黒玉の章 ~ジェット~
1.忘却の娘
この国に住む人々は、各々自分だけの守護石を持って生まれてくる。守護石は持ち主に一つだけ加護を与えるが、それは人によって異なり、その加護の強さも、強いものから弱いものまで様々。
そんな極夜国にはとても有名で、でも、誰も顔を知らない一人の貴族の姫がいた。
彼女の名前は、ミオソティス。
なぜ、誰も彼女の顔を知らないのに有名なのか? それは、彼女の妹の存在のため。
なぜ、有名なのに誰も彼女の顔を知らないのか? それは、彼女の加護の力のため。
ミオソティスは、フォシル伯爵家の長女として生まれた。
彼女にはアルビジアという双子の妹がおり、妹は金の髪に空色の瞳、右目に
ただし、琥珀姫の姉姫の顔は? と問われると、誰もが首を傾げる。存在は有名なのに、誰も姿を憶えていない。名前は知っているが、姿が見えない。
――隠れ姫――
ミオソティスはいつしか、社交界でそんな風に呼ばれるようになっていた。
いつ頃から彼女の存在がそんな風になってしまったのか? 少なくとも、ミオソティスが幼かった頃はそんなことはなかった。彼女も妹同様、皆に愛され慈しまれていた。
しかしそんなミオソティスの幸福な日々は、ある日唐突に終わりを告げた。
最初の変化は、ほんの些細なものだった。
ミオソティスが誰かに話しかけた時、一瞬だけ妙な間ができることが多くなったのだ。もっともすぐにいつもの皆に戻ったので、その時はまだ、ミオソティスもあまり気にしなかったのだが……
それから半年――
その頃には使用人どころか、家族でさえミオソティスの顔を認識できなくなってきていた。さすがに両親も事の深刻さを認識し、急遽ミオソティスを教会へと連れて行った。
石人たちは九十歳の誕生日を迎えると、教会で己に宿った加護の力を調べる。これは国民の義務で、出生が確認されている者は必ず受けなくてはならない。
加護の力は、百歳の成人に近づくにつれ徐々に現れ始める。だから皆、力が現れ始める九十歳頃から成人の百歳の間に教会へ行くのだが……
ミオソティスは、少しばかり早熟だった。
九十歳の誕生日まであと五年、双子の妹にはまだ何の力も現れていなかった。けれど、ミオソティスにはすでに現れてしまっていたのだ。しかも、とても厄介な力が。
――――忘却
それがミオソティスに与えられた力。
しかもその力は、制御することができないものだった。彼女が望むと望まないとに
そして十五年の月日が過ぎ、ミオソティスは百歳になった。
※ ※ ※ ※
「はぁ……今日もだめだった」
ミオソティスは盛大な溜息をつくと、夜会用のドレスのままベッドに倒れこんだ。
「もう、毎回毎回! 私は一生のうち、あと何回『初めまして』って自己紹介しなきゃならないのかしら」
ベッドの上でごろごろと転げまわりながら一人愚痴っていると、扉の向こうから誰かが駆けてくる足音が近付いてきた。ミオソティスは慌ててベッドから飛び起き、机の上に置いてあった眼帯を左目に着ける。
直後、妹のアルビジアが盛大に扉を開け飛び込んできた。
「ティス、おかえりなさい!」
無邪気に笑いながら飛びついてきた妹を受け止めると、ミオソティスは深いため息をついた。
「ジア……。私の部屋に入る時は、必ず私の入室の許可が出てからって言っているでしょう?」
「ごめんなさい。待ちきれなくって、つい」
あまり反省の色が見えないアルビジアの軽い謝罪に、再びため息をつくミオソティス。しかし諫める口調とは裏腹に、その表情は慈愛に満ちていた。
そもそも、ミオソティスがアルビジアにきつく言うのには理由がある。
それは、自身の加護の力のためだ。
ミオソティスの加護の力は『忘却』。相手の中から彼女――ミオソティス――に関する記憶を消し去ってしまう力。記憶の保持期限は、その日の午前十二時まで。それまでどれだけ熱心に愛を囁いていた者も、親の仇のように嫌っていた者も、皆、十二時を迎えた途端、ミオソティスに関する記憶が消去されてしまう。
