ラスト・ホープは闇にくゆる
藤原くう
第1話
「はぁ……。どうして私が走らなくてはならないのだ」
と、クロナちゃんが言った。病院に行きたがらない子犬のように、わたしに引っ張られながら。
「困ってる人がいるんだよっ」
「そいつと私になんの関係が……」
「クロナちゃん、謎探してたでしょ? その人、解いてほしい謎があるんだってさ」
クロナちゃんがピタと石化されたように立ち止まる。
振り返れば、クロナちゃんの真っ黒な目がギラギラと輝いていた。
「謎! なぜそれを早く言わなかったんだっ」
「……結構前から言ってたけどなあ」
屋上で午睡に浸っていたクロナちゃんを起こしたのは、ついさっきのこと。肩をゆっさゆっさと揺らしてるときに、依頼人があったよ、とは話した。……クロナちゃん、聞いてなかったみたいだけど。
「私、五井クロナは謎が大好き」
「モノローグみたいなこと言ってないで、ほら、早く」
わたしが手を差しだせば、クロナちゃんは手のひらを見つめて、ぎゅっと掴んでくる。
ドキリとしてしまうほど、真っ赤な熱が伝わってくる。この小さな友人のどこで灼熱は生みだされてるんだろう?
その困ってる人と待ち合わせているのは、校舎裏だ。
普段使われない理科室やら準備室やらが面している方なので、非常にひっそりしている。中庭の方からは、楽しげな声が響いてきている。
その先に、男子生徒はいた。
ついた途端、きっついミントの香りとともに言葉がやってくる。
「やっと来たか、遅いぞ」
「ごめんごめん。クロナちゃんがなかなか起きなくて」
「コイツ誰?」
生徒の前に立ち、クロナちゃんが言う。言い方はともかく、そう思うのも無理はない。彼は私たちの一個上、三年生なんだ。
「こちら、うみの――」
「いや、
「君ねえ、人の名前はちゃんと覚えないと」
「く、クロナちゃんに言われたかないよっ。わたしの名前すらたまに間違えるくせに」
わたしが言えば、ジョークだから、と返ってくる。ジョークだとしたら、天丼のし過ぎで胃もたれしてるところだ。
「と、とにかく
「ああ。だが、まさか、〈神谷木高の名探偵〉がこんなかわいいやつだとは」
海野先輩は、息を飲んでいる。その頬は、うっすらと赤くなっていた。
そうなのである。五井クロナという少女は、かわいい。いや、超がつくほどかわいらしい。そのかわいさといったら、窓際にでも立っていたら、老若男女をため息で殺してしまうほど。
「かわいくプリティで、しかも頭が良い。こんな生徒は私以外いませんから、どうぞお見知りおきを」
……黙っていたら、だけど。
クロナちゃんの早口に、先輩はおどろいているらしく、その口がぽかんと広がっていた。白い歯が、夏の日差しを受けて眩い。
「あー、まあそれよりも、依頼に入ろう」
「ああ私もそうするつもりだった。だがその前に。先輩よ」
「なんだ」
「タバコを吸うならここ以外がいいぞ。ここは物理の田中の散歩コースだからな」
海野先輩の口からひょうと息が漏れる。その目は揺れていた。
「……なんでタバコを吸ってると?」
「まず、ミントを刈ったばかりと言わんばかりの消臭剤の匂いだ。それだけなら、身だしなみに気を付けているだけなのかもしれない。見たところ、野球部のようだし。
だが見ろ、左手の人差し指と中指に絆創膏が貼られている」
クロナちゃんが滔々と言えば、先輩は左手を後ろへ回した。絆創膏がチラッと見えた気がした。
「慣れない料理でもして切っちゃったんじゃない?」
「きらりの類まれなる想像力には、私でさえも驚かされる」
「……それ褒めてるの」
「褒めているさ。私の考えなかったことに気がつくのだから。だが、料理中にケガしたとしたら、指の背を切ると思わないか?」
クロナちゃんが、左手で拳をつくり、右手は包丁のようにする。チョップするように動く右手は、左手の人差し指・中指・薬指の第二関節をかすめていった。
「確かに……」
「そういうわけで、彼はタバコで火傷したと考える。おおかた、吸いなれてないものだから、短くなるのに気がつかなくて、アチッだ」
「なんでそこまでわかるんだ」
「おっと、それは自供ととらえてもよろしいか。ま、さっきバカみたいに口を開けてただろ。その時に歯が見えただけさ。ビックリするくらい白かったよ。
だから、タバコを吸い始めてそれほど経ってないはずだ。どうだ?」
海野先輩の首がゆっくりと縦に動く。クロナちゃんの長々とした推理は、傷一つなかったらしい。
ふう、と息をついたクロナちゃんが、制服の胸ポケットから、ココアシガレットを取りだし、一服する。こっちはタバコなんて吸いなれるといわんばかりの所作だった。
「毎度のことながら、よくわかるねえ」
「誰だって観察すればわかること、かのシャーロックホームズもそう――」
「はいはい、クロナちゃんがホームズにお熱なのは知ってるけど、今はその話してる暇はないの。それに、先輩」
わたしは、海野先輩の方を向きなおって、手を差し出す。
先輩は不思議そうな顔をしてこっちを見てくるけれども、彼には彼でやらなければならないことがある。
「タバコ、出してください。先生には言いませんから」
だが、先輩は、それを渡してはくれなかった。ただ、並々ならぬ思いを抱いているかのように握りしめているばかりだった。
「先生に怒られてもいいって言うんですか」
