10.若きミオソティスの悩み

 屋敷に帰ってきたミオソティスは心配そうなアルビジアに断りを入れると、そのまま自分の部屋に直行した。アルビジアに相談しようにも、まだミオソティス自身の気持ちの整理もついておらず、先に混乱した頭の中を整理したかったからというのもあったのだが、とにかく今は一人になりたいと思った。


 ミオソティスはドレスのまま寝台に倒れこむと、目を閉じて今夜のことを思い返す。

 マルカジットの思わせぶりな言葉、いつにも増して意地の悪かったオルロフ、やたら感情的だった自分。

 さっきまでのミオソティスはかなり情緒不安定で、それは自分でもわかっていた。そして、その不安定の原因がオルロフだということも。


 ――素直に認めろって。お前、俺のことが好きなんだろう?


 頭の中でオルロフの声が再生される。

 熱くなってきた顔を枕にうずめ、ミオソティスは思った。もしかしたら自分は、いつの間にか本当にオルロフのことが好きになってしまっていたのかもしれない、と。


 ミオソティスは恋をしたことがない。だから恋とか、男の人への好きというものが、どんな感情なのかわからなかった。

 本で読んでなんとなく知ったような気にはなっていたが、本当のところはよくわかっていなかった。だからミオソティスの中で恋とは、物語のように甘く幸せなものというイメージで、王子様は決して意地悪なことなどしないものだった。

 それが実際に会った王子様はとても意地悪で、けれど、ミオソティスはそんな彼と話すのが嫌いではなかった。むしろ、軽口の応酬を楽しいとさえ感じていた。


「わからない……これも、好きっていう気持ちなの?」


 声に出してみると、そういうものなのかもしれないと思えてくる。

 ミオソティスは枕を抱きしめると、服がしわになるのも構わずベッドの上で転がった。そして端からどさりと絨毯の上に落ちると、そのまま仰向けの状態でぼうっと天井を見つめる。


「でも……私は本当に、純粋にオルロフ様のことが好きなの?」


 ミオソティスは当初、オルロフの加護の力だけが目的だった。

 あくまで自分のため。だから最初は、オルロフの気持ちなど全然考えていなかった。そうでなければ、あんなにも軽く「結婚して」などと言えない。まだオルロフに気持ちがなかったから、自分の力さえ消してもらえればそれでよかったから、だから相手の気持ちも自分の気持ちも、まったく考えていなかった。

 ミオソティスは床に転がったまま、再び枕に顔をうずめる。


「最低だ、私」


 くぐもった呟きと乾いた笑いが枕に吸い込まれる。

 そもそも、本当に自分はオルロフのことを好きなのだろうか? 本当はオルロフの力を利用したいけど、それだけではあんまりだから、好きだと錯覚しているだけではないのか? もしくは初めて出会った忘却の力が効かない人だったから、それで執着しているだけなのではないのか?

 嫌な考えばかりが次々と浮かんできて、考えても考えても、ミオソティスの思考は袋小路に行き当たる。


「わからない……好きって、どんな気持ち?」


 ふと、ミオソティスの脳裏にロートゥスの顔が浮かんだ。

 オルロフと踊っていた時のとろけそうな微笑み、薔薇色に染まった頬、離れた時の切なげな瞳……

 あの時のロートゥスこそまさに、ミオソティスの中の恋する乙女そのものだった。それにひきかえ、ミオソティスがオルロフにとった態度といえば、嫌味と暴言。

 ミオソティスの中で、恋というものがますますわからなくなっていく。ロートゥスとは全然違う、今のこのミオソティスの気持ちも恋なのだろうか? だとしたら全然甘くもないし幸せでもないし、むしろミオソティスには苦しいことの方が多いと思えた。


「……もう無理。今はこれ以上考えられないし、答えが出る気もしない」



 ※ ※ ※ ※



 翌日から、ミオソティスは屋敷の書庫に引きこもった。そして、日課だった迷いの森散歩に行かなくなって一ヶ月――


「ティス、今日も行かないの?」

「うん」


 引きこもるミオソティスを心配してか、アルビジアも時間が許す限り書庫に来ていた。

 周りに無数の本を積み上げ、光苔の明かりの下で黙々と本を読むミオソティス。そんなミオソティスを呆れたように眺めながら、それでも隣に寄り添うアルビジア。


「しっかしまた、よくもこんなに恋愛小説ばかり取り寄せたわね」


 積まれた本を適当にパラパラとめくりながら、アルビジアはうんざりしたような声で呟いた。


「すごいでしょ。今日やっと届いたの。今、人間の世界で流行っている物語なんですって。今まで家にあったのは百年以上前のお母さまの集めたものだけだったから、ちょっと心許こころもとなかったのよね」


