12.闖入者

 金属と金属がぶつかり合うような、まるで剣戟けんげきを振るっているかのような音がミオソティスの耳を打つ。

 遠いような近いようなそれは、暗闇の中を揺蕩たゆたうミオソティスの鼓膜をびりびりと揺らし、上へ上へと引き上げていく。

 ぼやけた視界に映ったのは――気を失う前に見た都合のいい幻などではなく、正真正銘、ただしミオソティスが見たこともないような険しい顔をしたオルロフだった。目覚めたミオソティスに気づくと、オルロフはいつも通りの皮肉気な笑みを浮かべた。


「ごめんな……さい」

「ばーか。ったく、そこは『ごめんなさい』じゃないだろう?」


 ミオソティスはいまだ覆面の男に捕らわれたままで、意識がない間はオルロフへの盾として使われていた。そうなると当然、ミオソティスを傷つけまいとするオルロフの剣筋はどうしても鈍くなってしまい、現状は覆面の男に押されている。しかも、ひょろりとした男とずんぐりとした男もナイフを構えていて、三対一に加え人質までいるという最悪の状況。


「オルロフ様、私のことは構わず――」

「構わないわけないだろうが、このバカ娘!」


 ミオソティスの「逃げてください」という言葉は、オルロフの怒号によってかき消された。

 それは出会ってから初めて見せたオルロフの本気の怒りで、そのはげしい怒気に気圧されたのか覆面男たちの動きも一瞬止まる。


「俺に言いたいことがあるんだろ? だったら、そんな簡単に諦めるな。後できっちり聞いてやるから、今はおとなしく俺に助けられろ」


 この不利な状況の中、それでも不敵な笑いを浮かべるオルロフ。

 勝算があるのか、ただの見栄か。それでもその凛とした姿を見ていると、ミオソティスの心も奮い立ってくる。


「ごちゃごちゃとうるさいんだよ、お前ら‼」


 それに激昂げきこうしたのは、ひょろりとした男。彼は怒鳴ると、覆面の男を見た。


「もういい、女は後で別のを調達する! ……タキシム、こいつらを始末しろ。ま、それで宝石の目ん玉は二つ手に入るしな」


 ひょろりとした男はにやりと嫌な笑みを浮かべると、覆面男に命令した。タキシムと呼ばれた覆面男はそれに無言で従い、暴れるミオソティスを抱えたまま後ろに大きく跳んだ。すぐさまオルロフもタキシムを追うが、そこへずんぐりとした男が邪魔しに入る。


「退け、邪魔だ‼」


 オルロフは一振りで男を払い除け、そのままタキシムに迫った。しかし、その一瞬の隙はミオソティスの命を奪うのに十分な時間を与えてしまった。

 白い首筋に添えられた鈍色にびいろの無慈悲な刃、それが引かれようとしたまさにその瞬間――――


「嘘だろ⁉ まさか森の中にまでいるなんて!」


 まだ少し高めの、少年の声が響いた。霧の中から唐突に現れたのは、赤毛の人間の少年と白髪の石人らしき少女。

 少年は男たちを見て構えると、いきなり懐に手を突っ込んだ。それを見たひょろりとした男が「動くな」と怒鳴ったが時すでに遅く、少年は赤く光る石を掲げると同時に叫んだ。


「来てくれ、ザラマンデル!」


 少年の掲げた赤く光る石から飛び出した炎の塊がまっすぐにタキシムへと向かう。その尋常じんじょうではない炎に危険を察したタキシムは、盾代わりとばかりにミオソティスを炎へ向かって突き飛ばした。


「ミオソティス!」


 ――――もう駄目だ。

 そう思って目をつぶった瞬間、ミオソティスは温かい何かに包みこまれた。


「怪我はないか?」


 耳元で囁かれた声にはいつものような皮肉な色は一切なく、ただひたすらにミオソティスを心配するものだった。


「オル……ロフ、さま」


 大きな手が、子供をあやすように背中をぽんぽんと叩く。すると、それまで緊張して固まっていたミオソティスの体から一気に力が抜け、まるで腰が抜けたような状態になってしまった。手にも足にも力が入らず、オルロフに抱えられていなければ立っていられない有様だ。


「ご、ごめんなさい。ちょっと腰が抜けてしまったみたいで……」

「気にするな。それより怪我は……ああ、頬が腫れてしまっているな」


 まるで壊れものでも扱うかのような手つきで腫れた頬に触れると、オルロフは辛そうな表情でミオソティスを見つめる。いつものオルロフとは全く違うその姿に、ミオソティスの心臓はものすごい勢いで鼓動を刻み始めた。

