~淘汰~(『夢時代』より)

天川裕司

~淘汰~(『夢時代』より)

~淘汰~

 「若い娘の肌には余計なものがない」、「少年の夢、さよならしたくない」、「CPと人間の強さ―人間にはCPとは違い、忘れる強さが在る。CPは忘れないからね」、「嘘を吐いて生きられる程人間の世界は甘くない」、「一九六〇、七〇、八〇年代にはレトロな雰囲気が流れて、人の繋がり(繋がって居ないと襲って来る寂しさ)が必ず在ったんだ。俺が子供だったからだろう」、等と特に脈絡もない事をあれやこれや呟きながらここ二~三日過ごして来て居り、そうして見た夢の話である。

 そこは俺の部屋だが見た目、造りは俺が最寄りにして居たキリスト系教会・栄光教会の三階の様に成って居り、加代と俺はsexして居たが上手く勃たず、俺が挿入しようとする際加代は「あ、あたしが入れるわ!」等と元気良く俺の上に跨りながら言うが俺の一物はまだフニャフニャとして柔らかく、「いや俺が入れる」等と声にも成らぬ様な声を、動作で以て長い間誤魔化し誤魔化ししながら掛けて勃つまで粘って見たが、加代の手淫では駄目で、結局やはり自分で努力して勃たせ何とか少しは入れられる程まで漕ぎ着け挿入れてピストン運動を頑張る。俺にしてはなかなか上手く腰が動き、その刺激で勃起した状態が少々保った。その前に、俺は加代(ではなく、そう本当に、自分の為だけに存在してくれて居る様な、人形の様に寝転んだ女を愛撫して居り、その人形が興奮し始め、途中から加代に変ったのだ)の体をやはり太腿から丹念に舐め回して居り、だがどうしても尻穴や他の箇所が「汚い」「不潔」だと思って拒絶してしまい、その為に勃起しなかった、という過程も在ったのだ。その加代とsexをして居る時、階下から母親の呼ぶ声が散々した。父親も一度か二度、呼んで居たかも知れない。途中まで俺達は繋がって居たが、結局母親が俺の部屋まで上がり付け、覗く寸前に俺達はパッと抜いて飛び退き、結構体裁良い距離間を以て寝る振りをする事が出来た。俺は寝ながらにしてルービック・キューブをうつ伏せに成りながら特に何の目的もなくガチャゴチョやって居た様だが、それ以外が動きを特にしなかった為か母親は私が目覚めて居る事に気付かなかった様子で、母親は何か階下、背後、でする雑音や気配に気を取られながらこの私室と外界との空間を斡旋するかの様な素振りを見せて居た様子で、私室の空気(雰囲気)外界の空気(雰囲気)を首を前後に振り分けながらくるくると見て居た。俺はバレて居ない、とわかっちゃ居ながらも、その母親の事を少々疑って居た。

