第2話

 静江と恋仲になってから、私の生活は変わった。まずカップラーメンや店屋物で済ませていた食事が、静江の持ってきてくれる美味くて健康的なご飯になった。いままでの休みは賭け事や酒に興じていたが、休みが取れたら静江と町にデートへ行くようになった。賭け事仲間の同僚たちからはからかい半分に文句を言われた。しかし一度静江に会わせてやると、みんな静江の美しさにやられてしまってもじもじするだけだった。

「こんな美人と付き合ったのなら賭け事なんかもうできないな。静江さん、高野は俺たちがしっかり見張っておきますからね」

「いいんですよ。高野さんは私の恩人なんです。彼の趣味を取り上げたりしたくないわ」

「なんていい人なんだ。高野なんかにゃもったいない!」

「うるせぇ。人の彼女に変なこというない」

 静江は持ち前の明るさで、あっという間に同僚たちとも打ち解けた。気が利く彼女は、私の同僚、上司の誕生日や家族構成を把握していて、誕生日や季節ごとに贈り物を提案してくれた。従わない理由もなかったから、言われたとおりに贈り物を送ると、相手方からはかなり感謝された。上司からの覚えが良くなり、俺はいつの間にか同期の中で一番の出世頭になっていた。最年少で主任の職を拝命したとき、私は静江にプロポーズした。

「君の望むことなら何でもする。一生かけて幸せにするから、結婚してくれないか」

 いつかのように静江の家で、向かい合ってテーブルに座りながら談笑している最中に、私はそう切り出した。静江は美しく優しい女性だ。しがない工場勤務の私とは釣り合わないのではないか。彼女と付き合っている間何度も逡巡した。断られたらどうしよう。膝の上に固く握りしめたこぶしが震える。静江は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になった。

「よろこんで」

 固く握りしめた私の手に自分の手を重ねて答えてくれた。私は喜びで感極まってしまい、涙が出てきてしまった。

「もう、あなたが泣くの?」

 無邪気に笑う静江を見て、私は彼女と幸せな家庭を築けると確信した。


 静江は料理上手で気立てもよく、容姿も優れていて男の理想を体現したような女性だった。しかし彼女は心配していることがあった。それは体が弱いことだ。両親のことがあって郷里へ帰ってきたのが大きな理由だが、もう1つの理由にそれがあった。どうも他の地域の水が体に合わないようで、皮膚がただれたり、具合が悪くなって寝込んでしまうことがあるようだった。私と付き合い始めてから、一度旅行に連れ出してみたのだが、やはり調子を崩してしまった。顔を赤くして寝込みながら、私の調子も気遣う彼女を見て、決して無理はさせないと誓ったのだ。

 だから結納や結婚式も、両親にこちらへ出て来てもらった。静江は、私の両親が静江の両親がいないことや体のことを気にするかもしれないと不安がっていたが、そんなことはなかった。不精の次男坊が連絡をよこすようになり、出世もしたと大喜び。親の援助もあって、遠い親戚や友人、同僚を呼んで盛大な結婚式を挙げることができた。


 静江は結婚してからより一層私を支えてくれた。役職が付いてからは激務になったが、静江のおかげで生活を顧みず仕事に専念できた。同僚たちも、私たちの結婚式で会った静江の友人たちといつの間にか交際をしていたようで、静江と付き合った私のようにバリバリ仕事に精を出し始めた。

 結婚式に参加してくれた静江の同級生や近所に住んでいたという女性たちは、静江のように美しく気立ての良い人たちだった。実家を出てからずっと男所帯で育ってきた同僚たちは、すぐに彼女たちに惹かれていった。そして私に続くように結婚していき、彼らも仕事に打ち込む時間が増え、工場の業績はみるみるよくなっていった。

「高野君の会社への貢献は素晴らしいよ。静江さんの内助の功のおかげだな」

「静江さんのおかげで、我らが工場は鳩の子グループでも一目置かれる存在となりました」

 半期ごとに行われる家族同伴の慰労会では、会社のお偉方へのあいさつ回りのたびに赤ら顔で褒められた。隣でほほ笑む美しい静江を連れて歩くだけでお偉方は気が緩むし、今では静江と同じくらい美しい伴侶を得た同僚から大変感謝される。

「あとは子供ができたら完璧だな!」

 静江の笑顔が一瞬ひきつったのを、私は見逃さない。あいさつ回りだとか適当な理由をつけて、その場から離れた。椅子に座らせ、ウェイターから水をもらう。

 静江は体の弱さからか、結婚から2年を過ぎてもなかなか子供ができなかった。実家には兄貴の子供がいるし、両親も静江の体の弱さを承知しているから子供せかすことはなかった。

「ごめんなさい。せっかく楽しい会なのに」

「気にするな。しばらく休んでいなさい。私はもう少し挨拶回りをしてくるから、そしたら帰ろう」

 休んでいる静江を置いてしばらく会場を回る。時々静江の方に目をやると、同僚たちの妻となった静江の友人たちが話しかけに来ている様子が見えた。彼女たちは本当に仲が良く、会うたびに静江も心なしか元気になっているような気がする。静江は彼女たちの中でもまとめ役であったらしく、どこでも人気者だ。彼女の明るく面倒見の良い性格ならそれも当然だろうと私は心の中で得意満面だ。

 

 会場を後にする頃には、静江もすっかり元気になっていた。

「片山さんの奥さん、おめでたですって。それも双子ちゃんを」

 片山とは私の同僚の一人で、奥方は静江の友人の妹だ。今日の慰労会にも参加していて、静江の隣に座っていた。

「今度は、私たちの番って彼女言っていました。彼女の言葉はなかなかに信ぴょう性があるんですよ」

「またまた。期待しすぎずにな」

「あ、あなた信じていないのね!」

 静江はすねたようにほほを膨らませる。彼女は都会の大学出で聡明な女性だが、こういった非科学的なことをよく信じる傾向がある。神棚のようなものに毎日手を合わせて拝んでみたり、夜に口笛を吹こうものなら「蛇が来るぞ~」と私をからかい始める。私にそれを押し付けることはないので、静観しているが、信仰心が篤いのだろう。

「いつも通り半分信じるよ。いいことだしね」

 私は工場で科学を扱った仕事をしている。予言なんて非科学的なことは信じていない。しかし、半年ほどのちに、静江は男の子を妊娠した。奇しくも片山の奥方のいう通りになった。 

 

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