5.恋とか愛とか

 ――どうしたらオルロフ殿下の御心を掴めるのか――


 ミオソティスには、アルビジアの言葉の意味が理解できなかった。なぜ突然そんな話になったのかと考えてみたのだが、どうしても理解できなかった。


「ジア、どうしてそんな話になったの?」

「ティス、さっきの話だと、私にはそうとしか思えなかったんだけど」


 姉妹は互いを不思議そうな顔で眺めると、まったく同じタイミングで首をかしげた。


「だって、殿下の笑顔にときめいちゃったんでしょ?」


 アルビジアに言われて、ミオソティスは改めてあの時の感覚のことを考えてみた。

 オルロフの笑顔でときめいたのだと言われても、その肝心の『ときめく』という感覚がミオソティスにはよくわからなかった。本で読んだことはある。けれど、実際にそれらを体験したことはなかったので、本に書いてあった『胸が高鳴る』とか『胸が潰れそう』とかいうものも、ミオソティスにはよくわからなかった。だからオルロフに感じたのがときめきなのだと言われても、ミオソティスはまだ納得できなかった。


「確かにあの時、心拍数や体温が異常に上昇したけど……。でもそれって、極度の緊張と恐怖から解放された反動じゃない?」

「うーん……でも、私はそれ、やっぱり恋だと思うわ!」

「そう、なのかしら?」


 まだに落ちないミオソティスは、一人盛り上がるアルビジアを見てため息をもらした。

 それに、ミオソティスは知っている。自分の気持ちはそんなに綺麗なものじゃない、もっと打算的で、とても利己的なものだということを。


「ううん、やっぱり違うよ。だって私、殿下を利用するつもりだったんだもの。今回はたまたま知らずに出会ってしまったけど、今もやっぱり殿下の力を利用したいと思っている。こんな……、こんな利己的で汚い気持ち、恋なんかじゃないよ」


 泣きそうな笑顔で自嘲するミオソティスに、アルビジアは呆れ顔で大きなため息をついた。そして彼女はいきなりミオソティスの頬をつまむと、そのまま思い切り左右に引っ張った。


いひゃい痛いいひゃい痛いいひゃい痛い! にゃにひゅるのするのヒアジア

「そこまで否定するというのなら、恋がどんなものなのか、ティスは当然知ってるのよね?」


 アルビジアの問いに、ミオソティスは頬を引っ張られたまま固まる。

 確かに恋じゃないとは言ったものの、そもそも恋をしたことがないミオソティスには、あの気持ちが本当に恋なのかそうではないのか、実のところよくわからなかった。

 ただ、本で読んだ恋物語はもっとキラキラでふわふわで、少なくともミオソティスのように相手を利用したいなどというよこしまな主人公はいなかった。

 

「ティスは恋に夢を見過ぎ!」


 アルビジアはおかしそうに笑うと、ようやくミオソティスの頬を解放した。ミオソティスは頬をさすりながら「そう……なのかな?」と首をかしげる。


「そうよ。それに、利己的で何が悪いの? だって、恋なんて利己的なものでしょ。欲しいものだらけじゃない。相手の心、体、時間。他にも色々」

「そ、そんな気持ちなの⁉ じゃあやっぱり、私の気持ちは恋なんかじゃないよ。私、別に殿下の心も体も欲しくないもの。そんなもの、貰っても困るし」


 真面目な顔で否定したミオソティスに、アルビジアは先ほどよりもさらに深いため息をもらした。

 ミオソティスの心は、アルビジアが思っていたよりもはるかに幼かった。普段は物静かで頼りになると思っていた姉が、こと恋愛に関してはここまで純粋で無知だったとは、妹であるアルビジアでさえも想像していなかった。


「…………ごめんなさい、ティスにはまだ早かったみたいね。わかったわ。とりあえず恋云々うんぬんのことはおいておきましょう」


 困ったような憐れむような、なんともいえない複雑な顔でミオソティスを見つめるアルビジア。そんな妹に、ミオソティスはこちらもなんともいえない複雑な気分になる。


「でも、ティスは殿下に力を貸してほしいのでしょう? だったらまずは、殿下ときちんとお話し出来るようにならなきゃ。怖がったり逃げたりしていたら、お願いする前に嫌われちゃうわよ」

