7.夜明け
ミオソティスが迷いの森に通うようになってそろそろ半月が過ぎようとする頃、フォシル家に一通の招待状が届いた。差出人の名前は――オルロフ・グラフェン・アダマス――
「ティス、好機到来ね!」
「落ち着いて、ジア。この招待状、一体何人に送られていると思っているの? そもそも王家主催の夜会で、特に力も強くないうちみたいな伯爵家の者が、王子様となんてお近づきになれるわけないでしょう」
「何言ってるの! ティスは初めて王家の夜会に招待されたのよ。きっと殿下がティスのことを見初めて、お披露目するために招待したのよ」
「招待されたのは私だけじゃないでしょ。ジアだって招待されているのよ」
ミオソティスは妙な妄想を始めたアルビジアをなだめながら、送られてきた招待状をまじまじと見つめた。
あのオルロフが夜会を開くなんて、一体どんな心境の変化があったのだろうか? ミオソティスはこの半月の間オルロフと毎日のように会っていたが、彼から夜会の話など聞いたことがなかった。むしろ、そういう
「でも、オルロフ殿下が夜会を開くなんて初めてなんじゃない? 私、ティスの話でしか殿下のこと知らないから、今からすごく楽しみだわ。それになにより、ティスと一緒に参加できるなんて! 殿下の消滅の力ってすごいのね!」
はしゃぐアルビジアとは裏腹に、ミオソティスは手の中の招待状を睨む。
「あのオルロフ様が夜会……一体何の企み、じゃなくて目的なのかしら?」
「んー……普通に考えたらお嫁さん探し、とか?」
何気なく放たれたアルビジアの呟きに、ミオソティスが固まった。
お嫁さん探し
もしかして毎日のように押しかけるミオソティスに嫌気がさし、オルロフはとうとう自分の半身を本格的に探し始めたのだろうか? もともとの動機が不純な上、オルロフの好みとは程遠いミオソティスが、本気で邪魔になってきたのではないだろうか?
そんな考えが次々と頭の中に浮かんできて、ミオソティスはオルロフに会うのが急に怖くなってきた。
「私、行かない」
「は⁉ 何言ってるの、そんなのダメに決まってるでしょう。王子様からの招待なんて、そんなのほぼ強制参加に決まってるでしょ。……まったく。そんな顔して、今度は一体どんな変なこと考えてるの?」
アルビジアは呆れ顔でミオソティスの両頬をつまみ、無理やり口角を上げる。そして「ほら、言ってみなさい」と微笑むと、ミオソティスの頬を解放した。
にこにこと笑ってはいたが、アルビジアの目は「さっさと白状しろ」と言っている。
「私、本当はオルロフ様に嫌われてるのかもしれない」
「何で? 殿下がそう言ったの?」
「違うけど……でも、きっとそうだよ。オルロフ様と軽口のやり取りをするのが思いの外楽しくって、私、しつこくつきまとっちゃったから。きっと、本当は迷惑だったんだわ」
蒼白な顔で頭を抱えたミオソティスに、アルビジアは苦笑いを浮かべる。
「あのね、もし本当に迷惑だったのなら、殿下だってお忙しい身でわざわざティスの軽口なんかに付き合ってくれないと思うけど。それに、口説き落としてみろっていわれたんでしょう? もし本当に迷惑に思っていたのなら、わざわざそんなこと言わないわよ」
「そう……かな? 本当に私、迷惑じゃなかったのかな?」
「大丈夫、大丈夫。それより本気で殿下をおとしたいんだったら、とりあえず殿下の好みに近づけるとかした方がいいんじゃないかな。ティス、聞いたことある?」
「あるけど…………私じゃ、多分無理」
「ふーん。ちなみに殿下の好みって?」
アルビジアの問いにミオソティスは遠い目で答えた。
「肉感的で抱き心地のいい妖艶な美女。だから私みたいなお子様体型には、今のところ興味ないって……」
ミオソティスの答えを聞いた瞬間、アルビジアの顔が引きつった。
「へぇ…………その言葉、ちょっと聞き捨てならないわね」
「ジ、ジア?」
「お子様体型ですって? いい? 私たちみたいなのはね、華奢で守ってあげたい清楚な美少女と言うのよ! 見てらっしゃい。私が長年培った寄せて上げる技術で、夜会では殿下に目に物見せてあげるわ‼」
隣で高らかに笑い始めたアルビジアに若干引きながら、ミオソティスはもう一度招待状を見てため息をついた。
※ ※ ※ ※
招待状が届いた日から、ミオソティスは森へ行かなくなった。正確には『行けなく』なった。森へ行こうとすると急に怖気づき、足が動かなくなってしまうのだ。
もしもオルロフに会って、本人の口から「迷惑だ」と直接言われたらと思うと、ミオソティスの足は
「さあ、行くわよ。ティス、今夜はこれで殿下を見返してやりなさい!」
「無理、無理無理無理! この服、胸元空き過ぎ‼ こんなの、とてもじゃないけど人前に出られないよ」