「いや、そうじゃない。とにかく話を聞いてくれ」
「ふむん、一度話を聞いた方がいいだろう。おそらくだが、謎とやらにはタバコが関係している」
「ああそうだよ」
言いながら、海野先輩が、握りしめていた箱を見せつけてくる。
それは、HOPEという文字が書かれた箱だった。
「ショートホープか」
「しょーとほーぷ?」
「ホープの短いバージョンだからショートホープ。昔からあるタバコだよ。でもこれが?」
「今野球部で流行ってるんだ」
「嘘でしょ」
「いいや、嘘じゃないと思う。うちの生徒指導部が見回りを強化していたが、生徒のタバコの所持が発覚したからだったはずだし」
「なんで生徒指導のことまで知ってるの?」
「たまたまね。それよりも、タバコが部内ではやっていると言ったが、それをどうしてほしいんだ? やめさせたいなら、JKではなく、先生に訴えるべきだね」
「それはわかってる」
苦虫をかみつぶしたような返事がやってくる。わたしはクロナちゃんほど観察が得意じゃないけれども、海野先輩が苦渋の決断をしていることはなんとなくわかった。
凪いだような沈黙ののちに、
「誰がタバコを広めたのか、それを調べてほしい」
海野先輩は吐きすてるように言った。
「ふむん」
クロナちゃんは海野先輩のことをじっと見つめて腕を組んだ。その目は、獲物を見つけたネコのように輝いていた。
「どうしてまた……先生に言いつけたら、誰かが口を割るだろう」
「それじゃあダメなんだ!」
「何がダメなんだ。正確なところを言ってもらえないと、私としても君の謎を解くことができないのだが」
またしても、沈黙が訪れた。
海野先輩の肩はプルプル震えていたが、急になにもかも諦めたように脱力する。
「……ラスト・ホープを探してほしいんだ」
「ラスト・ホープ? なんだいそれは」
「タバコ……らしい。僕も実際に見たことはないんだが、それをみんな欲してる」
「野球部が」
「ああ。それを吸えば、なんでも願いが叶うらしい」
「なんでも願いが叶う?」
わたしはおかしくって、隣のクロナちゃんを見た。こういう時、いの一番に笑うのは、ほかでもないクロナちゃんである。
だけど、意外なほど真剣な表情をしてるものだからビックリだ。
「『ラスト・ホープ』……最後の希望、ね。それを持ってるのが、タバコを流行らせたやつだと?」
「そうだとみんな信じてる」
「君は? ここにいるきらりと同じようにラスト・ホープなる聖遺物を信じていないのかい」
「そんなのあるわけがない。これだって、マズいもんさ」
海野先輩は手のひらの中の箱を握りつぶす。ぐしゃりと紙製の箱はひしゃげ、中から曲がったタバコが臓物のように飛びだして、茶色い葉っぱが血のように噴きだした。
「あーあもったいない。300円が」
「そんなにするんだ……」
「とにかく、謎はわかった。だから、君にはいくつか質問をしたい。いいかな」
なんて、クロナちゃんは先輩なのに敬語を使わずいつも通りに話している。友達の一番すごいところだ。どんなに偉い人であっても、危険な相手であっても、クロナちゃんの話に耳を傾けずにはいられないのだから。
「きらり、メモをとってくれ」
「わかったよ。クロナちゃんを引っ張ってきたのはわたしだしね」
「では、さっそく質問を開始する。煙草が流行りだしたのは?」
「3か月ほど前のことだ」
「ふうん。今日が7月9日だから……新年度になってすぐか。新入部員がやったんじゃないか?」
「僕もそう思ったが、誰かまではわからないんだ」
「一応だが、新入部員についてくわしく」
海野先輩が、新入部員の名前を列挙していく。佐藤、甲斐……計9人。
「や、十人だ。マネージャーが新しく入ったから。まあ、関係ないだろうが」
「いやわかりませんよ。その中で、上級生の信頼が厚いのは?」
「今言ったマネージャーの小柳ひなたと
「なるほどなるほど。ほかに何か気になること、言っておきたいことは」
「ん……ない。いや、あるな。小柳に人気が集まってるというか、みんなメロメロっていうか。もちろん、マネージャーとしてよくやってるのもあるんだが、それにしてはそれにしてもって感じで」
これが関係してるとは思えないが、と先輩は言う。その一言までメモし終えて、クロナちゃんを見れば、腕を組んでじっと考えている。
「もう、いいの?」
「ああ、聞きたいことは聞き終えた。君、明後日にでも謎は解けると思うから、また、ここで同じ時間に来てくれ」
と、クロナちゃんが言えば、困惑したような表情をして、海野先輩が去っていった。
「ホントに謎、解けるの?」
海野先輩のせなかが見えなくなってから、わたしは言ってみる。もちろん、友人として、クロナちゃんの『謎解き』力を信じていないわけではない。この少女、こう見えても、多くの謎を解き明かしている。
海野先輩も言っていたように〈神谷木高の名探偵〉とは他ならないクロナちゃんのことだ。
「解けるとも。このくらい、お茶の子さいさいさ。ただ、実際のところは当人たちに聞いてみなければわからないだろう。だからこれから、その二人に話を聞きに行く」
クロナちゃんがそう宣言したところで、予鈴が鳴った。次の授業が始まるまで残り五分。調査とやらは放課後へと回された。
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