「そう、だね。うん、私、もう一度殿下に会ってくる。会って謝って、全部正直に話して、それから力を貸してもらえないか聞いてみる」


 先ほどまで萎れていたのが嘘のように生気を取り戻したミオソティスは、そのまま部屋を飛び出していってしまった。そんな姉の後姿を笑いながら見送ったアルビジアは、一人残された部屋の中でくだんの王子殿下に向けて呟く。


不束ふつつかな姉ですけれど、どうかよろしくお願いしますね。…………未来のお義兄さま・・・・・



 ※ ※ ※ ※



 アルビジアに諭され、三度みたび迷いの森へとやって来たミオソティス。

 しかし、目的の王子さまは一向に見つけられなかった。何度入っても、今まで通り入った場所に戻ってきてしまう。今日はもうだめかと諦めかけた、四十五回目の挑戦――



「……またお前か」


 げんなりとした顔で振り返ったオルロフ。

 ミオソティスは今度こそ暴走しないようにと、一度大きく深呼吸してからオルロフに向き合った。


「フォシル伯爵家長女、ミオソティス・フォシルと申します。先程は誠に申し訳ございませんでした」


 深く頭を下げ、ミオソティスはオルロフの言葉を待った。


「わかったわかった、いいから顔上げろ。あと、その言葉遣いもやめてくれ。普段通りでいい。言っただろ、俺は堅苦しいのは苦手なんだよ」

「ですが……」

「だからやめろって。お前、もしかしてわざとやっているのか? ほら、あの時みたいに喋ってみろよ。『見つけた、私の運命の人』だったっけ?」


 ご丁寧に気持ち悪い声真似までして黒歴史を掘り起こしてくれるオルロフに、ミオソティスは早くも普段の口調で返してしまった。


「忘れてください‼ あれは……そう、言葉のあやです! 別に好きとかそういうんじゃ…………」


 わざわざ言わなくていいことまで付け加えて。

 しかし、気が付いた時には後の祭り。ミオソティスは己の迂闊さを呪った。今まで、どうせ何を言っても忘れられてしまうからと好き勝手言ってきたツケだ。しかし、オルロフは違う。彼はミオソティスのことを忘れないのだ。

 冷や汗を浮かべながら、こっそりと伺い見るミオソティス。だが案の定、見上げた先にはにやにやと嗜虐的な笑みをたたえたオルロフがいた。


「じゃあ、お前は好きでもない男に抱きついて馬乗りになる性癖でも持っているのか?」

「違います! あれは勢いあまってというか、ついうっかりというか……」

「でも確か、抱きつく相手は吟味してるって言ってたよな」

「そ、それは⁉ くっ……」


 しどろもどろで赤くなったり青くなったりしているミオソティスに、オルロフはとうとうこらえきず吹出してしまった。口もとを抑えながら肩を震わせるオルロフに、ミオソティスは自分がからかわれていたことがわかって。


「からかうなんてひどいわ!」


 憤慨するミオソティスに、オルロフは「悪い悪い」と誠意のかけらもない謝罪をした。そしてひとしきり笑ったあと、目じりにたまった涙を拭いながら、「そっちの方がいいぞ」とまた笑った。

 からかわれたミオソティスは納得いかないという顔でオルロフを見上げ、頬を膨らませる。そんなミオソティスの子供っぽい仕草に、オルロフは何かを懐かしむように目を細めた。そこには最初に見せた警戒など欠片もなく、もはや子供を見守る父親のような雰囲気さえ感じられた。


「気のせいかしら……なんだか私、すごく子供扱いされている気がする」

「実際子供だろ? すぐ感情的になるしな。これでお前が暗殺者や間諜スパイだってんなら、俺はこの先、一切人を信じられなくなると思うぞ」

「子供じゃありません! もう夜会だって出られるし、男の人に口説かれたことだってあるんだから‼」

「はは、とんだ物好きもいたもんだ。俺だったら、もっと肉付きのいい方が好みだがな」

「あ、貴方の好みなんて知らないわよ! 悪かったわね、お子様体型で」


 配慮に欠けるオルロフの一言ですっかり機嫌を損ねたミオソティスは、ますます頬を膨らませ、しまいにはそっぽを向いてしまった。


「やっぱり、お前はそっちの方がいいと思うぞ」


 くつくつ笑うオルロフ、それにすっかりおかんむりのミオソティス。

 いつの間にか二人の間の空気はすっかりと柔らかいものとなっており、ミオソティスの言葉遣いも砕けたものになっていた。


「で、最初の質問に戻るんだが。……お前、俺に会って何をするつもりだったんだ?」

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