳骨を落とす。


「そもそも、信用していないのはヘルメスの方でしょう。あなた、私を何だと思っているんですか。私はあなたを利用するために拾ったんじゃないんですよ」

「だって! 僕、今のままじゃトートに迷惑しかかけてない。与えられるだけで、僕は何も……」


 うつむくヘルメスの頭に、今度は先ほどより少しだけ力が込められた拳骨が落とされる。


「何言ってるんですか。あなたは私に、たくさんの大切なものをくれたじゃないですか」


 トートの言葉に顔を上げたヘルメス。しかしその顔には『納得いかない』とはっきり書かれていた。


「でも僕があげた物なんて、肩たたき券とか下手くそな絵とか初めて作った合成宝石とか……」

「ふふ、懐かしいですね。今も全部大切にとってありますよ」

「ええ⁉ そんなもん捨てろよ! つか、肩たたき券とかさっさと使えよ‼」

「嫌ですよ! 捨てるなんてもってのほか、使うのも勿体ない。かわいい我が子の成長の軌跡ですよ」


 瞬間、ヘルメスの顔が今にも泣きだしそうにくしゃりと歪んだ。


「でも……僕とトートは、本当の親子じゃ、ない」


 拳を握りしめ、今にもこぼれてきそうな涙をこらえながら吐き出すヘルメス。


「僕は、偽物の何の役にも立たない子供だ! だから、なんでもいいから価値が欲しかった。トートのそばにいてもいい、その価――」


 ヘルメスが全てを言い切る前に三度目の拳骨が落ちた。しかも今度は前回、前々回と違い、本気の拳骨。


「いい加減になさい、ヘルメス。本当じゃないとか偽物とか、あなたのその言葉、それはあなた自身だけではなく、私をも侮辱しているんですよ」


 本気で怒るトートに、とうとうヘルメスから大粒の涙と本音がこぼれ落ちた。


「だって……アワリティアの馬鹿兄弟が言うんだ。本当の子供じゃない僕はトートのお荷物だって、役立たずのただ飯ぐらいだって。でも、本当だから。僕、言い返せなくて……悔しくて、いつかトートに要らないって言われるかもしれないのが怖くて…………」


 ヘルメスの顔はすでに涙と鼻水でぐしゃぐしゃだったが、それでも本人だけは必死に泣くまいと唇をかみしめていた。そんな意地っ張りな息子をそっと抱き寄せると、トートは「ごめんなさい」と囁いた。


「本当は、それだけじゃないですよね。私が亜人だから、そのことであなたまで色々と酷いことを言われたのでしょう? 私があなたの保護者になってしまったばかりに――」

「違う! 僕はトートでよかった。トートがいい! それに、そっちはちゃんと言い返した。トートのこと馬鹿にすんなって。あと、犬の糞仕込んだ落とし穴にも落としといた。トートのこと馬鹿にするやつ、僕、絶対許さない」


 その言葉にトートの口もとが緩み、かわりにヘルメスを抱きしめる腕の力が強まった。


「奇遇ですね。私もヘルメスを馬鹿にするような人は絶対に許しません。何時間でも話し合って、ヘルメスの良さをわからせてやります」

「うわっ、それはちょっと鬱陶うっとうしい……」


 ヘルメスの返しにトートはおかしそうに笑った。そしてヘルメスの肩に手を置くと、その目をまっすぐ見つめる。


「いいですか、ヘルメス。あなたがどんなに私のことを嫌ったって、私があなたを嫌いになることなんてありません。それともあなたは私の言葉よりも、その子たちの言葉の方を信じてしまうのですか?」


 トートの言葉にぶんぶんと頭が取れそうな勢いで首を振るヘルメスを、トートは「ありがとうございます」と言うと再び抱きしめた。


「さ、帰りましょう。あなたには明日から、本格的に私の仕事を手伝ってもらうんですから。あなたのことは、私がきっちりと一人前にします。愛する息子だとしても、錬金術の師匠としては手加減は一切しませんからね。覚悟、してください」


 "愛する息子"という言葉でまた泣きそうになったヘルメスは急いでトートの手を握り、潤んだ瞳をごまかすように大きなその手を引いてはしゃぐ。


「わかった! 僕、ちゃんと頑張るから。頑張って、早く一人前になって、トートに楽させてあげる!」

「頼もしいですね。でもヘルメス、いては事を仕損じるというでしょう? それに、父親として息子を一人前にするという私の楽しみを、そんなに短くしないでくださいよ」

「わかったよ。トー……じゃなくて、と…………父、さん!」


 人間と亜人――。

 まったく血のつながりのなかった二人はこの日、本当の親子になった。


 こうして次の日から、ヘルメスの錬金術師としての本格的な修業が始まった。今まで任されていた雑用とはまるで違うそれらは、ヘルメスの知的好奇心を大いに刺激した。

 乾いた砂が水を吸い込むように、ヘルメスは次々と知識と技術を習得していく。その怒涛どとうの勢いは頼もしくもあり、そしてわずか、ほんの少しだけトートの心に不安を抱かせた。


 けれど、そんなトートの予感とは裏腹に、毎日はつつがなく順調に過ぎていき……。


 トートの錬金工房は、普通の錬金工房とは少し違う。何が違うのかというと、それはひとえに精霊たちが存在するということであった。

 トートは石人と人間の間に生まれた半石人、いわゆる亜人。その確かな証として、彼の右目には涼やかな青の守護石が輝いている。そしてその守護石のおかげで、彼には精霊たちの姿が見え、その声が聞こえた。

 だから零細工房であるにもかかわらず、トートの工房は下手な大手よりも高度な錬成を行うことができた。


 ただし、普通の人間であるヘルメスには、トートのそばにいる精霊たちの姿を見ることはできなかった。だからその代わりに、ヘルメスは精霊の力を必要としない作業は何でもやった。材料や器具の用意や下準備はもちろん、機械式の炉や釜で行える錬成、薬剤の調合――

 そうやって自分のできる範囲内で、ヘルメスはトートと共にいくつもの仕事をこなしていった。それらはヘルメスに一人前の錬金術師としてのやりがいと自信を与えてくれると同時に、少しずつ少しずつ、ちりが積もるように慢心や油断も育んでいく。


 そして、終わりの日は唐突にやってきた。


 その日もいつも通り、何の滞りもなく作業は進んでいた。むしろ、いつもより順調すぎるくらいだった。だからだったのか、ヘルメスの中で少しずつ少しずつ育っていた慢心が、とうとうその首をもたげた。


「ヘルメス! それは――――」


 調合中のヘルメスに向かって放たれたトートの声。けれどそれは、突然起こった轟音ごうおんによってかき消されてしまった。次いで響き渡ったのは、ガラスの砕ける甲高い音に混ざったヘルメスの悲鳴。


「ヘルメス! 返事をしてください、ヘルメス‼」


 もうもうと煙る工房の中、トートの必死な声が虚しく響く。トートはグノームとウンディーネに鎮火の指示を、シルフには有毒な煙の拡散防止と安全な場所への廃棄の指示を出すと、直前までヘルメスが立っていた場所に走った。


「ヘルメス‼」


 そこには力なく床に横たわり、ピクリとも動かないヘルメスがいた。慌てて駆け寄り抱き起したトートの腕の中には、顔の右半分が焼けただれ、息も絶え絶えなヘルメスの無残な姿。


「ウンディーネ!」


 トートはウンディーネを呼び戻すとすぐさまヘルメスの火傷を洗い流し、応急処置を済ませるとそのままヘルメスを抱えて馴染みの医療魔術師のもとへと走った。

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