~潮の里~(『夢時代』より)
天川裕司
~潮の里~(『夢時代』より)
~潮の里~
私はあれから夢を良く見た。太陽の日も満月の日もなかなかどうして、嬉しい夢を良く見るのじゃ。あれはそう、母上に怒鳴られ、階下から飯を食えと呼ばれてから又寝た、二度目の夢。二度寝は良く眠り、夢は跳ねるのかも知れない。今ではもう用のない若者があのD大学に居る。私は風呂に入って頭だけは一日たりとも置いて洗ってはならぬと二度寝する前頻繁に思ったものだったが、どうしても勝てぬ、ベッド横の小さなテーブルに置いてある時計をそれから三度程見、晩の九時、十時、零時過ぎ、一時、そして四時を確認して居る。最近どうもこういう生活循環で夢が私の脳裏に巡り巡って来る。
私は寂しい場所を歩いて居た。それは家の近くの小学校の周りに在る細い坂道にも似て居た。その小学校は石垣が周りを包んで居り、月夜の晩等に歩いて見ると、古城にひっそりと堂々と佇んで居る様にも見え、なかなかどうして鮮やかなものである。そうして良く私はその道で日本の戦国の世に戻った気分にも成り、昔、小学校から高校生にかけて、漂うロマンスに浸ったものだった。そのロマンスには私と他人も居た。そのロマンスについて話せば他のロマンスも呼んで来る為少々長くなるが、その時は夜のロマンス、古城のロマンス、寂寥のロマンス、とでも言うものだった。私は何か一つの目的を以て歩いて居る様で、その小学校の石垣には多数の台所等でよく見る戸棚の様なものが取り付けられて在った。私の目前には見知らぬおじさんが居て、その人は漁師の様であり大工の様であり、何かクラフトを思わせる風貌で、他の小さな子供二~三人を一緒に、私にも一寸した事を教えてくれている様だった。「一寸した事」とは今でははっきり思い出せぬが、何かしてもしなくても良い様なものである。している内に、そのおじさんはやがて二人の老婆に変わり、この老人達はさっきまでのおじさんとは違い、自分達の世界・空間を大事にして居た。私は周りが夜でその細道の周りに在る竹藪の竹の間に見える漆黒の闇に、足元を掬われて引っ張り込まれる様な寂しさを覚えた為少し、その老婆達に近付きたかった。別に友人知人に成りたいとは思わずまでも、唯、近くで私の存在を知って貰いたかった。それだけのものである。石垣に在る戸棚の下にはこれ又不思議と坂道に沿う形で右から段々と下方にパイプ椅子の様な椅子が並べられて在り、その椅子の間を上から順に下へと、歌手の椎名林檎がコンサートで見せる白いウェディングドレスの様な衣装を着て、その椅子に置かれたストーリーの様なものを一つずつ説明し、客を沸かせていた様だった。そう、いつの間にかその林檎が歩く場所だけコンサートのステージの様に成って居り、客の歓声が私の背後から聞こえ、寂しくも少々、他の大勢とその空間と私が繋がりを持った気分にも成れた。確か三つ目の椅子位に林檎が気に入った過去の出来事が置かれてあった様子で、林檎はその置かれた化学の実験で使うガラス製の受け皿の中の、白い霧の様なものに顔を近付け満面の笑みで客にマイクを通して説明し、ウケを取りながらも感情に浸って居る様子を浮かべた。次の椅子にはもう一人の林檎が艶やかな色っぽい姿で寝そべって居り、真打ちの林檎が来るのを待って居たかの様にして自分の椅子にスポットが巡って来ると生き生きし始め、唯私と背後の客とをお道化て魅了する体裁を持った。林檎はその偽林檎にも顔を近付け結構濃厚なキスをした。偽林檎は少々照れながらも出で立ち変わらず、まだ笑顔と真顔とで、客を魅了する。私はその偽林檎が、〝CGか何かで作られてるんだろう、最近こういうの多いしな。こんなんばかりで何が本当か嘘かもわからん。信じるものも薄く成る訳だ。その奥の真実(ほんとう)を見せるつもりなんだろうが、こう形ばかり見せて又その形容を持たれちゃ、その背後に在る「真実」とやらまでも安っぽく見える。