胸元を隠すように腕を交差させたミオソティスは、真っ赤な顔でアルビジアに泣きついていた。普段肌の露出の少ないものを好むミオソティスにとって、首から胸元を大きくさらけ出し胸を強調する
「何言ってるの、これくらい普通よ。さあ、私が苦心して作ったその谷間、世の華奢な女性を馬鹿にした殿下に見せつけてやりなさい!」
「絶対いや! そんなに見返したいのならジアが行けばいいじゃない」
「私が行ってどうするのよ。ティス、眼帯外して。さあ、行くわよ」
結局、問答無用のアルビジアに馬車から引きずり降ろされ、ミオソティスは半泣きで王宮に連行されることとなった。
会場の
ミオソティスとアルビジアが会場に入りしばらくすると、急に周囲がざわつき始めた。どうやら主催者たちが姿を現したらしく、会場に妙な緊張感が漂い始める。
オルロフの加護の力は消滅。それは一時的とはいえ、加護の力を完全に消し去る力。招待客には事前に知らされていたとはいえ、やはり皆の緊張は否応無しに高まってゆく。
「いよいよ殿下のお出ましね。負けちゃだめよ、ティス」
「負けるって、誰に?」
含みのあるアルビジアの言葉に、ミオソティスは首を傾げる。と、その時、オルロフが美しい女性を伴って登場した。
光苔の灯りにほんのりと浮かび上がるのは、艶やかな
さらに彼女は、遠目から見ても一目でわかるくらい女性らしい、
ただ一点気になるのは、彼女の髪を彩る黄水仙の花。確かに極夜国では宝石よりも生花の方が珍しい。けれど、今の季節は夏。普通ならば、冬の花である水仙が咲いている時期ではない。
「
アルビジアの声で我に返り、ミオソティスは自分がロートゥスを穴が開きそうなほど凝視していたことに気づいた。慌てて焦点をロートゥス一人から、オルロフとロートゥスの二人に合わせる。
頬を薔薇色に染め、蕩けるような瞳でオルロフを見つめるロートゥス。そんな彼女を
二人の姿は、まるでおとぎ話の中の王子様と王女様のようで……
迷いの森で自分に見せる意地悪な姿とは似ても似つかないオルロフの姿に、ミオソティスの胸は小さな、けれど鋭い痛みを感じていた。
最初のダンスが終わり、大広間の中は徐々にくだけた雰囲気になっていく。若い男女が気の合う相手を求め、あちらこちらで恋の鞘当てが始まっていた。
社交界の花としてすでに有名なアルビジアはあっという間に舞踊に誘われ、残されたミオソティスは一人早々にテラスへと逃げ出した。ミオソティスとて夜会くらい経験済みだ。別に怖いことなどないし、男性と踊ったことだって何回もある。ただし、次に会う時には必ず忘れられてしまっているのだが。
それに今のミオソティスはよくわからない胸のもやもやのせいで、初めての王宮での夜会だというのに、まったく楽しめるような気がしなかった。
「今夜の月も美しいですね」
とても聞き覚えのある声にミオソティスが振り向くと、やはりというか、そこにはマルカジットが立っていた。そしていつかの夜会とまったく同じ台詞でミオソティスの隣に立つ。
「麗しき夜のめが、み…………いや、失礼。つかぬことを伺いますが、以前どこかでお会いしたことがありませんか? なぜだか貴女とは、初めて会ったという気がしないのです」
マルカジットは口元に手を当て、不思議そうにミオソティスを見つめる。その明らかに以前とは違うマルカジットの言動に、ミオソティスはなんだか急に落ち着かない気持ちになってきた。
「き、気のせいではありませんか? いやだわ、マルカジット様ったら。女性には皆、そうやって声をかけているのでしょう?」
「これはこれは。貴女のような美しい人に、私のような者の名を知っていただけているとは光栄です。よろしければ貴女のお名前を伺っても……いや、おかしいな。このやりとり、前にも…………」
最初は冗談で逃げようとしていたミオソティスだったが、マルカジットのいつもと違う様子がその足を鈍らせた。そして、逃げようか逃げまいか迷っていたミオソティスの耳に、まさかの言葉が飛び込んできた。
「……ティス? ミオティ? ミオ、ソ……ティス?」
思わず目を見開き、ミオソティスは声の主、マルカジットを凝視してしまった。
「ミオソティス……うん、ミオソティスだ! でも、おかしいな。こんな美しい人の名前を忘れてしまっていたなんて」
首をかしげながら、懸命にミオソティスのことを思い出そうとするマルカジット。しかし、ひとまず名前を思い出したところで力尽きたようで、「ま、これから知っていけばいいか」と呟くとミオソティスに向き直った。
「ミオソティス、麗しき夜の女神。よろしければ、一曲お相手願えないでしょうか?」
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