6 通報

 それからのことは、あまりよく覚えていない。


 バスタオルで体を隠す、裸の私。

 その姿を見て、一瞬「え……」という表情を浮かべる彼。


 次の瞬間、条件反射的に右手を出す私。

 それに気づき、目を見開く彼。


 めちゃくちゃ素早いムーヴで、右手を振り抜く私。

 その一撃を、左のホホで、モロに受け止める彼。


 直後、彼の鼻先から、飛び散る赤。

 思いっきり、白目になる。


 あまりのジャストミートに、なんだかちょっとスカッとする私。

 クールな視線で、風呂場に崩れ落ちていく彼を見下ろす。


 全裸で、気絶する彼。

 とりあえず、彼の下半身にバスタオルをかけ、両手を持って、管理人室まで引きずっていく私。


 されるがまま、廊下を引きずられていく彼。

 それを見下ろし、「フッ、ザコが……」とつぶやく私。


 私が覚えてるのは、そんなことくらいだ。


       〇


「う、うーん……」


 そんな声をもらしながら、彼がようやく意識を取り戻した。

 良かった。

 気がついた。

 一瞬、殺したかと思った。


「こ、ここは……」


 うつろな表情で彼が言う。

 私は、おばあちゃんのちゃぶ台に座ったまま、足を組みなおした。


「コーポ・ディッシュの管理人室。このアパート、私のおばあちゃんの家なんだ」


「きみの、おばあちゃん……」


「まず、私の話を聞いてほしい」


「そ、その前に、ぼくは、これ、一体どういう状態なんだ?」


「それは自分の胸に聞いてみなさい」


 もちろん、私はこう見えて、冷静な女の子だ。

 住居不法侵入してきた彼に、体の自由なんか与えるわけがない。


 彼の両手・両足は、ガムテープでぐるぐる巻きにしておいた。

 つまり彼は、今、身動きが取れない。


「自分の胸に聞いてみろって言われても……」


「言いわけは、やめなさい! 男でしょ! 警察に電話するよ!」


 そう叫んで、私はスマホを構える。

 それを見て、観念したように、彼はため息をついた。

 ヨユーの表情を浮かべながら、私は続ける。


「まず――あなた、私と同じクラスだよね?」


「あぁ、そうだ。今日から同じクラスになった」


「そして――私の隣の席になった」


「うん。きみの隣の席になった」


「なるほど。これでわかったわ」


 座っていたちゃぶ台から立ち上がり、私は名探偵のように室内を歩きはじめる。


「つまり、こういうこと? あなたは今日、鶯岬中学に入学し、私と同じクラスになった。そして神様が与えてくれた超ラッキーによって、私の隣の席になった」


「超ラッキーかどうかはわからないけど、まぁ、そんなとこだよ」


「フツーはね、そこで終わるんだよ」


「そこで、終わる?」


「そう。終わるの。『あぁ、おれ、めちゃくちゃ可愛い女の子と同じクラスになっちゃった。しかも、隣の席。おれ、超ラッキー。神様、サンキューです』」


「めちゃくちゃ可愛いとか……自分で言うんだ……」


「繰り返すけど、フツーはここで終わるの。彼氏とかになりたいんだったら、少しずつ少しずつ、めちゃくちゃ可愛い女の子にやさしくして、距離を縮めるの」


「か、彼氏?」


 私は、ピタリとその場に足を止める。

 まっすぐに、右手の人差し指を彼に向けた。


「でも、あなたは違う! 私の可愛さに衝撃を受けたあなたは、私のあとをつけ、自宅をつきとめ、そればかりか、家の中に侵入してきた!」


「は?」


「そして私んちのお風呂場に入り込み、私がいつも使ってると勘違いしたシャワーを『ちょっと使ってみちゃおっかな』レベルで、軽く使ってみた!」


「え、いや、あの……」


「言いわけは聞かない。これは警察に通報する案件です。あなたは、中一の入学式を終えたその日、ストーカー行為で逮捕されます。悪く思わないでね」


「あ、あのね、きみ……」


「言いわけは聞かないって言ってるでしょ! でもただ一つ、私はあなたに謝らなきゃいけないことがある!」


「謝らなければいけないこと?」


「私、可愛すぎて、ごめんなさい……」


「何を言ってるんだ、きみは?」


 そうため息をつくと、彼はモゾモゾとその場で動きはじめた。

 手足のガムテープをちぎり、あっという間に自由になる。

 バスタオルを、腰に巻いた。


 ヤ、ヤバい!

 私は、慌てて警察に電話しようとする。

 だが一瞬にして、私は彼にスマホを奪われた。


 管理人室で、私と彼はにらみ合う。

 張りつめた、沈黙――。


「お、大声を出すわよ!」


「べつに出してもかまわない。ぼくには何の後ろめたさもない」


「ストーカーのくせに! 変態のくせに! よく堂々とそんなことが言えたものね!」


「きみは、志田さんの孫なのか?」


「志田さんって――お、おばあちゃんの苗字! あなた一体、どんだけ私のことを調べあげているの?」


「べつに調べあげてなんかいない。前から知ってる」


「は? 前から? どういうこと?」


「志田さんから聞いてないのか? ぼくは、このコーポ・ディッシュの住人だ。家賃だって、すでに前払いしている。一年分」


「え……ってことは、あなたが、このアパート、ただ一人の住人さん……」


「なぁ、管理人さん」


「は、はい」


「警察に電話していただけますか? ぼく、自宅アパートでシャワーを浴びてたら、正体不明の女にいきなりビンタを喰らわされ、気絶させられたんです」


 そう言いながら、彼が私にスマホを返してくる。

 それを受け取り、私はきちんとその場に正座した。

 丁寧に指をそろえ、静かに頭を下げる。


「本当に、申しわけございませんでした……」

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