第6話

「静江!雄大!」

「沙織!」

 叫び声が響く。私や同僚たちは口々に妻子の名前を呼び、そこらを歩き回る。

「川に流されたのか?」

「全員がいなくなるなんて、どこか涼しいところで休んでいるはずだ」

 周りなんて見えず、たいして広くない河川敷を走り回る。息が切れ、砂利に足がとられ転ぶ。後続に蹴飛ばされ骨がきしみ痛みが走る。妻子は見つからない。

「森に入るしかない!」

 誰かが叫んだのを皮切りに、私たちは森へ走り出した。取り乱す私たちを見て、ただ事ではないと様子を見に来た上司が止めるのも聞かずに、日が傾き始め薄暗くなった森へ飛び込む。

 森は静かで、夫たちの妻子を呼ぶ声と、草木を踏む音が響く。木の根に躓き、木の葉に滑り、地面に倒れる。足首を痛めたのか地面を蹴るたびに痛みが走る。体がぐらつき、余計足を取られてもたつく。木の隙間を抜けると、急に視界が開け岩肌が出現した。見回すと、同僚たちが同じように突然現れた岩肌に戸惑っている。みんなボロボロで、ほとんどがどこかから流血していて、足を引きずっている。ふと鼻の下がかゆくなり、指でこすってみる。いつの間にか鼻血が出ていたようで、指に血が付いた。

「ここに洞窟があるぞ!」

 右手の方から声が上がり、それにつられて同僚たちはいっせいに駆け出す。一度立ち止まった体は息切れと、怪我の熱さでまっすぐ歩くことができない。岩肌に手をついて、やっとのことでついていく。

 岩肌にぽかんとあいた洞窟は、まるでトンネルのように暗く冷たい口を日開いていた。ほとんど沈みかけた夕日を頼りに、そろそろと中に入る。見た目以上にひんやりとしていて、身震いした。

「誰かいないか!」

 同僚たちが口々に妻子の名を呼ぶ。それは洞窟の壁に反響し、あちらこちらからこだまのように繰り返し聞こえる。足元は水がちょろちょろと流れている。この小さな流れが、会社のそばの川に流れ込んでいるのだろうか。混乱した頭は、関係のないことを考える。ぬるつき不安定な岩の上を滑らないように気を付けながら進む。

 入り口から15メートルほど進んだだろうか、すねまでつかるほど水がたまった広い空間に出た。こちらに背を向けた数十人の女性、そして子供たちがそこにいた。


「静江!雄大!」

 夫たちは自分の妻子をみつけ喜びの声を上げる。私も雄大と手をつなぐ静江の後ろ姿を見た。安堵のまま駆け寄ろうとした。しかし足に力が入らず、私は水の中に膝をついてしまった。周囲でも大きな水音が聞こえる。皆私と同じように足に力が入らなくなったらしく、腹まで冷たい水につかり呆然としている。

「静江、どうしてこんなところにいるんだ!体が冷えたらまた調子が悪くなってしまう、帰るぞ!」

 声を荒げるが、静江はこちらを見ない。それどころか、妻子の誰も、騒ぐ夫たちの方を向こうとしない。どうなっているのかわからず、夫たちは押し黙った。おかしい、ここにいるのは本当に愛する妻子なのか。なぜ体が言うことを聞かないのか。冷たく暗い洞窟内に、ちょろちょろと壁を流れる水の音だけが聞こえる。

「あなたたちはもう用済みなのです」

 急に女性の声が響いた。見回すが、妻子らは背中を向けてるし、洞窟の反響で誰が言ったかわからない。

「頭数は確保されました。ここにとどまる理由はありません」

 別の声がする。反響する声は重なり、不協和音になる。頭を強く振り回されているようで、なんだか意識ももうろうとしてきた。

「なにより、静江様が限界です」

 静江が、こちらを向いていた。会ったばかりの時の、輝かんばかりの美貌を振りまく静江がいた。同僚たちも息をのむ。あんなにやつれて、まるで死人のようだった面影は全くない。しかし今の静江は、まったくの無表情だった。初めて見る顔で、彼女にこんなに無機質な表情ができたのかと驚く。

「あなた、私は故郷へ帰ります」

「故郷って……お前の故郷は……」

「えぇ。あなた方人間が毒をまき散らし、人工物で固めて何も住めなくなったあの川です」

「人間の故郷が川なわけあるか!変なこと言っていないで帰るぞ!」

「私たちは人間ではない。あなたたちがカワビトと呼ぶ存在です」

 息をのんだ。そんなバカなことがあるかと叫んで否定したかった。しかし、静江と暮らしていく中の違和感に合点がいった。この洞窟の臭いは、弱りきった彼女から時々漂ってきた臭いと似ている。

「山が切り開かれ、毒を流されほとんどの仲間は死んでいきました。しかし、私たちカワビトが持つ能力のため、わざわざここに戻ってきたのです」

「私たちは、近い姿の生き物となら繁殖ができる。また、仲間を作ることができる」

「これは復讐だ。私たちの家族を奪った人間たちから、家族を奪ってやる」

 妻たちは全員無表情でこちらを見つめ、同時にしゃべっている。壁に反響し、ランダムな文字列で耳に入り込んでくる。意味を理解するのがやっとだ。妻たちを見ているはずなのに、目がかすんで見えづらい。頭が振り回される。平衡感覚までおかしくなってしまったのか、どこが天井かわからずぐるぐる回る。気を失いそうだ。視界の端に、美しい静江と、彼女によく似た雄大の顔をとらえた。

「さようなら」

 2人はそう言ったと思う。私は回る視界に耐えきれず、胃の者をすべて吐き出した。揺れるインディゴブルーの水面に、使用化され切っていないの焼きそばと肉のかたまりが躍っているのを見ながら気絶した。

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