第3話
「あっれぇ!?」
放課後、部活に行くためにロッカーに入れておいた体育着を取り出そうとすると、そこにそれは無かった。
おかしい。朝の馬車では確かにあったし、ロッカーにぶち込んだのも覚えている。なのにここにはない。早くしないとあの先輩たちが試合放棄にして私を笑いものにするだろうことは何となく目に見えていた。それは私のプライドが許さない。
剣術部の誰かが盗んだ? 初等部の頃と同じでロッカーに鍵はない。やっぱりなくす人が多かったんだろう。だから今でもラブレターは簡単に入れられるし、剃刀レターも同様だ。幸いまだ貰ってないけど、どっちも。あっても検閲が入るらしいから、私の元には届かないだろう。ヴォロージャはそういう奴だ。
ぱたぱた何度か開け閉めしても、落ちて来る事も無い。上を見たけれど、それらしいものは見つけられなかった。時間は四時半。部活は四時から。やばいなあ。本当に、棄権と見做される。そんなのは嫌だ。ヴォロージャを探して手伝ってもらおうか。いや、あいつも今日から部活の体験入部のはずだ。そんな迷惑は掛けられない。これは私の問題だ。ローリィ・ド・ツォベールの問題だ。ウラジーミル・ヴォルコフではなく。この私の。
一度教室に戻ると、もう皆部活見学に行っているらしくて、がらんとしていた。そこを探すけれど、あの大きなヘルメットが隠れている節は無いし、今日は体育も無かった。誰が。何処に。この手の嫌がらせには三年前から慣れているけれど、面倒なのは変わらなかった。あーまったく、こんなんで良く王子の婚約者なんて勤まるもんだ、私も。自分に腹が立つやら情けないやら。
どっかで借りられないかな。でも私が中等部で知っているのなんて、以前喧嘩吹っ掛けて来たおねーさま達ぐらいだ。勝手に勘違いしてヴォロージャから離れろと平手打ちして来た。あの頃はまだヴォロージャをどうとも思っていなかったから、私は取り敢えずそのみぞおちを殴った。あっさりノックアウト取れたのは、今でも芸術的だったと思う。
と、そんなことはどうでも良くて。親友を先に剣術部の見学に向かわせた――そう、まだ正式入部もしていないのだ、私達は――事を悔やみながら、私はまたロッカールームに戻る。ここしか手掛かりはないのだ。
あれ? そういえば、今日は体育がないにもかかわらず、ヴォロージャも体育着の袋持ってなかったっけ? うんうんと思い出そうとするけれど、私のこういう時だけ弱い頭は正確にそれを思い出せない。まあそれは関係ないか、ヴォロージャだって剣術部の見学――否、見学で実戦はやらせないだろう。と言う事は、どう言う事だ?
私は思わず、ヴォロージャのロッカーを見る。
そこにあるのは体育着の袋だった。
ローリィ・ド・ツォベール。
名前付き、間違いなし、私の体育着。
昨日拾っていた私の髪。なんとなく繋がるけれどまさかと思う。とにかくそれを持って、長い髪を靡かせながら私は武道場に向かう。球技以外の運動部は全部そこに突っ込まれていたはずだ。がやがやと出来ている人混み。ごめんなさいっと通してもらうと、途端にうおぉぉぉぉと声が上がる。何? 何が起こってる?
そこには、金茶の巻き毛を後ろでまとめ、顔を隠している剣士が立っていた。
小柄で、多分一年生。勝敗を描いていたボードは、決勝戦を示している。
そこに立っているのは、『私』。
『私』の、偽物だ。
「ッヴォロージャ!」
私の声にえ、え、と人々が揺れる。拾った髪を付け毛にして、昨日の上級生たちをぶちのめすのに使ったんだろう。こっちを向いたヴォロージャは、げっと言いたげに髪を揺らす。その髪をぶち取ると、騒ぎは武道場全体に広がった。
「女物やんその体育着! どっから出してん!?」
「母上に借りた」
「甘い! あそこのかーちゃんはあんたに甘すぎる! で、何でうちのトーナメント邪魔しててん!? この体育着探してる間に全員片付けたってそういうこと!?」
「そう言うこと」
「何で!?」
「お前を傷付ける奴なら、俺が相手をするべきだと思ったからだ」
「はあ!?」
「婚約者を嗤う者を、俺は許せない」
ぎゅっと手袋を鳴らして、ヴォロージャはヘルメットを取った。そこにいるのが昨日進学して来たばかりの王子だと知らない人間は多い。だが、私がヴォロージャと連呼するので、それがウラジーミル殿下の愛称なのは知れていたので、気付いた連中も多かった。王子? 殿下? とひそひそ聞こえる声。大柄な女子をも一撃で倒して来たんだろう、大方。でもそれはヴォロージャの記録で、私の記録じゃない。この私の、ローリィ・ド・ツォベールの結果ではない。