もちろん、この力を発動させない方法はある。でなければ今頃、ミオソティスは家族からも忘れられてしまっていただろう。
力の発動条件は、己の守護石を相手の視界に入れること。要は、相手に守護石を見せるということだ。だから力を使いたくない場合、守護石を隠してしまえばいい。とても簡単なことだ。
それがわかった日から、ミオソティスは家族の前では常に眼帯を着けるようになった。万が一、うっかり目を開けてしまっても力が発現しないように。
では、なぜ夜会など外では眼帯を着けられないのかといえば、それは石人たちの一般常識に原因があった。
迷いの森と呼ばれる濃霧立ち込める呪いの森に周囲をぐるりと囲まれ、外の世界との交流が一切ない石人だけが暮らす国、それがこの極夜国。
かつて迷いの森ができる前には、人間とも交流をしていた。しかし、その時代に起きたある事件のせいで森は閉ざされ、以降、一切の人間の侵入を拒むようになったのだ。
人間にとっては極夜国でとれる宝石の原石はもちろん、石人たちの守護石も、それはそれは魅力的なものだった。
人間の世界でも宝石はとれる。ただしそれは、固い大地から原石を掘り出し、加工しなくてはならない。手に入れるのには危険も手間も、金もかかる。
けれど、石人の守護石はすぐそこ、ちょっと手を伸ばせば届くところにあった。しかも強弱の差はあれど、どの石にも加護の力が宿っているのだ。石人たちから原石を買ったり、山を掘って原石を手に入れるより、石人から奪った方がずっと簡単で、そして高く売れる。
そんな風に考えた一部の心無い人間は、まず石人の墓を荒らし始めた。
最初のうちはこっそりと墓荒らしをしていた彼らだったが、思った以上に簡単に大金を手に入れられることに味を占めてしまい……
それからは、あっという間だった。
欲に飲み込まれ良心を失った彼らが、生きている石人に手を出し始めるのは。
事態を知った当時の王は怒り狂い、犯人たちを捕まえると処刑した。そして国から一人残らず人間を追放すると、魔術師たちに命じて迷いの森を作り上げ、鎖国した。
この事件以降、石人たちは自らの守護石を必ず見えるようにした。自分は人間ではない、石人だという証明の意味で。やがて時が経ちそれは形を変え、今となっては「守護石を見せないのは相手を侮辱している」という意味に変わってしまっていて。
だからミオソティスは力を制御できないまま、それでも守護石を外では隠すことができなくなってしまった。
石人たちの加護の力は、教会で判明した時点で国に報告、登録される。この厄介で危険な加護を発現してしまったミオソティスには監視が付けられ、外出する際には国に申請しなくてはならなくなってしまった。
だからミオソティスは滅多なことでは外出しなくなり、まるで隠者のような暮らしを送ることになってしまったのだ。
けれど。
百歳の誕生日を迎えて成人となり、夜会への参加権を手にしたミオソティスは連日のように夜会への参加を申請した。そして、許可の下りたものには片っ端から参加するようになったのだ。
「私もティスと一緒に夜会に行ってみたい!」
アルビジアは頬を膨らませ、まるで幼い子供のように拗ねていた。そんな妹にミオソティスは困ったように微笑むと、よしよしと頭を撫でてなだめる。
「ごめんね。私もジアと一緒に行きたいよ。でも、外では守護石を隠せないから。ジアが私のことを忘れてしまったら、私……」
「ごめんなさい、わかってはいるの。でも、でもね! 最近のティスは夜会ばっかりで全然家にいないし、ティスが家にいる時は私が夜会だし。私、ティスともっと一緒にいたい」
「うん、私もジアともっと一緒にいたい。一緒にお出かけしたいし、夜会にも行きたい。それに恋だってしてみたいし、それでジアと一緒に悩んだり相談したりだってしてみたい。だから、必ず――」
ミオソティスはアルビジアをぎゅっと抱きしめると、続く言葉を飲み込み、心の中で決意する。
――見つけてみせる。消滅の加護を持つという、
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