9.恋の戯れ

 なぜ、唐突にそんな話になったのか。ミオソティスはほうけたように、ぽかんとマルカジットを見上げた。


「あの、マルカジット様……何がそれならばで、どうしてそこからお付き合いすることになるんですか?」

「だって、ミオソティスは殿下に感じるもやもやとした気持ちの正体を知りたいのでしょう? でしたら、まずはもっと色々な人と交流を深めるべきだと思います。貴女は人と関わることを、どこか諦めているように見えます。浅い付き合いならば問題なさそうですが、深く関わり始めると、途端に経験不足が浮き彫りになる」


 マルカジットの鋭い観察眼に、ミオソティスは舌を巻いた。何度会っても忘れてしまうから、彼にとってはミオソティスと会うのは今日が初めてだろうに、よくそこまでわかるものだと感心せずにいられなかった。だからか、マルカジットになら全て打ち明けてもいいのではないか? と、ミオソティスは思えてきた。


「……そう、ですね。確かに私は、人と深く付き合ったことがありません。いえ、付き合えないのです。マルカジット様は私の守護石のこと、ご存知ですか?」

黒曜石オブシディアン……いや、黒瑪瑙ブラックオニキス?」


 ミオソティスは静かに首を横に振ると、意を決しマルカジットを見上げた。


黒玉ジェット、です。私の家名はフォシル。名前の通り、化石の家系なんです。もちろん違う者もおりますが、私たち一族は化石系の守護石を持つ者が多いのです」


 ミオソティスの言葉にマルカジットは、「ああ、琥珀姫の」と呟いた。そしてまじまじとミオソティスの姿を眺めると、一人納得するように頷く。


「確かに琥珀姫と貴女は似ています。なるほど、名前を聞いたことがあるはずだ。貴女があの有名な隠れ姫だったとは。でも、私は隠れ姫の姿を知らなかったのに、なぜ貴女がミオソティスだとわかったんでしょう?」


 首をかしげながら、マルカジットは不思議そうな顔であごに手を当てた。


「なぜマルカジット様が私の名前を言い当てられたのかは、私にもわかりません。だって、私のことを貴方が覚えているはずないのですから」

「覚えているはずない……ということは、やはり私たちはどこかで会ったことがあったのですか?」


 困り顔で問いかけるマルカジットに、ミオソティスは悲し気な微笑みを返すと、そっとうなずく。


「私の守護石の力は、忘却。他人の記憶から私を削り取る力。望むと望まないとにかかわらず、守護石をさらしている限りは止められない力。だから、マルカジット様が私を覚えていないのは当然なのです」


 ミオソティスの告白に、マルカジットはやっと得心がいったという顔をした。


「これでやっとすっきりしました。ずっと気になっていたんです、貴女に感じた既視感の正体。やはり、私たちは会ったことがあったのですね」

「……はい。何度もお会いしたことがあります。マルカジット様にはそのたびに親切にしていただいて、とても感謝しておりました」

「全然覚えていないけど、どういたしまして。それでミオソティス、先ほどの答えだけど……」


 ミオソティスは姿勢を正すと、マルカジットをまっすぐ見つめた。


「私は確かに、マルカジット様のことを好ましいと思っております。けれどそれは、あくまで友人として、です」


 ミオソティスの答えに、マルカジットは「友人かぁ」と苦笑いする。そして何を思ったのか、「じゃあ、仕方ないか」と呟くと、突然断りもなしにミオソティスの腰に手をまわし、抱き寄せた。

 マルカジットのらしくない行動に焦ったミオソティスは反射的に腕を突っ張り、すぐさま距離を取ろうとした。


「何をなさるのですか⁉ こういうことは、冗談でもやめてください」

「うん、ごめんね。ちょっと試したいことがあったんだ」


 わけのわからないことを言うと、マルカジットはあっさりとミオソティスを解放した。真っ赤な顔で抗議するミオソティスに、笑いながら「ごめんごめん」と軽く謝ると、マルカジットは大広間の中央の方にちらっと目をやった。ミオソティスもつられるようにそちらを見ると、そこには面白くなさそうな顔をしたオルロフがいた。

 マルカジットは笑いを堪えながらミオソティスの耳元で囁く。


「男にはね、好きな子の気を引きたくて、つい意地悪してしまうやつもそれなりにいるんだ。けっして褒められたことではないけど、そういうやつもいるんだってこと、ちょっとだけ覚えておいてあげて」


 マルカジットの言葉の意味がうまく読み取れず、ミオソティスはキョトンとした顔で彼を見上げた。そんなミオソティスに「頑張ってね」と言い残すと、マルカジットはそのまま人々の中に消えていった。


「大丈夫だった? マルカジット様に言い寄られてたように見えたんだけど」


 不意に後ろから声をかけられ、驚いたミオソティスは思わず飛び上がってしまった。振り返ると、そこには心配そうな顔をしたアルビジアがいた。


「ジアか、びっくりしたぁ。どうしたの、一休み?」

「違うわよ。ティスが困ってそうだったから、助け船出そうかと思って来たんだけど……大丈夫だったみたいね。まあ、マルカジット様は無理強いするような方じゃないから、大丈夫だとは思っていたけど」


 わざわざ駆けつけてくれたアルビジアを心配させないよう、ミオソティスは精一杯明るく振る舞う。


「ありがとう。ごめんね、心配かけて。でも、もう大丈夫だから。そういえば、ジアは今夜こそ運命の人、見つけられたの?」

「残念ながら今日も収穫なし……って、私のことはいいのよ! それより、ティスの方はどうなったの? オルロフ殿下にダンス、誘われてたじゃない」


 オルロフの話題にならないよう、それとなくはぐらかそうとしたミオソティスの思惑は通じなかったようで。アルビジアは期待に満ちた目で成果を聞いてきた。


「あー……うん、ごめんね。ジアの期待に応えられるような成果は、あげられなかった」

「そっか。まあ、仕方ないわ。なら、また別の作戦を立てるまでよ」


 二人がそれまでのことを話していると、急にまわりがざわつき始めた。何事かと大広間の中央に顔を向ければ、そこには楽しげに踊るロートゥスとオルロフがいた。

 愛おしげにオルロフを見つめるロートゥスは、本当に物語の中のお姫様みたいだとミオソティスは思った。そしてそんな彼女に優しく笑いかけるオルロフは、正真正銘の王子様。

 まるで最初からついとしてあつらえられたような二人の姿に、ミオソティスの心臓はぎゅうっと掴まれたかのように痛んだ。

 すると、痛む胸を押さえながら二人を見ていたミオソティスに、オルロフは「ほらな」とでもいうような得意気な視線を送ってきた。けれどそのオルロフの視線の意味はミオソティスに伝わることはなく、ただただ彼女の悲しみを募らせてしまった。


 ――私にはあんなに優しい顔をしてくれることなんて滅多にないのに、わざわざそれを見せつけるなんて。


 そう思うと涙がこぼれそうになり、ミオソティスはオルロフに背を向けると、大広間から逃げ出した。


「待って、待ってってば、ティス!」


 慌てて追いかけてきたアルビジアに腕を掴まれ、ミオソティスは玄関広間ホールでようやく足を止めた。普段そんなに走ることなどない二人は息を弾ませ、しばらくは喋ることもできず、ひたすら息を整えていた。

 そこへ馬車が到着し、ミオソティスはアルビジアに促されるまま無言で乗り込む。馬車に乗った二人は一言も発することなく、ただ静かに寄り添いながら帰途についた。

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