喧嘩を売られた私の結果ではない。
ぺしんっと頭を叩くと、いたっと喚かれた。
私のプライドの高さは一番よく知っているだろうに、なんつーことを。
私は伸びている先輩の方に向かう。
「先輩、先輩」
「う、うーん……ひっ」
「先輩、もう一度トーナメントし直しましょう」
「はぁ!?」
そりゃそう言いたくもなるだろうけれど。
「今まで戦ってたのは私の勝手な影武者です。私じゃありません。私の実力で勝ち取りたいんです。お願いします、もう一度戦って下さい」
「そ、そんなこと出来るわけないでしょう!? あんな推し通るだけの戦法にも勝てないのに、技が付いたらやってらんないわよ! あなたが部長で構わないわ!」
「そんな事やったら後代に示しが付きません! これからの剣術部の為にも、どうか! どうか私と、勝負してください!」
「嫌よ、あなた自分の背中についてるものの恐ろしさに気付いてないわ! 下手をしたら大会にだって出られなくなっちゃう、そんなのは嫌!」
何したのよヴォロージャ。じろりと睨むけれど、ヴォロージャはそっぽを向いて口笛を吹いているだけだ。女物の細身の体育着、それにすっぽり入ってしまう身体。全然強そうに見えないけれど、ヴォロージャだって私が知ってる限り校内の剣術大会は全部優勝して来た実力派だ。でも男と女じゃ力が違う。だから私も、力を付けている。それはこういう場で実力を示すためだ。
「お願いです、勝負してください、勝負! あの馬鹿には私からよーく言って聞かせますから!」
「殿下を馬鹿呼ばわり出来るあなたが怖いわよ! もう嫌、嫌ですからね! 部長になって規則でも何でも変えれば良いんだわ! ただし部長会や予算獲得なんかの雑事も付いてきますからね!」
「それをする資格が私にはありません! お願いです、勝負してください!」
「……ローリィがここまで頭を下げているのに、応じないと言うのか? お前ら」
「黙れ諸悪の根源!」
威圧感を出して女子たちを怯えさせるヴォロージャに、投げつけたのは私のヘルメットだ。顔面クリーンヒット、この女装婚約者 。大体私そんなに胸小さくない。まだもうちょっとある。そう言えば王妃様はスレンダーだったから、私も脂肪分の取り過ぎには気を付けなくちゃ。重い身体は不便だ。とくに剣術では。
「わかった、解りました! 四回戦から改めて開始します、だからもう許して!」
あーん、と泣いた部長に、げぇっとなる四回戦進出者。げぇはないでしょげぇは、淑女として。取り敢えず私は更衣室に走り、急いで体育着に着替える。ワンピースの制服はこういう時に便利だ、頭からすぽっと抜ける。自分の体育着に袖を通すと、新品の何とも言えない身体を締め付けてくる感じが心地よかった。こなれてない。それが良い。
ヴォロージャからヘルメットを返して貰うと、後ろ髪をリボンで括って纏められる。ありがと、と言って、あの髪は捨てなさいよ、と付け毛にしていた昨日の髪を指さす。チッて言った。舌鳴らした。この王子、大丈夫か。人の髪を集める趣味でもあるのか。変態め。つくづくに、変態め。
昨日の私達の話し合いを聞いていたから、ヴォロージャは突然私の髪を切ろうなんて言い出したんだろう。怖い男だ、全部計画通りか。問題は私自身がそれを喜ばなかったことだろう。私には私のプライドがある。矜持がある。それを踏み潰す相手は、王子だろうと、殴るし叩く。なんなら公衆の面前で尻蹴っても良かったのだ、こっちは。
剣を取って、ふうーっと息を吐く。
審判役の先生が呆気に取られていたのをやっと正気に戻ったのか、ううんっと喉を鳴らした。
「で、では四回戦から再開する。両者位置につきなさい」
すでに疲れている相手を相手にするのは気が引けたけれど、そこはすべてヴォロージャの所為にしておくことにした。
そして私は剣術部の部長になり、ヴォロージャも男子部の部長になり、試合は終わった。
「ローリィ、よく頑張ったな」
「あんたが一番邪魔だったんだけどね」
「うっ」
「女子相手にしないでよ、そう言うこと。そりゃあんただって一か月前までは小学生だったけど、良くないよ。そういうところ。私は嫌いだ」
「うっうっ」
「どうせ私が勝つって決まってたんだから」
「お前のその勝ち気な所、好きだぞ」
「はいはい、私も恋人の付け毛して母親に体育着借りてくる婚約者は好きですよ」
「うっうっうっ」
まったく、仕方のない。
仕方のない、婚約者様だ。
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