11.侵入者

 アルビジアの説教を受け、ミオソティスは己の不甲斐なさを改めて思い知らされた。と同時に、いつまでもこんな情けない姉の姿を妹に見せていられない、という気持ちもわいてきた。


「ごめんなさい、ジア。私、今度こそ頑張ってみる。もう、恋愛小説参考書には頼らないわ」

「うん、応援してるからね。それと、ティスは考えすぎると明後日な方向に暴走するから、いっそ感情のままに動いた方がいいと思うわ」

「頼りない姉でごめんなさい。……ありがとう、ジア」

「どういたしまして。でもね、私、ティスにこんな風に頼られたの初めてだったから、実はけっこう嬉しかったのよ。だから、これからも遠慮なんてしないで、どんどん頼ってね」


 頼もしい妹の言葉に励まされ、ミオソティスは意地を張るのをやめることにした。そして決意する。今までの冗談半分の言葉ではなく、心からの言葉できちんと伝えよう、と。

 ミオソティスはすくっと立ち上がると、アルビジアに一言「行ってくる」とだけ残し、書庫を飛び出した。



 ※ ※ ※ ※



「おかしいな……。オルロフ様、今日はこのあたりには来ていないのかしら?」


 今日は何度森に入っても、元の場所に戻ってきてしまう。前はそれなりの確率で会えていたのだが、この一か月の間に状況が変わってしまったのかもしれないと思うと、ミオソティスは段々と不安になってきた。


 以前、オルロフは自分のことを墓守だと言っていた。ただし墓守とは言っても、彼が守っている墓は特別なもので、普通の墓守とは全然違うとも言っていた。

 ほぼ毎日のように森の中の墓を巡回していると言っていたのに、今日はまるで会えない。一か月前までは当たり前のように会えたというのに。もしかしたらオルロフは墓守を辞めてしまったのではないか、ミオソティスを避けているのではないか、そんな考えが次々と頭の中に浮かんでくる。


「ダメ、ダメダメダメ! 考えちゃだめよ、ミオソティス。私が考えるとろくなことにならないって、ジアが言ってたじゃない。こんなところで立ち止まって考えてるくらいなら、何も考えず足を動かすのよ‼」


 自分で自分を叱咤しながら半分以上やけくそで、本日何度目かわからない森に足を踏み入れた。

 瞬間、ミオソティスの背筋をぞわりとしたものが駆け抜ける。慌てて周りを見渡してみるが、見えるのは霧に覆われた硝子の木々だけ。いつもとなんら変わりない風景のはずなのに、ミオソティスにはなんだかとても嫌な感じがした。

 ミオソティスの直感は、「今すぐ森を出ろ」と言っている。しかし、こんな時に限って迷いの森はその効力を発揮せず、ミオソティスを奥へ奥へと誘う。進むにつれ早くなる鼓動はもはや早鐘のようで、手のひらは冷や汗でじっとりと湿っていた。

 森に充満する嫌な空気に、ミオソティスの思考はいやおうでも悪い方向へ引きずられていく。もしかして、オルロフの身に何かあったのではないか。そう思い始めると、早歩きだった足はいつの間にか駆け出していて、ついにはスカートがはだける勢いで全力疾走していた。


 そして唐突に辺りの霧が晴れ、ミオソティスの目の前を大きな人影が遮った。


「オルロフ様!」


 やっと会えた、その喜びで顔を上げたミオソティス。けれど一転、その顔は瞬時に曇る。


「へえ、これが純粋な石妖精ってやつか。混ざりもんの亜人どもは知ってたが、本物は初めて見たな」


 今、ミオソティスの目の前にいるのは、極夜国では決して見るはずがない男。にやにやと見下ろしてくる男は――


 人間


 極夜国が鎖国することになった、その原因の種族。この世界において、もっとも数の多い種族。


「違うよ、兄貴。石妖精じゃなくて、石人いしびと。石妖精は俗称」


 ミオソティスの前に現れた人間は一人ではなく、彼のそばにはさらに二人の男たちが立っていた。

 目の前の金髪のひょろりとした若い男、そしてその隣に立つ金髪のずんぐりした若い男。二人はとても似ているので、おそらく血縁なのだろう、とミオソティスは思った。

 そしてもう一人は、その二人の後ろに付き従うように立つ、顔の大半を布で隠した黒ずくめの男。


「あ? ま、どっちだって構やしねぇよ」


 ずんぐりした男の訂正を興味なさそうに聞き流すと、ひょろりとした男は改めて値踏みするようにミオソティスを見下ろした。そしてにやにやと嫌な笑いを浮かべると、おもむろに手を伸ばしてきた。

 どう見ても友好的には見えない男たちの態度に、ミオソティスの心は激しく警鐘を鳴らしていた。逃げろ、逃げろ、とにかく逃げろ、と。ひょろりとした男の手から逃れ、二、三歩後退あとずさりしたところで踵を返すと、ミオソティスは一気に走り出した。


