第8話

 自宅はもぬけの殻だった。当たり前のように暗く静かで寒かった。電気をつけ一部屋一部屋回るも、静江と雄大はどこにもいなかった。

「夢、あれは夢では……」

 ぶつぶつとつぶやきながら家を何周もした。しかし何も見つからない。静江の立っていた台所、雄大が好きだった絵本。全部そのままなのに、二人がいない。家にいては頭がおかしくなりそうだった。

次に私は警察署へ向かった。行方不明届を出そうと思ったのだ。

「だから、私の妻と息子が行方不明なんですよ!」

「だから、彼らには戸籍がないんです。存在しない人間です。嘘だと思うなら役所に先に問い合わせてください」

 私が病院から帰ってそのままの不潔な姿だからか、警察署の人間の対応は最悪だった。特につっけんどんに言い返す窓口の女には腹が立った。家にはあんなに妻子の存在を証明する品がたくさんあるというのに、おかしなことを言うもんだ。しかし、憤慨したままかけた役所への電話では、

「鳩の子工場さんですか?ご家族の件で?」

 と開口一番、疲れた声でこういわれる。曰く、『戸籍の存在しない人間』の捜索願が出せないと、何件も質問を受けている様子だった。入院していた4人の同僚以外にも、静江の友人と結婚した人間は数名いたはずだ。皆、静江が連れて行ってしまったのだろうか。手の力が抜け、重い受話器が落下して壁にぶつかり、ガシャンと大きな音が鳴る。私は警察署を後にした。あの白昼夢が現実のものだとしたら、警察にできることはないのだ。

「残念だけど、この町ではたまにあることさ。さっさと忘れるしかないよ」

 ぼんやりと足を引きずる私の耳に入った言葉だ。うつむいて歩く私には、誰が言ったのか、私に向かっていったのかすらわからない。忘れられるか。忘れられるならどんなにいいか。


 毎日、私は静江の服を握りしめて歩き回る。今日も妻子は見つからない。出会った川にそって歩き、あの洞窟へ向かう。静江の好きだった山に登る。彼女の郷里はここなのだ。いつかたどり着けるはずだ。指紋のすり減った指先で、洞窟の壁を撫でる。歩き回っていると、道中に同僚の姿が目に映る。彼らも家族の残した品を持ち、探し回っている。持っているものも彼らの姿もどんどん薄汚れ、ちぎれていく。私の村の住人たちは最初こそ気味悪がって遠巻きにしていたが、すぐにいないものとして扱うようにしたらしい。もうこちらを見ることもない。

 今日も妻子は見つからない。あるときは警察がやってきて、はじめて自分が雨の中何時間も歩き回っていると知った。靴がすり減って足が露出しているのにも気が付かなかった。あるときは工場長がやってきて、工場がつぶれそうだと訴えてきた。主要な社員が抜けてしまい、経営が立ち行かないという。言葉はわかっていた。でも、私の口からは何も出てこない。何一つ心が動かない。妻子のいなくなった今、工場がなんだというのだ。警察もいつの間にかこなくなったし、工場の関係者も来なくなった。工場は閉鎖になったようだ。気が付けば鎖で閉ざされ、一切の稼働音のしない死んだ建物となっていた。

 今日も妻子は見つからない。私の静江、私の雄大。元同僚たちに混ざって、私は今日も妻子を探しに洞窟へ行く。

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川の子たちは帰る 北路 さうす @compost

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