第31話 運転会その1

 日曜日、午前九時。


 「では行ってきます」


 家を出る僕の横には、なぜか磐梯いずみがいた。草色のリュックに色々何か詰め込んで、玄関の前で待っていたのだ。


 「行きましょ」

 「ん?」


 当然のように僕の手を取る磐梯いずみに、僕は問いかける。


 「この手はなんだ」

 「だから、行くんでしょ?」

 「どこ行くか知ってるのか?」

 「真一が知ってる」


 うーん。


 今日は、蔵王ひかりの家にお呼ばれしている。彼女に、復旧した国鉄485系を見せるために。それにしても、磐梯いずみのこの荷物はなんだろう?


 「まあ細かいことは気にしない。別に如何わしい場所に行くってわけじゃないんでしょ?」

 「そりゃそうだけど」


 昼食の度の、あのぴりぴりした二人の空気を思い出すと胃が痛い。磐梯いずみは僕に誰か知らない人が近づくことを警戒するし、蔵王ひかりは幼なじみなんていう見知らぬ関係性に対して警戒している。と思う。


 ご飯くらい楽しく食べたらいいのに。


 「……頼むから変なことはしないでくれよ」

 「大丈夫だって」


 こういう時の磐梯いずみはもう何を言っても無駄だ。普段は姉ぶっているくせに、急に頑固で手に負えなくなる。僕は仕方なく、いずみも連れて行くことにした。



 電車で数駅、そして徒歩五分。一度来ただけでも覚えられるくらいの立地。


 「ほえー、すごいマンションだねぇ」

 「騒がないでくれよ?」


 僕は受付のインターホンに部屋番号を入力する。少しの間があって、モニターに蔵王ひかりの顔が映った。


 「はい、もしもし」

 「あ、おはよう。松島です」

 「あっ真一くん、もう来たのね。今そこ開けるから、上がって来て」

 「あのね」


 僕が同行者について説明をしようと思った瞬間に、通話は切れた。はあ、まあいいか。すっ、と強化ガラスのドアが開く。


 「ほれ、行くぞ」

 「おー、オートロック」


 変に感心している磐梯いずみを伴って、僕は蔵王ひかりの部屋の前に立つ。


 「ふふん、つまりここが蔵王ひかりさんの家なのね。お家デートなのね」

 「違うったら。模型を見せる約束をしてたんだ」


 僕は言って、玄関わきのドアチャイムボタンを押す。ピンポーンという電子音ではなく、キンコロコンという鐘のようなベルのような音が微かに聞こえ、ドアが静かに開いた。


 「や、やあ」

 「いらっしゃい


 蔵王ひかりは笑顔で僕を出迎える。


 「実はその、おまけがついて来ちゃって」

 「おまけ?」


 ぴょん、と僕の影から磐梯いずみが飛び出す。


 「ども、磐梯いずみでっす」

 「お姉さん?」

 「へへへ、真一がなんだかソワソワ出かけるもんだから、ついて来ちゃった」

 「あはは、じゃあどうぞ、中へ」


 蔵王ひかりは嫌がる素振りも見せず、僕たちを部屋の中に案内する。


 「ふへえ、広いのね?ここで一人暮らししてるんだ?」


 きょろきょろする磐梯いずみ、うう、恥ずかしい。


 「はい。ちょっと前までは、おじいちゃんと二人暮らしでしたけど」


 例の木製テーブルの上には、薄く白い布がかけられていた。なるほど、あれで埃を避けてるんだな。


 「お茶でいいですか?」

 「お構いなく!」


 キッチンからの声に、いずみは陽気に答える。少しして、銀のトレイに冷えた緑茶を入れたグラスを三つ乗せた、蔵王ひかりがやってくる。


 「お姉さんも来るなら、一言いってくれたら良かったのに」

 「いや、朝待ち伏せされて。それに、連絡方法知らないし」

 「あ、そうだったね。じゃあ後で連絡先交換しましょ」

 「ああ」


 僕は返事をしながら、肩掛けカバンから車両セットのケースを取り出す。


 「これだよ、僕の模型」

 「ちょっと待ってね」


 ひかりは身を翻して木製テーブルに向かい、優雅にその上を覆っている布を取り払った。茶色い道床のエンドレス。今日は、機関車は乗っていない。


 「はい、ここに」

 「ありがとう」


 僕は礼を言って車両ケースを紙のスリーブから抜く。ぱちんぱちんと二つのロックを外してフタを開ける。ウレタン特有の臭いがほんの少し漂う。


 線路にリレーラーを置いて、クハ481、モハ484、モハ485、そしてクハ481の順に線路に乗せる。この模型は実物によく似た、ボディマウントタイプの連結器を採用しているので、ただ軽く突き合せただけでは連結できない。連結器どうしを合わせるようにして、ぐっと力を入れる。カチッ、と手ごたえがして、連結器はロックされる。


 この連結も、小学校二年生時の自分にはもどかしかった。


 連結が済んだので、僕はモハ484のパンタグラフを両方とも上げる。交換用の部品として買って来たやつだ。とても繊細に見えて、触るのがやっぱり怖い。


 パワーユニットの電源を入れて、ダイヤルを左にそっと回す。ゆるゆると列車が走り始めた。


 ふう。僕がため息をつくと、黙って見ていた蔵王ひかりも、磐梯いずみもため息をついた。


 「ため息がシンクロしたね」


 おかしそうに磐梯いずみが言う。

 タタンタタン、とリズミカルなジョイント音を立てて列車は走っていく。


 「かっこいいね」


 蔵王ひかりがしみじみと言う。どこか、遠い目をしていた。


 「今の電車って銀色ばっかりだもんね、こういう色のはあんまり知らないから新鮮」


 磐梯いずみも模型に顔を寄せる。

 少し離れたところから見ても、室内パーツの青には違和感がない。良かった、思っていた感じに仕上がっているぞ。


 約六年の時を経て、僕の特急電車は完全復活を遂げた。まさに感無量ってやつだ!



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