第6話

 一年最初のテスト週間に入り、部活はお休みになった。いつものように私たち――互いの親友と私とヴォロージャ――は城の図書室であれこれ言いながら苦手な所を四人分攫い出していく。もっとも私はあまりなかったから、殆ど他の三人の対策だ。幸い生物はまだない。私が苦手なのはあの辺のグルコースとかマルトースとかだから、それに向けて予習をする程度の余裕があった。

 ヴォロージャは古典で躓いている。昔言葉は面倒で分からないらしい。お向かい二人は数学の公式が覚えられなくて唸っていた。こうしてこうなったら、こうなってこうなるよね? と丁寧に解して教えているんだけど、どの公式がどの問題に当てはまるのかすら分からないようだった。


 そこにすかさずアタックしてくるのが王妃様のティータイムである。一旦頭を柔らかくして、糖分も取って、お喋りで学校の事を聞いたりして。


「ヴォロージャもローリィちゃんも剣術部の部長になった事なんか教えてくれなかったのよ! 私のお下がり貸してあげたのに酷いと思わない?」

「お下がり貸しちゃだめだと思います、まず……あと付け毛のやり方教えたんも王妃様やって聞いてますけど」

「エクステは乙女の命! 私もパーティの時に髪を盛らなきゃいけない時はたまに使ってるの。テストが終わったら社交シーズンねえ、ローリィちゃんのドレスきちんと出来上がっているかしら。信頼している仕立て屋さんだから大丈夫だとは思うんだけど、いざモノが届かない限り安心できないのよねえ」


 いざと言う時は王妃様の昔のドレスを借りれば良い。思っていると、じーっと視線を感じて、きょとりとする。出所はヴォロージャだった。どこを見ている、どこを。視線の先を追ってみると、胸である。私の。黒い制服に包まれているから目立たない、乳。おい何の用だ人の乳に。


「そろそろ母上用のドレスは着れなくなりますね」

「そーなのよ、ローリィちゃん発育が良いから仕立て直しが大変なの! 買った方が早いぐらい!」

「ちょっ何言ってんですかヴォロージャも王妃様も」

「でも最近のデザインを選べるのって楽しいわー! 私もお揃いで作っちゃうぐらい! 色違いのお揃いだと、母子! って感じが出て良いわよねえ」


 母子。義母は私を娘と認めなかったから、顔を合わせる機会はなかった。辺境に住んでいた間、ずっとだ。やっと子供が出来て安心している頃だろう、今は。大きな病気もせず、すくすく素直に育っている弟――正確には赤の他人――の事を思うと、顔を見てみたいな、とは思う。けれど義母のヒステリーを呼ぶと思えばそれは出来なかった。今三歳になる頃か。贈り物をしても多分撥ねつけられる。

 そう思うと、身近に母を名乗ってくれる人がいるのは嬉しい事だった。今までなかった感情だ、これは。お母さん、かあ。本当に王太子妃になったら正式に義理の母子になるのだと思えば、それはちょっと嬉しい事だった。


 王様と父子関係になるのはちょっと不安だったけど。あの人フランクすぎて周りの諸国には侮られてるって聞いてるし。あれで結構辣腕なんだけどな。うちの実家に無理難題を押し付けてしれっと私を可愛がる辺りとか。この金額でこの量の絹を買え、とか。最低限に近い援助しかしない。

 こっちにも愛されてるんだろうなあ。やり口がヴォロージャとそっくりだ。まあそれは良いとしよう。義父は私を娘というより爆弾として育てていたから。王室に向ける爆弾として、考えていたから。


 義父は王位継承権第三位。とは言え第二王位継承者の義祖父は引退しているから、ヴォロージャと現王を亡き者にすれば自動的に繰り上がってこの国の王になれる。だから私を無自覚な刺客として育てて来た。それを聞いた時は流石に死のうかと思ったけれど、ヴォロージャがそれを止めてくれた。俺達の家族になれ。そうして本当に、その計画は実行に移され掛かっている。入学式の公言から、新聞の公示まで。王家の馬車で通学しているんだから、半ばもう知られていた関係であるともいえるけれど。


 いちゃいちゃしてんじゃねーよ、と内なる自分から突っ込みを受けることもある。せめて教養として大学部までは通っておかないといけないだろう。頭の悪い愛想も無い王太子妃だと思われてはたまらない。愛想。この歳ですでに失くしかけているものは果たして手に入るんだろうか。

