2.黒色金剛石

 貴石の加護は、なにも良いものばかりではない。意味の分からないもの、役に立たないもの、厄介なものなどもある。

 それに、加護の力がなくとも人は暮らしていける。だからよほど強い力か厄介な力でない限り、ほとんどの者は自分の力を気にしない。本質が楽天的な石人たちにとって、加護の力とはそういうものだった。

 しかしミオソティスは、よりにもよってその厄介な力を引き当ててしまった。使いこなせればとても有用な力なのだろう。けれど、ミオソティスは使いこなすどころか、制御もできなかった。


 だから、ミオソティスはこの力を消してしまいたかった。そのためには、なんとしても消滅の加護の持ち主の力が必要だった。消滅の加護を持つ守護石、それはミオソティスが知る限りたった一つ。


 黒色金剛石ブラックダイヤモンド

 

 過去に一人だけいた、消滅の加護を持つ守護石。

 ミオソティスが求めて止まない力。

 五年前、その存在を知って以来、心の支えにしてきた人。その人の名は――――



 ※ ※ ※ ※



 力が判明してから成人を迎えるまでの十五年間、ミオソティスはほぼ屋敷の中だけで過ごしてきた。家族と過ごす時以外は、そのほとんどを書庫で。

 元々本を読むことが好きだったミオソティスは、有り余る時間を読書につぎ込んだのだ。石人の歴史やおとぎ話、貴族名鑑、人間の書いた恋愛小説や冒険小説、外の世界の動植物の図鑑。とにかく読めるものは片っ端から読み、果ては出来もしない錬金術の手引書まで読むという乱読ぶり。

 十年経つ頃には書庫中の本を読み尽くしてしまい、新しい本が入ってくるまではお気に入りの本を読み返すといった毎日だった。


 その日もミオソティスは、一人書庫にやって来ていた。つい先ほど、新しい本が届いたからだ。

 立ち並ぶ書架の間を鼻歌を歌いながら歩いていたその時、突然ミオソティスの頭に激痛がはしった。堪らずその場にしゃがみこみ、声にならないうめき声をあげながら頭頂部に手を当て耐える。しばらくして痛みが和らいでくると、ミオソティスはこの痛みの原因となったものを涙目で拾い上げた。

 それは見たことのない、埃まみれの古びた貴族名鑑。

 ミオソティスは埃を払い落とすと、何の気なしに開いてみた。そして――見つけた。


 グリソゴノ・プルンブム・アダマス

 守護石:黒色金剛石 加護:消滅


 『消滅の加護』

 それはミオソティスが子供のころ読んだおとぎ話に出てきた、『すべてを消し去る力』。王家のみに伝わるという、すべての加護を無効にしてしまう力。


「本当に……いたんだ」


 ミオソティスは震える指でページをめくり、奥付で発行年を確認する。


「この時点でグリソゴノ様は、約千八百歳。もし今もご存命だとすると、二千歳……」


 いくら長命種の石人とはいえ、さすがに二千歳を超えて生きる者など、ミオソティスは聞いたことがなかった。守護石の硬度が寿命を左右する石人たち。そんな彼らの中で最高硬度を持つ金剛石の石人でさえ、千五百年生きられるかどうか。


「グリソゴノ様って、すごく長生きな御方だったのね! そんなすごい方なら、もしかして今も……」


 消滅の加護、それはミオソティスを救うかもしれない力。唯一の希望。

 全部が心臓になってしまったように脈打つ体で、ミオソティスは幽かな希望を胸に走りだした。


 ――今日入荷した本の中に、最新版の貴族名鑑があったはず。


 入荷した本の目録リストを頭の中で再生しながら、ミオソティスは赤い絨毯の廊下を走る。けれど悲しいかな。普段引きこもりのミオソティスは、目的の場所に辿り着いた時には、興奮と運動不足からくる息切れで声を出すこともできない有り様になっていた。

 そんな息も絶え絶えな状態ながら、ミオソティスは執念で入荷した本を漁る。そして中から一冊を取り出すと、鬼気迫る形相で次々と頁をめくっていった。


「……けた、見つけた‼」


 オルロフ・グラフェン・アダマス

 守護石:黒色金剛石 加護:消滅


 探していたグリソゴノの名前はなかったが、代わりに見つけたのは――

 ミオソティスの運命を変える、たった一人の名前。運命の人。



 ※ ※ ※ ※



 あの日、偶然目の前に現れた古い貴族名鑑で見つけた消滅の加護の持ち主、グリソゴノ・プルンブム・アダマス。彼は今から約二千年前にアダマス王家に生まれた人で、残念ながら現在は鬼籍に入っていた。