 又俺は現実に目覚めてこの夢にちらほらと意味を付けよう等と試み始めて居た。どうかここで見た真実から掛け離れてしまわぬ様にと少々心の片隅で願いつつ。

 「男と女は一対で在る、とか言うのを聞いた事があるが、あれは嘘だね。それともこの時代が嘘なのか」、「作家は読者の視点に合わせるべきではない。読者が作家の視点や思惑に合わせるべきなのだ」、「一番困るのは俺の常識と世間の常識が合わない事だ」、「次の言動を為させる活気を自分で作らなければならない」、色々な理想を呟き、又俺は数日間を過した。よく俺は夢と夢との間にこういった現実での戯言を入れるがやはり時として、この現実での常識や他人の言動から来る衝撃等の刺激の勢いに敗ける様にして、〝現実マンオンリー〟と化してしまうらしい。こう(〝現実マンオンリー〟に)成ると自分で創り上げた王国が忽ち幼稚に見えたり、まるで時間が経ってCPの電源そのものが、まだ用があるというのに現実に浸る間その画面の絵を消して居たからと言って節電ブームの為せる業か、強制的に機械によって消されてしまい、再度電源を入れて画面を使えるように立ち上げるまで相応の時間が掛ってしまう状態に陥ってしまう訳である。真っ暗になったCPの画面には光に反射した俺の顔がぼんやりと映って居るだけで在り疎い顔をして居る。何か、次に書くことが嫌な様にも見える。でも確かに、夢を原材にして起きたままの寝転がった姿勢でベッドの上で見た夢を現実模写して居たあの頃の生き生きとした活気を覚えては居ても、その時同時に書く事への倦怠感の様な〝楽をしたい〟という気分は在った訳である。果して、今のこの気持ちだけを単一として責め切る事が出来ようか、等と思えば少々お門違いな節も見当てられると言ったもの、私は未だ、誰かの調子を真似して居るのかも知れない。そんな事は決してない、と自負しては居るが、何分自分の潜在の部分とは〝岡目八目〟の言葉が意味する通りに、〝自分の傘下〟に居てはその脳の影響が祟ってかはっきりとした事はわからない様に思える。こうしなければ書けない、ああしなければやはり決して良い物は書けないと勝手に決めて、言動を続けて居る内に何かしらの癖の様なものが知らず内に付いてしまい、恐るべき程の〝験担ぎ(げんかつぎ)〟に身を挺している(尽くして居る)事を知るのはきっと、その癖が付いてから暫く後の事であって、私は今までそんな事を繰り返して恐らくやって来たのだ。今更、変えられるだろうか、等の疑問を思いながらも又、それでも一向構わずやって来る現実の風に刺激され影響も受けて、自然と身に付けさせられた〝自然への自己の彫刻〟、〝何かしなければ(書かなければ)お前(俺)自身の存在理由(価値)もなくなり、生きて居るか死んで居るかわからないといった様な妄想に捕らわれて、きっと又お前は虚しい存在と成るぞ〟等と何かに言い付けられて、又私は躍起に成って身の振り方と明日の我が身について心配せねばならなくなるのだ。そう、〝癖〟とは幾様にも、いつ如何なるタイミングに依っても、変わるものなので在って、これも又私の心身共々の体裁が繕い終えるのを待っちゃくれない。「成長」という言葉が在る。この言葉をよく俺は使えどもその意味は私には関係無く、私は同じ足踏みをずうっと続けて居ても(同じ事を失敗も含めて何度繰り返したとしても)やはり成長するのである。他人が成長と言わない事でも俺にとっては成長を意味する場合が様々に、多々在り、俺はその処で頻繁に成長して来た節が在る。

