8.わからない気持ち

 会場内はオルロフの消滅の力の支配下で、ミオソティスの忘却の力が発揮されない。だからいつものように適当な理由でダンスの誘いを断ることもできず、ミオソティスは気が進まないままマルカジットの手を取った。


 最初はあまり乗り気ではなかったミオソティスだったが、マルカジットの紳士的な態度と巧みな話術に少しずつ心が軽くなってきていた。


「憂い顔の貴女もとても素敵ですが……。何かお悩みですか? 私でよろしければ、相談に乗りましょうか」


 いつかの夜会と同じようなやりとりに、ミオソティスは思わずといった風に笑みをこぼす。


「ありがとうございます。マルカジット様は本当にお優しい方ですね。でも、大丈夫です。それに今日のはまだ私自身にもよくわかっていないので、相談しようにもできないのです」

「もしかして恋のお悩みですか? もしそうなのならば、そのお相手には妬けますね」

「違います! もう、なんでみんなそうやってすぐ恋に結び付けるのかしら」

「ふふ、やはり貴女には憂い顔より、生き生きとした表情の方が似合っていますよ」

「もう! からかわないでください」


 頬を赤くしてふくれるミオソティスを慈しむように見つめるマルカジット。そんな二人の様子ははたから見ると、まるで初々しい恋人同士のよう。


 周りからそんな風に見られているとは露知らず、ミオソティスはマルカジットと軽口の応酬をしながら踊っていた。そして曲が終わり、一休みしようとマルカジットと共にホールの端へと向かっていたミオソティスの前を大きな影が遮った。


「お嬢さん、よろしければ私とも一曲お相手願えないだろうか?」


そこにいたのは、綺麗だけど作り物めいた笑みをたたえたオルロフだった。嘘っぽい王子様スマイルのオルロフを見て、ミオソティスは一瞬だけ眉をひそめる。けれど瞬時に淑女の笑みに切り替え、「喜んで」と何でもないかのようにその手を取った。

 そんなミオソティスを見てマルカジットは心配そうに眉を下げ、「大丈夫?」と目で問いかけてきた。そんな彼にミオソティスも目で心配ないことを伝えると、そのままオルロフと共に大広間の中央に向かう。

 短い距離の間に注がれる無数の視線。その好奇に満ちた視線の数々に、自分の隣に立つこの人は、本当に王子様なのだなとミオソティスは改めて思い知らされた。


 やがて曲が始まり、二人は踊りだす。顔には穏やかな笑みを浮かべ、さも楽しそうに。


「お前、何いきなり雲隠れしてるんだよ。いつも相手してやってんだから、せめて挨拶くらい来い」

「それはそれは、大、変、申し訳ございませんでした。殿下には日頃から『ちんちくりん』だの『お子様体型』だの、それはもう、本っ当にお世話になっております」

「なんだ? 急に森に来なくなったかと思えば、今度は会ったら会ったでやけに突っかかってくるな」


 ミオソティスとて本当はこんなことを言うつもりはなかったのだが、オルロフの意地の悪い物言いについ言い返してしまっていた。このままだとまた余計なことを言ってしまいそうだったので、ミオソティスはとっさに話の矛先を別に向けようと話題を振った。


「それより、いいのですか? 私なんかと踊っていて」

「私なんかって、どういう意味だ?」

「ロートゥス様ですよ。彼女、引く手数多なんですから、私みたいなのに構っていたら、あっという間に誰かに取られてしまいますよ」


 ただし、選んだ話題が悪かった。

 胡散臭い作り笑いは綺麗に消え去り、今、オルロフが浮かべているのは満面の笑み。ただし、それは迷いの森でいつも見せていた、ミオソティスをからかう時の意地の悪い笑顔だった。


「へぇ……お前みたいなお子様でも、一丁前に妬いたりするんだな」


 ミオソティスは言われた内容が瞬時に理解できず、数秒呆けた後、顔を真っ赤にしてオルロフにかみついた。


「な、なんで私が貴方にやきもちなんて妬くのよ!」

「気づいてなかったのか? お前、ずっと俺のこと目で追ってたぞ。しかも、俺がほかの女といるのが嫌だって顔してた」

「そ、そんな顔してない! 私は……そう、ロートゥス様を見ていたのよ。オルロフ様なんて見てないわ。自惚れないで」


 熱を持った頬を隠すように、必死に顔を背けるミオソティス。そんな熟れた林檎のような少女を見下ろすオルロフの顔にはいつものような厳めしさはなく、まるでお気に入りの玩具で遊ぶ少年のような笑顔さえ浮かんでいた。


「素直に認めろって。お前、俺のことが好きなんだろう?」


 オルロフのからかいの言葉にミオソティスは思いのほか動揺し、思考が停止してしまった。そんな固まってしまったミオソティスの様子を周囲に悟られないよう、オルロフは彼女の体を巧みに操りダンスを続ける。