 伝承によるとその力は――全ての守護石の力を無効にする――と伝えられていた。とは言っても、あくまでも彼の視界の中に限る、という限定的な効果だったようだが。

 そして今さっき見つけた黒色金剛石の持ち主、オルロフ・グラフェン・アダマス。彼もやはりアダマス王家の一人で、現王の五番目の息子。記載されていた年齢からすると成人自体はとっくにしていたはずなのに、この最新版の貴族名鑑でやっと正式に記載されるようになったらしい。


 これだけでは彼の消滅の力がどのようなものなのか、まだわからない。加護の力は人それぞれ、千差万別。例え同じ能力でも、持ち主によって全く違う力を発揮するからだ。

 けれど、もしもオルロフの力が、ミオソティスの望む力であったのなら……


 だから成人して夜会に参加できるようになると、ミオソティスは次々と夜会に参加してはオルロフの情報を集めた。

 いわく、の人と関わると不幸に見舞われる。曰く、彼の人の守護石を長く見つめると、己の守護石も黒く染まってしまう。曰く、彼の人と心を通じ合わせると、己に与えられた加護の力が消えてしまう……

 どこまで本当かはわからない。噂はあくまで噂で、本人に確認したわけではないのだから。そもそも、ミオソティスの参加できる夜会にオルロフは現れない。いや、そもそも夜会自体、ほとんど姿を現さないという。だからか、その姿を知っているものもほとんどいなかった。隠れ姫と揶揄やゆされるミオソティスといい勝負のようだ。


 ――それでも、


 それでも、ミオソティスはオルロフといつか会いたい、いや、会ってみせると思っていた。自らの願いを叶えるため、どうにかしてその力を貸してほしかったから。


「でも、本当に会うことなんて出来るのかしら……」


 一向に進展しない今の状況に少しばかり弱気になっていたミオソティスは、夜会の熱気から逃れるように一人、テラスで月の光を浴びていた。


「今夜の月も美しいですね」


 柔らかく耳心地の良い声に振り向くと、そこには一人の男が立っていた。

 中性的な整った顔立ちに柔和な物腰、そして人好きのする笑顔で冗談交じりに芝居がかった台詞を口にする男。彼はマルカジット・スルフィド。スルフィド男爵家の長男で、社交界でも有名な遊び人だ。


「麗しき夜の女神。美しい貴女の隣に立つ権利を、この哀れな恋の奴隷にくださいませんか?」 

「どうぞご自由に。ただし、その背中がむず痒くなるような物言いはやめてください」


 ミオソティスは黄鉄鉱パイライトの守護石を持つ優男にそっけなく言うと、再び月を見上げた。

 マルカジットは夜会ではお馴染みの顔で、毎回ミオソティスを口説いてくる。そんな彼の加護の力は『恋の戯れ』。なんとも遊び人の彼らしい加護に、ミオソティスは今日も溜息をついた。


「では女神、貴女のお名前をお伺いしても?」

「ミオソティス。女神はやめて」


 何度口説かれても、次に会うときには初めまして。何度も繰り返されるこのやりとりに、ミオソティスはいい加減うんざりしていた。だからつい、彼に対する口調がそっけなくなってしまう。


「わかりました。私はスルフィド男爵家のマルカジットと申します。以後、お見知りおきを。……ところでミオソティス様。貴女はなぜ、オルロフ殿下を探しているのですか?」


 柔らかだが隙のない笑顔を浮かべ、マルカジットはミオソティスの隣にさりげなく立った。


 このやりとり、何度目だろう。


 そう思いながらも、ミオソティスは今日も聞く。この前は教えてくれなかったけれど、もしかしたら今日は答えてくれるかもしれない。何度も繰り返される不毛な問答に折れそうになる心を奮い立たせ、ミオソティスは今日もまた同じ答えを口にする。


「私の運命の人、だからよ」


 いつもならば「残念。私の出る幕はないようですね」と言って去ってゆく彼が、なぜか今日は動かない。顎に手を当て何かを考え込んでいる風で、少しすると戸惑うようにミオソティスを見つめてきた。


「その……なぜ、貴女は殿下を運命の人だと思ったのですか? 社交界でのあの方に関する噂で、私はいい噂を一つも聞いたことがありません。そんな方に貴女のような御令嬢が憧れるとは思えません。そもそも、あの方は滅多に人前に姿を現さないはず。それなのに、貴女はどうして……」