 と、後ろからがばりと何者かに抱き着かれて、思わず掌底を放つ。


「あいだっ! うーんローリィちゃんは相変わらずガードが堅いなあ……」

「もう中学生ですよ、そのぐらいのガードが出来なければ危ないぐらいです――父上」

「陛下!? うち、なんちゅーことを、すんまへん、すんまへん!」

「良いよ、このぐらい強い方が私も安心だ。ところで私の分のお茶は?」

「ワン・フォー・ポットの残りかすぐらいかしら」

「酷いよハニー! 公務終わらせてきたのに、ケーキも無い!」

「ケーキは夕飯のデザート用として取っておいていますわ。この子達には別でレモンムースですけれど」

「私の扱い悪くない、何か……」

「はい紅茶」

「うん。しぶっ! 出がらしになってる、しぶっ!」


 けらけら笑う王妃様に釣られて、私達学生四人も笑ってしまう。そうだ、夕食の席では七人の女を泣かせた話でもしてみようか。まだネタにはしていない、そう言えば。

 奔放すぎる。前にもどっかで言われた気がするけれど、どこでだったかは覚えてない。そりゃ三年も一緒に暮らしてたら多少奔放にもなるだろう。ヴォロージャは頭が固くて私の事になるとすぐに駆け付けてくれるし、学校は地雷原だけど最近はその歩き方も心得て来た。なんてったって三年だ。九歳の頃から好きでした。言える年齢になって来てると思う。勿論、ヴォロージャが。


 私もヴォロージャは好きだけど、あからさまな嫉妬なんかを見せないのは、この人を信頼しているからだ。何でも聞いてくれる、大切な人。我が侭を言った事はない。結婚して欲しいなんて言ったことはない。だけど求められるなら吝かではない。


 なんてったって、私の方だって愛しちゃってるからな。

 とは言えそれを隠して来た努力は入学式にパリンと割れたが。

 シャボン玉より儚い平穏だった。


「あー数学は面倒くさくなってきてる頃だよねー」

「そうなんです、陛下。俺達この辺ずっとぐるぐる回ってて」

「将来使うかなあって微妙な所だよね。ところで君は将来ヴォロージャのナイトになってくれるつもりはあるのかな?」

「はい! 王宮騎士団は昔からの夢です!」

「そうだったのか。じゃあ部活でも辺境流を」

「いやあれは女子だけで良いだろ、最短距離を最適に崩すって、女子向けだろ。男は腕力があれば押し通せる」

「そうでもないぞー少年。そちらの令嬢は?」

「そうですね、武装メイド隊に入りたい所ですけれど、この図書室の司書でも良いかなって最近思ってます。となると私達、ずーっと一緒の職場ね」

「心強くてええやん。友達一人いるだけで暗闇も晴れるで」

「誰の言葉?」

「うちの思い付き」


 あはははっと笑って、ではそろそろ、と陛下達は去っていく。ティーポットやカップを乗せたワゴンをメイドに押させて。あのメイドも戦える訓練とメイドとしての器用さを持っている。武装メイド隊、と言うのは伊達じゃない。何度も陛下たちを助けて来ている。主に私から。私という、刺客から。


 そんな元刺客が婚約者で良いのかねえ、と思って隣を見ると、古典用語から辞書を引き出したヴォロージャの姿が目に入る。頑張ることを知っている、良い子なのだ、こいつは。ちょっと私に対しては防衛過剰な所もあるけれど、それも悪いとは思っていない。ただ、自分で出来る事を邪魔されるのは好まない。私のプライドを最低限守ってくれたら、それで良い。私の出来る範囲で、私の事は私に守らせて欲しい。

 キュートなお姫様じゃないのだ、こっちだって。守られてやるだけが私じゃない。私はもっと、色々出来ると思いたい。剣術だって不本意ながら教える方に回ってしまったけれど、くたくたになるまで剣を振るっているのも好きなのだ。勿論、グルコース・マルトース・セルロースの世界みたいな苦手はあるけれど。それは勉強すればいい。出来なくても殴られない暮らしに、私は慣れて来ている。


「ローリィ」

「んー?」

「その、じっと見られていると、恥ずかしい」


 しもた、ぼーっとしてた。


「見つめ合うと照れるのに女装して剣術部ぼろぼろにするのは平気って、ヴォロージャも解らんやっちゃなあ」

「自分で動くのは平気だ。お前にされるのは、その、照れる」

「あーあーまだ夏前なのに暑苦しーな」

「ほんとーこれが全校生徒の前で婚約者公言した人とは思えない」

「なっそっそれはっ」

「案外本番には強いんとちゃう? ヴォロージャ。その強さをテストでも発揮するんやでー」

「解ってる……」


 辞書で顔を隠しても、赤いお耳が見えとるで。

 ちょん、と挟んでみたら、ぴぎゃあっと鳴かれた。

 ほんと、私の婚約者はかわいい。

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