第7話

 今回の食事には麻理恵しか来なかった。麻理恵は少し痩せたように見えた。

 彼女も色々あるのだろうと感じた。


 「優香も誘ったんだけどお腹が痛いから行かないって」

 「そうか? とりあえず肉でも食うか?」

 「そうだね?」


 

 私たちは山手線でいつもの上野の『叙々苑』へと向かった。


 麻理恵は少食だが食にはうるさい女だった。料理も上手い。



 とりあえずタン塩とカルビ、ハラミにセンマイ刺し、白菜キムチを注文した。


 「少し飲むか?」

 「うん」


 私は生ビールをひとつだけオーダーし、それを一口だけ飲んで麻理恵に渡した。

 その後、俺は体調を考え、自分用にノンアルビールを頼んだ。


 

 肉を焼いて麻理恵の皿に乗せてやった。


 「あなたも食べてよ」

 「ああ。ちゃんと食べてるのか?」

 「私、お料理するの好きだから大丈夫。それに子供たちもあなたのお陰で食べ物にうるさいしね?」

 「子どもたちは元気か?」

 「たまに衝突することもあるけど、それなりにやってるわ」

 「そうか」


 私はセンマイ刺しを食べ、ビールを飲んだ。


 私たちはもう夫婦でもなければ恋人でもない。

 友だち? 親友? 絶交した友だち?

 私はPTAだと思う。子供たちの保護者だからだ。それ以上でもそれ以下でもない関係。

 だがこうして一緒に飯を食っているのだから不思議だ。

 子供たちの話題はお互いに避けていた。それは子供たちが私をよく思っていないことと、そんな子供たちのことを聞き出すことに少なからず抵抗があったからだ。

 私は当たり障りのない、義母の近況を麻理恵に尋ねた。


 「お義母さんの体調はどうだ?」

 「この前、お医者さんに行ったらヘモグロビンA1cが高いって言われたみたいよ」

 「お義母さんには長生きしてもらいたいな?」

 「でも母は友だちも多いからまだ大丈夫よ」


 麻理恵の「母」というその言葉に私は麻理恵との間に距離を感じた。

 再婚しようと思えばそれなりに出来ないこともなかった。

 再婚を勧めてくれる知り合いも周りにはいたからだ。

 だがその気にはなれなかった。

 それは私の余命が不確定なことと、眼の前で肉を頬張る元妻に対してそれはあまりにも無責任だと思ったからだ。


 (自分だけしあわせになるわけにはいかない)


 それが私の本音だった。

 ひとりで暮らすことは寂しくないと言えば嘘になる。だが家事も炊事も私は苦にはならないし、それで困ることはなかった。

 ただ死んだ時の後始末を赤の他人にさせるのが忍びなかった。


 なぜ俺は家族と疎遠になったのだろう? それは十分わかっている。コミニュケーションが足らなかったからだ。

 別に自分のことを話すのではなく、私は家族の話を聞いて上げることが出来なかった。余裕がなかったのである。

 家族のため、家族のためにとそればかりを考えて働いていた。

 そして皮肉にも、いつの間にか家族の事を考えなくなっていた自分がいた。

 

 「冷麺、食べるよな?」

 「うん、叙々苑のビビン麺美味しいもんね?」


 私は給仕を呼んだ。


 

 ビビン麺が運ばれて来て、私は麺を混ぜながら麻理恵に言った。


 「俺はお前たちの話を聞こうともしなかったよな? 本当にすまなかった」

 「私こそあなたに「どうすんの? どうすんの?」しか言わなかった気がする」

 「それは当然のことだ。女は安定を欲しがる。不安にはなりたくはないからな?」

 

 麻理恵はビビン麺を啜った。


 「最近、人の一生って流れ星みたいだと思うんだ。輝きながら消えていくShooting Starだと」

 「そうね? 人生ってあっという間だもんね?

 私ね、もう嫌なことは思い出さないようにしたの。いえ、正確には思い出せないと言った方が正しいのかもしれない」

 「俺はお前たちとの楽しかった事しか覚えていない。お前たちは俺の嫌なことばかり覚えているかもしれないがな?」

 「あなたとのことはいい思い出も、嫌な想い出ももう思い浮かばないの。

 みんな忘れてしまったから」

 「そうか」


 (麻理恵の記憶から私が消えた?)


 辛かった。

 憎まれていた方がまだマシだと思った。


 


 食事を終えて地下鉄銀座線でいつものように銀座に出ることにした。

 銀座は何かのイベントで歩行者天国になっていた。


 「お前たちに夕食のお弁当を買ってやるよ」

 「優香たちに牛タン弁当でもお土産にしようかな? あの子たちお肉が好きだから」


 私はその時、ふと麻理恵と手を繋ぎたくなり、麻理恵の手を半ば強引に掴んだ。


 「ちょっと止めてよ」


 麻理恵は私のてを振り解こうとしたが、私はその手を離そうとしなかった。

 そして麻理恵の抵抗は止んだ。


 (これが最後かもしれない)


 私はそう思ったのである。

 パントマイムをしていた男から風船を貰った。

 そして私は風船を手から離した。

 

 風船はゆらゆらと空高く飛んで行った。

 それはまるで私の家族との本当のお別れのように。


 私はそこで立ち止まり、いつまでも風船を目で追っていた。

 涙が溢れないようにと。


 

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