「おいおい、人の顔見ていきなり逃げ出すなんてひどくないか?」


 逃げ出そうとしたミオソティスの腕を易々と掴むと、ひょろりとした男は鼻で笑った。


「離して、離してください!」


 男の手を振りほどこうとミオソティスは力いっぱいもがいたが、力のなさそうな外見とはいえ相手は青年。ミオソティスの力では、男の手はびくともしなかった。それでもなんとか逃げようともがくミオソティスに、男たちは猫なで声で話しかけてきた。


「なあ、お嬢さん。いったい何をそんなに怯えてるんだい? 俺たちがあんたに何をしたっていうんだよ」

「俺たち道に迷っちまってなぁ。ちょいとあんたに道を聞きたいだけなんだよ」


 にやにや、にやにや――。悪意を隠さない笑顔に挟まれ、ミオソティスは完全に恐慌状態に陥っていた。

 腕は掴まれたままで、しかもいつの間にか男たちに挟まれてしまっている。今ここから、ミオソティスだけの力で脱出するのは不可能だ。ならばなんとか隙を作ろうと、ミオソティスはひとまず男たちに従うふりをすることにした。


「わかりました。ではまず、腕を離してください。お話はそれからです」


 小娘の一人くらいすぐに捕まえる自信があるのだろう、ひょろりとした男はあっさりと手を離した。ただし男たちの立ち位置は、ミオソティスの逃亡を防ぐような形だったが。


「道に迷われたとおっしゃっていましたが、いったいどちらへ行かれるおつもりだったのですか?」


 掴まれた手首をさすりながら、なるべく侮られないようにとミオソティスは懸命に虚勢をはった。そんなミオソティスに、ずんぐりした方がにやつきながら言う。


「なに、ちょいと極夜国ノクスまでね」


 それはまるで、ちょいとその辺まで、とでもいうかのような軽いものだった。そんな男のふざけた態度に、ミオソティスは思い切り眉をひそめる。


「ご自分が何をおっしゃったのか、ご理解しているのですか? あなた方は人間ですよね。極夜国は現在鎖国中です。あなたがおっしゃったのは――密入国しに来た――ということですよ」


 男たちの行動をとがめるミオソティスに、彼らは罪悪感皆無のにやけ顔を返す。しゃくに障るその余裕な態度は、男たちが最初からミオソティスを逃がすつもりなどなかったのだと物語っていた。

 逃がさないつもりだというのなら、彼らは自分をどうしようというのだろうか。人質? 商品? それとも……考えても考えても、ミオソティスの頭の中には悪いことしか浮かんでこない。


「なあ、兄貴。もう、こいつでいいんじゃね? 見た目だって悪かないし、何より若い女だ。条件は満たしてる」

「あぁ? 俺としてはもっと色っぽい方が好みなんだがな。ま、せっかくこんなとこをうろつく物好きを見つけたんだ。極夜国くんだりまで行ってさらってくるなんて危ない橋、わざわざ渡る必要もないか」


 ずんぐりとした男が嬉しそうに提案すると、ひょろりとした男は渋々ながら同意した。

 男たちの会話の下劣な内容に、ミオソティスの顔からざっと血の気が引いてゆく。このままこの男たちに捕らえられたら最後、きっと死ぬまで搾取される。その最悪な未来予想図に居ても立っても居られなくなり、ミオソティスは男たちから少しでも離れたくて、無意識のうちに後退りしてしまっていた。


 にやにやといやらしい笑みを浮かべた二人の男からただ逃れたくて、ミオソティスは震える足で少しずつ後退する。目を逸らしたらその瞬間にでも彼らに捕まってしまうような気がして、怖いのに、全力で逃げたいのに、目を逸らせなかった。

 けれど、そんな哀れな窮鼠きゅうその逃亡劇は、あっけなく幕を下ろした。

 いつの間にか後ろに回り込んでいた三人目の男が、容赦なくミオソティスの片腕を捩じり上げたからだ。


「やだ、離して、離してったら‼ 助けて、誰か――」


 まるで氷のような冷たい手に掴まれ、ミオソティスは恐怖のあまり半狂乱で助けを求めた。

 誰か――そう叫んだ瞬間、ミオソティスの脳裏に浮かんだ顔は…………


「オル……ロフ、さま」


 最愛の妹ではなく、優しい両親でもなく――――口が悪くて、意地悪な王子様の姿だった。


「離して、離してよ! 私はオルロフ様に会わなきゃいけないの。会って、言わなきゃいけないことがあるのよ‼」


 もがき叫ぶミオソティスだったが、屈強な男の力に為す術なく軽々と引きずられてゆく。それでも叫ぶのをやめないのに苛ついたひょろりとした男は、ミオソティスの頬を容赦なくはたいた。


「うるさい、黙れ! ぎゃあぎゃあと耳障りなんだよ。おいお前、こいつを黙らせろ」


 ひょろりとした男が覆面の男に命令した。すると覆面の男は無言でミオソティスの首に腕を食い込ませ、そのままぎりぎりと締め上げ始める。

 声を出すことはおろか息をすることもままならず、ミオソティスの視界は瞬く間に薄闇に覆われていく。そして意識が落ちる寸前、ミオソティスは幻を見た。


 とても都合のよい、思わず笑みがこぼれてしまうような幻を――

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