 けれどそのどきどきは、瞬時に違うどきどきになる。闖入者たちに向けられた、オルロフの顔によって。

 無表情だった。炎に追われる男たちを見るオルロフの目は、まるでゴミでも見ているかのよう。そのあまりの冷たさに、ミオソティスも思わず身震いしてしまった。

 そしてミオソティスを片腕で抱き抱えたまま、オルロフは男たちの方へと向き直る。


「消え去れ‼」


 オルロフの魔力を込めた一声がその場を支配した。すると、それまで縦横無尽に暴れまわっていた炎は瞬時に掻き消え、全員がぎょっとした顔でこちらに振り返った。


「どうやって人間がこの森に入り込んできたのかは、だいたい察しがついている。おそらくだが、まがい物の石に魔力を注ぎ込んで、人工的に消去の力を付加した模造守護石イミテーションでも作り出したのだろう」


 オルロフの言葉に、ひょろりとした男とずんぐりとした男の肩が跳ねる。少年の方も驚いたような顔をしていた。そんな彼らに向かって、オルロフは手の平を向けて左手を突き出した。


「そんな紛い物で極夜国へ入ろうなど、笑止しょうし沙汰さた。……砕け散れ、偽物め‼」


 オルロフが叫んだ直後、人間たちの方からパンッという紙風船が破裂するような音がいくつも聞こえてきた。


「おい……嘘、だろ? わざわざ大金はたいて作ったってのに、なんで……なんで、曲がりなりにも金剛石ダイヤが、風船みたいに簡単に砕けるんだよ‼」


 ひょろりとした男が膝から崩れ落ちる。ずんぐりとした男の方は、「あ、兄貴ぃ」と情けない声をあげ、ひょろりとした男にすがりついていた。


「なんなんだよ……お前も、お前も、お前も、お前も‼ ふざけんな! タキシム、全員殺せ! 一人残らずぶっ殺せ‼」


 ひょろりとした男はオルロフ、ミオソティス、少年、少女、それぞれを順番に指さすと、口の端から泡を飛ばしながらタキシムに命令を下した。


「タキシム! てめぇ、何ぼさっと突っ立ってんだよ! さっさと殺せっつってんだろ‼」


 今までずっと従順に、黙々と命令に従っていたタキシム。けれどなぜか、今はまったく動かない。ただじっとその場に立ち尽くしたまま、ひょろりとした男を見つめている。


「なんでだよ、なんで動かねぇんだよ……って、あ」


 ひょろりとした男は慌てて懐に手を入れると、震える手で黒い石ブラックオニキスがはめ込まれた護符タリスマンを取り出した。そして小さく息をのむと、真っ青な顔でタキシムを見上げる。砕けた黒い石がはまった護符を握りしめ、恐怖に染まりきった顔で。


「あ、兄貴、これ! どどど、どうするんだよ⁉ これじゃ、あいつを制御でき――――」


 ずんぐりとした男が全てを言い終わる前に、タキシムが動いた。それは瞬き一つ分の時間で、そのあまりの早業に誰一人としてその場を動けなかった。

 首と胴が生き別れになった男は真っ赤な血を噴水のように放出しながら、どうっとその場に崩れ落ちる。隣でその返り血を浴びているひょろりとした男はもはや放心状態で、ひっひっと笑い声のようなものをもらしながら引きつった笑顔でタキシムを見上げていた。

 そしてタキシムが腕を振り上げた瞬間、ひょろりとした男もずんぐりとした男と同じ運命を辿った。



 辺りには生臭い血の匂いが充満し、地面は真っ赤に染まっていた。

 オルロフはミオソティスを守るように前に立ち、無言でタキシムと対峙する。少年も少女を守るように立ち、タキシムを睨みつけていた。

 それぞれ決死の覚悟でタキシムの前に立ちはだかった二人だったが、幸運なことにその悲壮な覚悟は徒労に終わることとなった。

 タキシムは二人の男を殺すとそのまま動かなくなり、さらさらと砂のように崩れさってしまったから。


 結果、広場にはミオソティスとオルロフ、赤毛の少年と白髪の少女の四人が残された。


「人間、一体何が目的でここへ来た」


 オルロフは少年を睨みつけると、ぞんざいな口調で話しかけた。少年はそんなオルロフの態度に特に気を悪くすることもなく、オルロフをまっすぐ見上げると口を開いた。


「僕たち……いや、この子を極夜国ノクスに連れて行ってあげたかったんだ」

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