 この、不束(ふつつか)ながらに見た夢とは、恐らく現実に於いて実際に在った事への憤悶の様な心を具現化した様なものとして在り、私は未だに〝あの焦燥と恐怖と残念、そして失墜と怒りの様なもの〟から逃げ(脱け)切れないで居る。現実に於いて、夢の内に於いて、そうなのだ。あの(知人の)Yはああいう時(誰かとsexをする時)どうなのだ?あの娘はこんな自分をやはり嫌うのだろうか?やはり嫌うだろうな、あの流布された漫画本にさえやたらと頻繁にそういった男の不甲斐無さ、情けなさ、マゾ気質、等と言ったものを並べ立ててそういった部類に潜むSM気質を持った人間を刺激し続けて居やがる。どこでどうその内容の効果が発揮されてそれにより又それを見た人々がどうそれぞれの固定概念の内で加害者・被害者といったものを位置付けるかわからなく、その様な一連は把握し切れない位に、この世にごまんと在るのだ。そうした中をこの様な凡人がどうして生きて行けようか。ひっそりと鳴りを潜めて、あの〝Qさま〟に常連として出演して居るロザン宇治原?がいつも人を見下す様にしてやって居る〝目立ち気質〟と裏腹の言動を以て〝隠れ気質〟を身に染み込ませた上で歩いて行かねばならない。確かに身に覚えは幾らでも在るのだが、辛いものであり、又いつまでこの身が保つのか心配に成るものだ。どうしても持って生まれた性質の気質・性格というものは変えられない様子が在り、例え性格を変える用の手術を受けたとしても自然と又持って生れた生来の気質に好んで還る習性が俺には在るみたいで、どうにも金の無駄遣い、徒労に終わっちまう事実さえ在る様子なのである。懐かしいものを眺めて好むあの習性にも少し似て居る。又、例えこれが(上記が)嘘で在ってもその様な「手術、治療」といったものを聞いた事がなく、又その裏をも見え透く様にして〝ヤラせ〟〝商業の為の儲け手段〟で在る事が俺だけに解る様にして在る為に、躍起に成りながら〝そちらの方向〟へは行かぬ様身と金と周りについて算段して居る様子さえ窺える。〝一度に一つの事だけをしよう(失敗しない為の、又、身を崩さない為の私的手段である)〟という「エクソシスト」(ウィリアム・ピーター・ブラッディ著)に出て来るカラス神父の台詞がまま頻繁に(現実に於いて)甦るのだ。私は楽をしたい気質がどうにもやはり強い様で在り、怠慢の罪に成らなければ良いがとも願いながらそれでも、身を持ち崩さない為に、日々の労苦に身を埋没させて狂い死なない為に、今は、そうした手段を好む様である。私はあの夢に出て来た「不潔」に対する思いをそのまま女の局部に当てて考え、言動に移した事が幾千回も在ったものだがその〝思い〟は終ぞ変わらず、例え天使の様に可愛らしく愛らしく、一つ処の理想を奏でる娘が目前に現れて加代と同様の事をしたとしても、果して上手くやれるか(出来るか)という不安は変わらず屹立として立って居るのである。今日大学のトイレに、そうした煩悩の成れの果てが成せた様な一文言が薄く小さくペン書きされて在ったのを思い出し、あれはあれで一つの理想を奏でた少年の姿が成せる業だと一人で思って居る。そうなのだ、何故にあれ程女性の局部とは異臭(汚臭)を放ち私(男)を近付けないのか、少々の疑問でもある訳である。先程紹介した〝現実に於いて流布され人々の脳裏にその影響と刺激を浸透させ震撼させた漫画本〟にこう書かれて在る。〝何日も洗って居ない雌の強烈な臭い〟、〝(女子高生)この臭いが好きなんでしょ?〟、〝本当はヤリマンコギャル全員の局部キレイにしたいんでしょ?〟、〝女性ホルモンを打ち続けて男としての機能を失わせるわ、あら、段々体も女らしくなって丸みを帯びて来たわね〟、〝男性としての機能はもうないかもね、受精能力はもうないかもね、嬉しいでしょ?〟、等々(云々)。数え切れない位在るのだがその殆どの内容文言は殆ど一緒であり、一つとして新しい処はなく、男と女とのSM質についての問答・展開はこれで終わりなのかと思わせる程に暗い末路を渡って行くものとして在って、私はもうあの本をこれ以上見るのを現在はして居ない。刺激には感じるが、敢えてして居ないのだ。しかし今後又あの本の世話に成る日が来るだろう、と予測は簡単に出来、私にとって最も勃起させる最上の刺激とはあの本に書かれて在った内容・纏わる絵なのかも知れないと又影響させられ、放っとけない位に魅力の在る存在と(あの本が)させられてしまうのだ。しかし現実に於いて私はあの領域には決して行かない事を誓い、もしまかり間違って行ってしまえば現実に俺はその対象である(相手の)女を殺すだろうという現実予測も又単純に立てられるのである。実際にそれを思わせられた上で幾人の女とも喧嘩した事は在るのだ。

 あの夢は俺にとって魔性の様に一見華やかでは在るが永遠に続く幸福が無い様子で、はっきりと現実を教えて居た様子でも在る。私はあの夢の内で母親の存在がうざかった。がこの現実では全てが見える為(見ようとする為)母を愛そうと試みて居る。この狭間の内になかなか捨て難く不動で在り、俺にとっての課題の様な試練の内に光る一つの仕事が在る様にも思う。又もう一つの〝仕事〟とは、その前に見た夢の内で出て来た、今は現実では動かず、やがては俺の為だけに動くであろう〝理想の女〟を手にする事であるとして、俺は今段々その〝光の内に在る存在〟に近付いて居り、もうすぐすれば出会えるだろうと、この仕事の完遂にようやく目途を立てて居る段階に居る。



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