第2話

『さて、退屈な授業も終わっただろう。グラウンドに来るのだ』


 ホームルームが終わった途端、そんな連絡が入ってきた。


 どこで監視しているのやら、わからない。窓際の席だから、屋上から見られていたのだろうか。


「『いっつもサボってるやつは気楽ですね』っと」


 わたしは返信をし、立ち上がる。


 帰宅部の流れから外れて、グラウンドへと向かえば、クロナちゃんがいた。


「遅いぞ」


「そりゃあね、クロナちゃんと違って、こっちはちゃんと授業を受けてますから」


「授業なんて受けなくたって私は成績上位だ」


「そうは言うけどね。そうやってサボってばっかりいると、内申点、ひどいことになるよ」


「ふんっ。ぐうの音の出ないほど高得点を叩けば、鐘のように拍手喝采、むせび泣いて私を受け入れるだろうさ。それはともかく、あれを」


 クロナちゃんのぽったりとした指が野球部の面々を示す。


 たばこを吸ってるっていうからどんな不良集団かと思ったけれども、そんなことはない。頭は五厘、ユニフォームはビシッと着こなしている。準備運動がてら走る生徒あり、談笑している生徒もある。


 少し離れたところでは、海野先輩が素振りを行っている。その目は談笑している生徒らを向いていた。


「あの話をしている女子生徒が、例のマネージャーか」


 クロナちゃんが言っているのは、談笑している野球部員たちの中心にいる小さな女子生徒だ。身長はクロナちゃんと同じくらいだけれど、その初々しさといったら、桜のつぼみのよう。彼女が小柳ひなたに違いない。


「クロナちゃんとは大違い」


「どうだか。私だって、ああやって話すこともできるのだぞ」


「ちなみにどんな話を?」


「そうだな、身近に存在する毒物について、とかはどうだろう」


 わたしの口からため息がこぼれる。どんな本をいつも読んでるかは知らないけど、そんなんだから、友達が少ないんだ。


 けれども、口にはしない。今回は、わたしが謎を持ってきた手前、あんまりクロナちゃんを怒らせたくはなかった。


 悶々とした感情を弄んでいれば、クロナちゃんは野球部へと近づいていく。まったく、ネコみたいに勝手なんだから。






「え!? そんなことが……」


 野球部でタバコが流行っていることを伝えると、ひなたちゃんは目をまるくして驚いていた。その驚きようといったら、はじめてゴキブリを目撃した、お嬢さまのよう。


「知らないのも無理はですよ。わたしたちも、昨日聞きましたから」


「それで、何かご存じのことはないかと思ってきたのですが」


「え、えと。わたしはマネージャーになったばかりで」


「何もご存じないと?」


 そっけない言葉がクロナちゃんの口から飛びだす。ひなたちゃんは、キョロキョロオドオドと視線をさまよわせている。ガラの悪い連中にナンパされたお嬢さまみたいに困り果てているようであった。