 いつもと違うマルカジットの答えに、ミオソティスの鼓動が跳ねた。


「マルカジット様はオルロフ様のことを知っているですか⁉」

「いえ、私が直接知っているというわけではないのですが……」


 食いつくミオソティスに、マルカジットは歯切れ悪く言いよどむ。


「お願いです! どんな些細なことでもいいの。だから、何か知っているのなら教えてください。……お願いします、マルカジット様」


 ミオソティスは胸の前で手を組むと、瞳を潤ませマルカジットを見上げた。

 アルビジアの言っていたことを思い出しながら、ミオソティスは男性が好みそうな庇護欲をそそる姿を演じる。アルビジア曰く、殿方は女の上目遣いに弱い人が多いらしい。ただし、相手を見極めてから使えと言っていた。

 そして今、目の前にいるマルカジットは遊び人だけあって、女性全般に優しい紳士だ。思った通り、彼は苦笑しながらもミオソティスのつたない色仕掛けにのってくれた。


「その、私も人から聞いただけで、実際にお目にかかったことはないのです。噂では、オルロフ様は大層優秀な魔術師だそうです。ですからその御身は多忙を極め、社交界に顔を出す暇さえないのだとか。ただ……」


 マルカジットはミオソティスを気の毒そうに見ると、歯切れ悪く言いよどむ。

 そのはっきりしない物言いに、ミオソティスは「はっきり仰ってくださって大丈夫ですから」と先を促した。するとマルカジットは、少しだけ申し訳なさそうに口を開いた。


「その……唯一、幼馴染の女性の前には、まれに顔を出すことがあるそうです」


 ミオソティスはマルカジットが言い淀んだ理由がわかり、思わず笑ってしまった。

 きっとマルカジットは、ミオソティスがオルロフに恋をしていると思っている。だからそんな恋する乙女に現実を思い知らせるのを気の毒に感じたのだろう。

 しかし実際のミオソティスは、オルロフのことなどほとんど知らない。会ったこともなければ、その姿を見たこともない。だからオルロフに特別な感情など一切抱いていないミオソティスは、ついでとばかりにその女性のことも訊ねてみた。


「その方は恋人なのでしょうか? オルロフ殿下の幼馴染なのだとしたら、きっと名のあるご令嬢なのでしょうね」

「そうですね。彼女は社交界一の美姫と謳われる、コランダム公爵家のロートゥス様です。でも、どうでしょう? 確かにお二人にはそういう噂もありますが、今のところ御婚約などはされておられないようなので、私からは何とも言えないですね」


 ミオソティスは新しく出てきたロートゥスという名前を頭に刻みこむ。そしてしばらくマルカジットとたわいない話をしたあと、きりのいいところで辞去しようとしたのだが……。なぜかマルカジットは寂しげな笑みを浮かべ、ミオソティスのことを切なげに見つめてくる。

 そのもの言いたげな視線になんだかいたたまれなくなり、ミオソティスはおざなりな挨拶をすると、逃げるようにその場を後にしようとした。と、その時、マルカジットから独り言のような呟きがこぼれた。


「貴女とは今日初めて会ったはずなのに、なぜだか、ずっと前から知っているような気がするのです」


 ミオソティスはその言葉に思わず足を止め、一瞬泣きそうな顔をした後、今日初めての心からの笑顔を彼に向けた。


「ありがとうございます。そんな風に思ってもらえていたなんて、本当に嬉しかったです」

「嬉しかった……って、なぜ過去形なのですか? それじゃあまるで、もう会えないような口ぶりだ。私はまた貴女に会いたいと思っているのに」

「そう、ですね。また、今日の貴方とお会いできたら、とても嬉しいです。……今夜はありがとうございました。御機嫌ようさようなら、マルカジット様」


 ミオソティスは別れの挨拶をすると踵を返し、そのまま振り返ることなくテラスを後にした。



 ※ ※ ※ ※



 一人テラスに残されたマルカジットは、なんとはなしに月を見上げた。そのまま目を閉じると、浮かんできたのは先ほどの少女の泣きそうな笑顔。


「ミオソティス……私は、どこで」


 一日の終わりを告げる十二時の鐘は、今日も夜空へ無情に響く。途端、それまで確かにマルカジットの瞼の裏で微笑んでいたはずの少女は、まるで濃霧に包まれるかのように覆い隠されてしまった。

 慌てて目を開けたマルカジットだったが、その時にはもう、なぜ自分がここにいたのかさえわからなくなっていた。


「おかしいな。さっきまで誰か、女の子と一緒にいたような気がしたんだけど……」


 しばらくは不思議そうに一人首を傾げていたマルカジットだったが、その違和感も次第に薄れてゆき、やがてすべてを忘れてしまった。


 ほんの少し、とても小さな棘をその心に残して。

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