 アルビジアと喋りながらもミオソティスの視線は本に落とされたままで、指は次々とページをめくっていく。


「でもよかったわ、虎目石タイガーズアイ商会の隊商の出発日に注文が間に合って。人間の世界の物を取り扱ってるのは、あそこだけだから」

「まあ、極夜国ノクスは鎖国中だしね。唯一認められている虎目石商会以外は、迷いの森を抜ける許可も手段も持ってないし」


 再び二人の間に沈黙がおり、書庫にはミオソティスの本をめくる音だけが響く。しばらくすると手持無沙汰になったのか、アルビジアがミオソティスに話しかけてきた。


「で、参考になったの?」

「そうね。やっぱり百年前のものよりも種類が増えていたし、とても参考になったわ」


 そう言って持っていた本をぱたんと閉じると、ミオソティスはアルビジアに笑顔で答えた。


「じゃあ、これで納得できたでしょ? だから言ったじゃない、ティスは殿下に恋したんだって」


 呆れのため息をつくと、アルビジアはきっぱりと言い切った。それにミオソティスは口をとがらせ、不本意といわんばかりの顔を返す。


「……認めたくなかったけど。ジアの言った通り、私はオルロフ様が好き……なんだと思う」

「じゃあ、なんで会いに行かないのよ。好きなら会いに行けばいいじゃない。どうせ迷いの森うろうろしているんでしょ、あの暇人王子。なんでか知らないけど、ティスだけはあの森で殿下のところにたどり着けるんだから、行けばいいじゃない」


 ぐいぐいと迫ってくるアルビジアに押され気味のミオソティスだったが、それでも首を縦には振らなかった。むしろ、かたくなに拒んだ。


「好きなんでしょ? それなのに、なんで何もしないのよ! そんなんじゃ蓮華姫に殿下取られたって、ティスには文句を言う資格さえないわよ」


 興奮して声を荒げるアルビジアに、ミオソティスも負けじと叫んだ。


「無理だよ! だって、私は惹かれあう二人を邪魔する当て馬だもの‼」


 アルビジアは思わず「はぁ?」という気の抜けた声をもらし、次いでかわいそうな子を見るような目でミオソティスを見た。そしてさっきまでミオソティスが読んでいた本を手に取るとパラパラと流し読みし、最後に大きな、とても大きなため息を吐き出した。


「ティスの思い込みが激しいのは知ってたけど……ない、これはないわ」


 そのまま頭を抱えて机に突っ伏してしまったアルビジア。目の前の妹が何をそこまで嘆いているのかわからなかったミオソティスは、彼女が顔を上げてくれるのをしょんぼりと待っていた。


「ジア? ねえ、ジアってば」


 待ちきれなくなり、ミオソティスは隣で突っ伏す妹の肩を軽く揺らす。しかし、アルビジアは微動だにしない。そんな妹の様子にミオソティスがオロオロし始めた時、やっと、そして唐突にアルビジアが顔を上げた。そして無表情でミオソティスの肩を掴むと、次の瞬間、「この、おバカー‼」と叫んだ。


「このバカ、バカティス! 何でそんな結論に達したのよ‼ これは物語、作り物なの。いくら今のティスたちに状況が似ていようが、全くの別物なの」

「で、でも――」

「でももだってもない! 好きって自覚したんでしょ? だったらまずは行動しなさい。行動して、それでもだめだったら、その時は私が責任もって慰めてあげる。それに宣戦布告しちゃったんでしょ、『貴方の方から愛を請わせてみせる』って」


 ミオソティスは眉を曇らせると、すがるようにアルビジアを見た。


「だって、私、自分の力をなくしたいって目的でオルロフ様に近づいたんだよ。オルロフ様の気持ちなんて全然考えないで、自分のことばっかりでしつこくつきまとったんだよ。それに私は、ロートゥス様みたいに純粋な気持ちじゃないんだと思う。なのに……」


 気づいてしまったかつての自分の行動への罪悪感から、ミオソティスはオルロフへの自分の気持ちを受け入れることができていなかった。

 だからオルロフのことを純粋に慕っているロートゥスを見て、そんな彼女に優しく接していたオルロフを見て、ミオソティスは自分には無理だと、あの場所に立つ資格はないと思ってしまった。


「きっかけなんてなんでもいいの! 好きなんでしょう? だったら逃げないで戦いなさい‼ 欲しいもののために努力するのは、人として当たり前のことだわ。そこから逃げたら、欲しいものは一生手に入らないままよ」


 そこにはもう、あの甘えん坊だったはずの妹の姿はなかった。どうやらアルビジアはこと恋愛方面においては、その儚げな見た目とは似ても似つかない苛烈な性質たちのようだった。

 そんな妹の迫力に気圧され、ミオソティスは思わず「はい‼」といい返事をしてしまっていた。

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