魔女


 魔女――島根来の伝説。

 誰も見たことがない、声を聞いた者もいない、個なのか群なのかもわからない。実に抽象的で――しかし、国家機関を持たない島根来の秩序が保たれ、こうして存続している以上、その存在は必ず認めなくてはならない。

 魔女とはそういうものだ。


「魔女……」


 で、目の前の怪しい恰好をした少女が魔女だって?

 到底信じられない。

 そのおかしな恰好を除けば、僕より少し年齢が下くらいの不愛想な女の子だ。

 図書室で孤独に本を読んで、私は文学があればそれで幸せだから、と思っていそうな思春期真っ盛りくらいの少女。


 少なくとも島根来を裏から管理している恐ろしい存在と、目の前の無表情な美少女は頭の中で結びつかず、世界の黒魔術みたいな本を読んで毒された不思議ちゃんと言われた方が納得できる。

 彼女の言葉を心の中で否定する一方、口にできないのは、もしかすると、があるからだ。

 誰も魔女を知らないのだから、誰が魔女でもおかしくない。

 超常の存在を固定観念だけで判断するのは愚かだ。


「葦名頼道、よく我慢できましたね。このまま蜜実白華を殺害するとばかり思っていましたが」

「なっ……」


 そして、そのもしかすると、の比重が急上昇する。

 目の前の存在は僕の殺意と、その対象を認識していた。


「どうして――」

「知っていますよ、管理者なので。ですから本当に魔女かどうかの問答は無意味です。貴方の怪我をした足が一分一秒を惜しんでいるはずですよ」


 ゆっくりと近付いてきた魔女を名乗る少女は、僕に手を差し伸べる。

 僕はつい、その手を取って――そして驚いていた。握った手が氷のように冷たかったからだ。

 足の痛みを忘れるほどの嫌な感覚が背筋せすじを走る。炭酸の泡がぷくぷくと首の後ろまで上昇して弾けるような、畏怖と恐怖をごちゃ混ぜにしたような感覚だった。


「握手ではありません。です」


 魔女が、僕の手を放す。

 そしてもう片方、木の枝を持っている方の手を取り――そして、思いっきり引き寄せた。


「あ、えっ」


 血しぶき。

 鮮血が――木製の凶器が突き刺さった彼女の胸から鮮血が溢れ出る。

 純白の白衣を染め上げていき、しかし少女は顔色一つ変えず、苦痛の一声も漏らさない。

 ――何が、何が起きている?

 目の前の光景は、到底理解できるものじゃない。

 自分の手が、凶器を持って彼女の胸を貫いていることすら――全てが、想像の余地を超えている。


「人殺しの気分は味わえましたか?」

「あっ――うわっ!」


 混乱で言葉を返せない。

 彼女の白衣の七割が真っ赤になったころ、ようやく僕は血まみれになった手を逃げるように引っ込め――そして、後ずさりした。


「甘美さ、快楽、どうでしょうか? 何か感じていますか?」

「はぁ、はぁ……」


 彼女の言葉が、ただの音になって頭を通り過ぎていく。

 悪い夢でも見ているような感覚だった。


「動揺と混乱――やはり私ではダメなようですね。興味深い。認識の問題ではないということでしょうか」

「なに、何を――胸に、穴が」

「……葦名頼道、感覚で理解しているはずです。無駄な問答はやめるようにと言ったはずですが――まぁ、いいでしょう。今後は無駄を愛する必要も出てくるのですから。さて、転校生の命を切望し、幼馴染の首を絞めて酔い痴れる貴方が、この体を貫いて悦びを感じず、ただ狼狽ろうばいしているのは何故ですか?」


 魔女は体から木の枝を引き抜く。噴き出すべきものが噴き出さず、破れた白衣の向こうには血で染まった肌が見えた。傷一つない、綺麗な肌が。

 彼女の言う通り、常識を無視して僕は理解していた。

 あれだけ焦がれた殺人――致死の一撃を他人に与えた快楽も悦楽もここには無い。

 僕は感じたことを口にする。理から遠くかけ離れた場所で。

 ただ直感だけを頼りに、口にする。


「君は――

「その通り――貴方たちが魔女をどのように捉えているかはわかりませんが、魔法を使ったり、怪しい薬をかまどで煮込んだり、黒猫と話すようなことはしません。魔女とは不死者です。時を忘れ、鼓動を置き去りにし、死を失った者たちを、私たちは魔女と呼称しているのです」


 彼女の口から紡がれた言葉は、おとぎ話よりもずっと出鱈目でたらめだった。

 荒唐無稽こうとうむけいで、無茶苦茶で、奇天烈きてれつで――しかし、信じる他ない。

 胸を貫かれ、平然と話を続ける少女の姿を見せられては、否定するのも馬鹿らしかった。

 論より証拠。シンプルで強引だが、その効果はてきめんだ。

 ――そういうものだ。

 これはだと、納得を段飛ばしして理解する。

 ここ最近は、理屈を抜きにすることの方が多かったからか、こんな異常な状況でも少しずつ冷静さを取り戻していく。

 ――落ち着いた僕は、彼女に質問を投げかけた。


「その不死身の魔女が、一般の男子学生に何の用? 城下の民草とコミュニケーションを取るタイプには見えないけど」


 意図、目的がわからない。

 魔女が島の秩序を取り締まっているなら、殺人を犯しそうになった僕を消しに来たとも取れるが――今のところ、魔女から敵意は感じられない。

 これまで伝説でしかなかった魔女が、唯一僕の前に姿を現した理由は一体なんだろうか。


「ふむ――皮肉を言える程度には落ち着きましたか。では簡潔に言いましょう。貴方に求めること、期待することは一つしかありません」


 何処かで、カラスが鳴いた。

 魔女が真意を口にする。


「私を殺しなさい、葦名頼道。私に、悠久の死を与えなさい。島根来島は――その為にあるのですから」

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デスデス・ラブデス・ラブコメディ 灯内草佳 @kirindori

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