7 まったく気がつきませんでした

 シャワシャワと、小気味よい音が鳴り続けている。

 アパート内の台所で、私はテーブルについていた。


 コーポ・ディッシュは、各部屋に台所はついていない。

 コンロとか、そういうのも置けない。

 これ、いわゆる昭和スタイルなんだろうな……。


 アパートの中に、台所はここしかない。

 たぶん昔は、アパート内の住人がここに集まり、みんなで食事をしていたのだ。


 学生さん専用の、なんだっけ?

 下宿? 

 そういうの。


 そして時は流れ――今、私はテーブルに座っている。

 料理を作っているのは……えぇ、さっき私がお風呂場で気絶させた彼です……。


「とりあえず、今日はこんな物しか作れない。買い出しに行ってないんだ。でも栄養のバランスは良いはずだよ」


「はい。すいません。ありがとうございます」


 彼が、野菜炒めを私の前に運んでくる。

 モリモリのキャベツ、美しくきざまれたニンジン、たまねぎ、それから豚肉。

 何と言うか、めちゃくちゃ家庭料理。

 ごはんの隣に、お豆腐のお味噌汁が置かれた。


「どうぞ。食べて」


「はい。いただきます」


 箸を取り、私は野菜炒めをひと口食べてみる。


 ポリ、ポリ、ポリ――。


「え……」


「ん? ひょっとして、お口に合わない?」


「いえ。それどころか、めっちゃおいしいです」


「それは良かった」


 彼がほほ笑み、私の向かいに座る。

 同じように、食事をはじめた。

 私は、彼が作ったお味噌汁を飲んでみる。


 ズズ、ズズズ――。


 マ、マジか……。

 これも……絶妙なバランス。

 つまり、おいしい。

 まるで、どこかの定食屋さんに来たみたいだ。


「あの……」


「ん?」


「お、お名前は?」


「あぁ、そっか。ごめん。そういえば、まだ名乗ってなかったね。ぼくは、田沼たぬま勇助ゆうすけ。きみは?」


「本宮、すみれです」


「そっか。これから同じクラスで中学生活を始めるわけだけど、よろしくね、本宮さん」


「はい。よろしくお願いします。で、あの、田沼さん」


「同じ学年で、同じクラスなんだ。『さん』付けは、イヤだな」


「じゃあ、あの、田沼くん」


「うん。何? 本宮さん」


「さっきはどうもすいませんでした。私、まさか自分と同じ歳の人が、このアパートの住人だなんて思わなかったもので……」


「ぼくもだよ。まさかこのアパートの管理人が、本宮さんみたいな同じ歳の女の子に変わってるとは、夢にも思わなかった」


「私も祖母に直接頼まれたわけではないので、住人の方の情報もなくて……」


「まぁ、しかたがないよ。でもビックリしたなぁ」


 楽しそうに笑い、田沼くんが向かいでお味噌汁をすする。

 なんか、キンチョーしてきた。

 考えてみれば、私、男の子と二人っきりでごはん食べるの、初めてだ……。


「今日、入学式だっただろ? 汗かいちゃってさ。ここに帰ってきて、すぐにシャワーを浴びてたんだ。そしたら――突然、きみが入ってきた」


「ホントにすいません。鼻血、大丈夫ですか?」


「大丈夫、大丈夫。それから敬語はやめてね。タメ語でよろしく」


「は、はい。い、いや、うん、わかった……」


 私たちは、夜ごはんを食べ続ける。

 田沼くんが作ってくれたごはんは、めちゃくちゃおいしかった。

 くやしいけど、私が作る物とはレベルが違う。


 食事が終わると、田沼くんがコーヒーをいれてくれた。

 なんか苦いけど、せっかく田沼くんがいれてくれたんだから、飲むしかない。

 なんだかよそよそしい空気の中、私たちはズズズーッとそれを飲んだ。


「本宮さんは、いつまでここの管理人をするの?」


「祖母が帰ってくるまでかな」


「おばあさまは、ご病気?」


「ううん。彼氏に呼ばれて、東京に行っただけ」


「彼氏……そっか。まぁ、志田さん、美人だもんなぁ」


「はは……」


 田沼くん、おばあちゃんのこと『志田さん』って呼ぶんだ。

 まぁ、おばあちゃんは志田さんなんだけど。


「ところで、きみの親御さんは?」


「パパは、ずっと昔に亡くなってる。ママは、彼氏といっしょに外国に行った」


「そうなんだ。まぁ、志田さんの娘さんってことは、きみのお母さんもめちゃくちゃ美人なんだろうね」


「ははは……どうだろ……」


「ところで本宮さん」


「ん?」


「あの、きみ、気づいてるかな?」


 田沼くんが、急に真顔で、まっすぐに私を見る。

 そんな彼に、私は首をかしげた。


「気づいてるって、何?」


「あぁ、きみ、やっぱりまだ気づいてないんだ」


「あの、言ってることがよくわかんないんだけど?」


「うん。まぁ、そうだよね、うん……」


「ごめん。ハッキリ言ってくんない?」


「じゃあ、ハッキリ言うけど――」


 田沼くんが、後頭部をポリポリ搔きながら、私に言う。


「ぼくたちがこれから暮らすの、このコーポ・ディッシュだろ?」


「うん。そうだよ。ここはコーポ・ディッシュ。私は、その管理人の孫」


「あの、それがわかってるんなら、答はすぐに出てくるよね?」


「遠回しだなぁ。もっとハッキリ言ってよ」


「は? なんでキレる?」


「そりゃキレるでしょ。あなた、ハッキリ言わないんだもの」


「いやいや。自分で気づきなよ。大事なことだろ?」


「大事なこと?」


 私の言葉に、田沼くんは逆に少しキレ気味。

 ため息をついて、ウンザリと続ける。


「じゃあ、思いっきりハッキリ言うよ――」


「はい。どうぞ」


「ぼくたちが住んでるのは、このコーポ・ディッシュ。台所も同じ、お風呂も同じ。だろ?」


「だから何? そんな、当たり前のこと」


「本宮さん、きみ、鈍感すぎるだろ……」


「鈍感? はぁ? 私がぁ?」


「ひとつ屋根の下で、若い男と女が同居するんだ。しかも二人きり。これって――同棲みたいなもんじゃないかな?」


「あ……」


 えぇ、私、それを聞いて、初めて気づきました。

 ひょっとしたら、私、ママ&おばあちゃんを軽く超えてるのかもしれません。


 まったく気がつきませんでした。

 私、中1にして――若い男の人と、同棲をはじめるのです……。

 しかも今日から……。

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