「クロナちゃん、そんな言い方したら、怖がるでしょ」


「いやね、圧迫面接みたいにすれば、怖がって何か答えてくれないかと思ったのだが……すまない」


「こちらこそ何も知らなくてすみませんっ」


 言うなり、ひなたちゃんは、部室棟の方へと走っていった。おそらくは、マネージャーとしての職務を果たすためだろう。


 わたしたちも、仕事をしなければならないんだけども――。


 周囲の野球部員の目は、けっこう厳しいものがある。花よ蝶よと愛でているマネージャーがよそからきたやつらにいじめられているとあっては、誰だってイヤな顔をする。


「えーと次は、近郷か。おーいどこにいる」


 ひときわ険しい顔した青年が、スッと手を上げた。


「オレだ」


 短い言葉は、ハリセンボンのように尖っていた。


「あー君か。よかったよかった」


 睨まれているにもかかわらず、クロナちゃんは朗らかな調子で、近郷くんに近づいていく。


「君にききたいことがある」


「マネージャーのことなら――」


「いや、それは結構。というよりかは、君、ショートホープ持ってるかい?」


「は?」


「だーかーらー、タバコだよタバコ。まさか、私が女だからってタバコを吸わないと? 前時代的すぎるぜ」


 クロナちゃんが右手を差し出す。不健康なほど真っ白な手。その真ん中はルージュの口紅のように赤い。


 近郷くんは、困ったように頭をガシガシとかき、ポケットからタバコ箱を取りだした。海野先輩が持っていたものと同様のやつであった。


「なんで分かったんだ?」


「君らね、似たような消臭剤を使いすぎなんだ。ここはミント畑じゃないんだぞ」


 言われて、野球部員たちは、スンスンと服やら隣の部員やらを嗅いでいる。そういえば、鼻がスースーする感じがしていたけれども、ミントのせいだったのか。


「それは、マネージャーが使い始めた消臭剤で、部室はその匂いでいっぱいなんだよ」


「ほう! 彼女がか。有益な情報をどうもありがとう。あと、タバコも」


 近郷君が差しだした白と茶のタバコをかすめとり、ポケットへと突っ込んだクロナちゃんは、上機嫌でグラウンドの向こうへと歩きはじめるのだった。






「きららは、今日どのくらいまでいられる?」


 人気のない昇降口には、夏のじくじくとした夕日が差し込めていて赤い。


 わたしとクロナちゃんは、自販機のそばに座りこんでいた。


「今日かあ、お母さんもお父さんも帰り遅いって言ってたなあ」


「では、暇ということか」


「うーん。できるなら、檸檬を置いたときの作者の気持ちってやつを考えたいんだけど」


「そんな宿題、てきとーに答えればいいではないか。作者の気持ちなんか誰にもわかりやしないんだから」


「適当にするのはイヤだよ。ちゃんと答えなきゃ」


「真面目なんだから」


「でも、宿題は帰ってからやるよ。それでいつまで待てばいいの?」


「野球部の部活が終わるまで」


 そういうわけで、わたしたちは、昇降口でしばらくの間だべっていた。とはいえ、クロナちゃんと会話するのは結構疲れる。


 おおよそのJKが好むような話題を好まず、むしろ探偵や警察、あるいは犯罪者が知りたがるような話題ばかり話してくるのだから。


「アジサイ、スイセン、ヒガンバナ、ウメに共通することってなーんだ」


「……花、じゃないよねえ」


「おしい、毒を持っている植物でした」


「…………」


 そんな感じのクイズを、東大生ばりに出題されたところで、午後七時ちょっと前を告げる鐘の音が鳴りひびいた。あとちょっとで、部活のおわりである。


 クロナちゃんはよっこらせと立ち上がり、パンパンとスカートを叩いて。


「では行こうではないか」


 と、歩きはじめたのはいいとして、クロナちゃんはどこへ行こうとしているのだろうか。


 学校の敷地外へと出ていくかと思えば、走る生徒たちの流れに逆らうように歩いていく。


 じきに、部室棟が見えてきた。


「きらら」


「なあに」


「ちょっとばかしショッキングなことがあるかもしれないぞ」


「なにそれ。死体でも転がってるの?」


「そういうことはない。が、それには近いかもな」


 どういうことなんだろう。そんなことを思っている間に、野球部の部室にたどりつく。


 ここで補足なのだが、うちの野球部は甲子園にも出たことがあるくらいには強豪で、他の部室棟から離れた場所に存在している。つまりは野球部専用のものってことだ。


 扉の前に立ったクロナちゃんはちいさく咳ばらいを繰り返し――。


「――あー重野しげのだが入ってもいいか」


 まさしく体育の重野先生そっくりの野太い声が、クロナちゃんの口から飛びだしたものだから、びっくりしてしまった。隣をみれば、しいっと口元に指をあてている。


 と。


 アルミ製のうっすい扉の向こうからバタバタという物音がし、扉がわずかに開く。


 飛びだしてきた五厘頭を、クロナちゃんはむんずとつかみ。


「やあ君、神聖な学び舎で不純異性交遊とはたいしたものではないか」


 その男子生徒を引っ張り出しながら、そう言った。


 それも驚きだったが、もっとも驚くべき言葉をクロナちゃんは続けざまに放った。


「――なあ、小柳ひなた君」


 部室の向こうで息を飲む声がした。


 扉が風に吹かれて勝手に開いていく。部室のベンチに座っているのは、そのひなたちゃんだ。


 上半身裸の姿で座るひなたちゃんがそこにはいた。

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