「お前は俺のことが好きだから、ロートゥスと一緒にいた俺が気に入らなかったんじゃないのか?」

「ば、ばば、馬鹿じゃないですか⁉ 私はロートゥス様の胸元を見てだらしなく鼻の下を伸ばしていたオルロフ様に幻滅しただけです。そう、それだけです!」


 思考停止から復活したミオソティスは、オルロフに向かってほとんどいちゃもんのような文句をぶつけた。しかしオルロフはそれを余裕綽々よゆうしゃくしゃくの態度で受け流し、余計にミオソティスの怒りを煽る。


「いやいや、怒ってただろ? それに俺のことが好きじゃないんなら、俺が誰の身体を見て欲情しようが、お前には関係ないと思うんだが」

「それは……」


 オルロフの反論に何も言い返せなくなり、悔しそうに下を向くミオソティス。

 確かに恋人でもなんでもないミオソティスが、オルロフに文句を言う筋合いはない。そもそもなぜこんなにも苛々するのか、その理由がミオソティス自身にもわからない。だから考えれば考えるほどミオソティスの思考はどつぼにはまり、ますます反論できなくなっていた。

 すると何も喋らなくなったミオソティスが面白くないのか、オルロフがいつものように失礼なことを言ってきた。


「まあ、安心しろ。俺はお子様には欲情しないからな。だが――」


 胸元を見下ろしながら放たれたオルロフの言葉に、とうとうミオソティスの堪忍袋の緒が切れた。ゆっくりと顔を上げるミオソティス。その表情こそ満面の笑みだったが、目だけはまったく笑っていなかった。


「でしたらこんなところでお子様体型のちんちくりんなど相手にしていないで、さっさとロートゥス様でも誰でも、オルロフ様の大好きな胸の大っきな女性を口説きに行けばよろしいじゃないですか」


 完全に怒ってしまったミオソティスを見て、さすがに口が過ぎたことを後悔しオルロフが謝ろうとしたその時、ちょうど曲が終わりを告げてしまった。

 「それでは御健闘をお祈りしておりますね」と笑顔で言い放つと、ミオソティスは引き留めようとしたオルロフの手をすり抜け、話しかけるなという雰囲気を放ちながら、人の森の中へと消えてしまった。

 

 そんな二人のやり取りを周囲は微笑ましいといったていで見守っていたが、ただ一つ、夜明けの色を持つ瞳だけが冷冷と見つめていた。



 ※ ※ ※ ※



 つい感情のままオルロフに怒りをぶつけてきてしまったミオソティスだったが、しばらくすると今度は後悔に苛まれていた。

 仮にも王子相手に暴言を吐き、思い切り怒りをぶつけてきてしまった。ここは森じゃなく王宮で、誰が見ているかもわからないというのに。ただでさえ、先ほどまで注目を浴びていたというのに、ミオソティスは己の堪え性のなさに思わず大きなため息をもらしてしまった。はっとして慌てて周りを見渡したが、どうやらもう誰もミオソティスのことを見ていなかったようで、今度は安堵のため息をもらす。


「殿下と何かあったのですか?」


 ほっとしたところでかけられた声に、ミオソティスは危うく悲鳴をあげそうになってしまった。どきどきする胸をおさえながら振り向くと、そこにいたのはマルカジットだった。


「ああ、マルカジット様でしたのね。申し訳ありません、少しぼうっとしていたので。大げさに驚いてしまって、本当に申し訳ありませんでした」

「いえ、こちらこそ申し訳ありません。まさかそんなに驚かせてしまうとは思わなくて。次からはレディにお声をかけさせていただく時には、もっと存在感を出すように心がけます。お望みならば、歌でも歌いながら登場しましょうか?」


 冗談で場を和ませようとしてくれるマルカジットに、ささくれだっていたミオソティスの気持ちが少しだけ和らぐ。


 マルカジットは忘れてしまっているが、ミオソティスは何度も彼と話しているため、彼に対していつの間にか妙な親近感を覚えていた。だからなのか、ミオソティスはマルカジット相手にはつい色々喋ってしまう。

 そんなミオソティスの話を聞き終わると、「それは殿下が悪いですね」とマルカジットは苦笑いした。


「やっぱり男の人は、胸の大きな女性の方が好きなのかしら」

「どうでしょうねぇ。人それぞれですからなんとも言えませんが、私はそんな些細な事は気にしませんね。まあなんと言うか、殿下はまだまだお子様だということです」


 ミオソティスから見ればオルロフでも十分大人だというのに、それを軽く子供扱いしてしまうマルカジットには尊敬の眼差しを送らざるを得なかった。そんなミオソティスにマルカジットは少し困ったように微笑むと、「私が欲しいのは、そういう気持ちじゃないんですけどねぇ」と独り言のように呟いた。


「ねえ、ミオソティス。それならば、いっそ私とお付き合いしてみませんか?」

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