俺にとっての日本の世間、流行、ちゅうもんはやっぱり終わった…〟等と一人でゴタゴタ呟いて居たが、知らず内に寂しい場所でのコンサートは終わって居た。私はその石垣を前にして、まだ〝グリーン池〟と呼ばれる池がその細道の周りに在った頃の場所で、その池の少々すぐ上手に在る地面を掘り、掘った先に何かを探している様だった。昔流行った〝キン肉マンの消しゴム〟や〝ビックリマンのシール〟や〝カードダス?〟とか呼ばれたカードを掘り起こして居た様だったが、どれも目的とは違って居たのか、私は満足しなかった。
(時と場所が移り変わって)
私は見知らぬ海岸に居た。その岸には色々な人々が集まり、目前で催されているその島独特の民謡の様なものを聞き、楽しんで居る様だった。〝周りの者に結婚されると、その周りの者と出来る話も違って来る…〟等と私は一人で考えながら、その群衆に紛れ、同様に御座を敷いた上で民謡を鑑賞していた。皆の目前はすぐ海である。砂浜の様な場所でその会は催された様で、足元まで段々満潮に成りつつある波が押し寄せて来て居る。〝もし満潮に成ればこの一帯大丈夫か…?〟等の懸念を少々抱えながらも私の横には大阪市長の橋下徹氏が居り、その橋下氏は群衆と程良く楽しく混じりながら今後の忙しいスケジュールを醸し出している様子にも思え、私はその橋下氏と駄弁り、結構橋下氏が自分に合わせて(「合わせて」は点付け)くれるので私は橋下氏を仲間だと認めながら楽しく過ごしていた。どこかに私の父と叔父の克己が居る事を私は既に知って居り、探す内に民謡をやって居るその風景を写真に撮って居る父と叔父の姿を左前方に確認した。〝自分のこうした姿をちゃんと撮ってくれたかな?〟等、後から自分の姿が写真の内に良い写りで映っている事を期待しながら私はずっと又、橋下氏との会話を楽しんで居る。その際、夢想で、よくわからぬ会場に自分と仲間が居るのを私は想像して居り、大きなマーシャルの様な容器の中の整理を、その仲間と大目に見てくれている主催者と一緒になってして居り、何とか要領の良い様に落ち着けようと工夫していた。私はその内で一つ良いアイディアを出したのだが、それは通らず、それでもなかなかその整理は捗(はかど)らず、時の流れるままに身を任せたらしい。その夢想での事を橋下氏に告げ自分の失敗談や工夫の話を言うと橋下氏は、〝自分にも一杯そういう事はあったね、はしゃぎ回って居たりでなかなか思う様には成らない事、思い通りには行かない事、色々あったがそれでも、躍起になればその人の正直が出て、露呈とも採られる様だが、それは人の姿だし、誠を以て誠意を尽くした事に成る。続けるべきだよ〟、という様な事を笑顔で話してくれて居た。私は嬉しく成ったのか、この橋下氏を少しでも笑わせてやろうと思い、一つ橋下氏に言葉を投げ掛けた後面白いオチを漂わす過去の経験、出来事に思いを這わすがなかなか良いものが見付からず、それでも間延び間延びに努めて探してみたが、結局、奥まった記憶の部屋まで足を運んでも出て来なかった。何も見付からないまま、不発の様な笑い話は空を切ったがその時でも橋下氏は私をフォローする様に今度は自分の笑い話を披露してくれ、その場を笑いに包んでくれた。私は嬉しかった。
そこは海岸だったけれども潮の匂いがまるでしなかった。しても良さそうなものなのに、という思いが奏してか、私の記憶の中だけでは潮の香りが満ちて居る。結局、潮は満ちる事のないままその楽しい宴会の様な催しはその後もずっと続いていた。
~潮の里~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji
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