第35話 『恨み言』


玄関前。

倒れる白く小さな塊。

何もわからずとにかく拾った。

震えて今にも死んでしまいそうな生き物。

温めて食べさせて。

何とか死なずにいてくれた。


その時が生後3、4ヶ月だったらしい。


それからは手探りで世話をした。

食べさせるものを色々試して、たくさん遊んだ。

お金がかかるのでバイトを増やす事になった。

逃したら逮捕。

そう言われて拾ったことを後悔したこともあった。

脱走にヒヤヒヤさせられたのもこの頃だったはずだ。

やっと慣れて来て一緒に過ごす時間が当たり前になった。


この頃が拾ってから4ヶ月。

生まれてから8ヶ月くらい。


狭くなったケージ。

自分の作業部屋を整理して、半分に仕切ってそこを飼育部屋にする事にした。

日記をつけ始めたのはこの頃だ。

タイトルをつけ、一言書いて写真を印刷して貼り付ける。

おもちゃをあげたりして遊ぶ。

悪戯に困らされることが多くなったのはこの頃。

一緒に過ごす時間が好きな時間になって来た。


拾ってから8ヶ月。

生まれてから1年くらい。


『そろそろキュイくんを今後どうするか、決めましょうか』


かかりつけの動物病院のくるぶし先生にそう言われた。


キュイはサラマンダー。

幻想世界の生き物。


こっちの世界にはいないはずの生き物。


だから個人で飼育には制限がある。


絶対に逃さない事。

飼育できるのは生後約2年間のみ。


飼育期限が近くなると飼い主にはいくつかの選択肢が提示される。


1、特別な建物を建て、許可を得て飼い続ける


2、飼育できる施設に引き取ってもらう


3、幻想世界に帰す


先生は今後どうするか、要はどの選択肢を取るのかを決めろと言うのだ。


キュイはまだ生後1年くらい。

2年間一緒に暮らせるのであればまだ1年も時間がある。


まだ決めるには早い気がする。


しかし、この生後約2年間と言う期限には大きな罠がある。

あまりにも巧妙で卑怯な罠だ。


まず、生後というところ。

生まれてすぐにこっちの世界で飼育されるわけではない。

2、3ヶ月経ってからこっちの世界にやってくる。

この時点で2年、つまり24ヶ月から3ヶ月程短くなる。

キュイは元々どこかで少しの間飼われていた。

拾った時点で既に20ヶ月程しか一緒にいられなかった。


次に2年という期間。

これは幻想世界の自然界で成体になるまでの期間。

自然界というご飯を十分に食べられるかわからない、なにが起こるかわからない環境で成体になるまでに2年かかる。

なら十分なご飯と安全な空間で暮らせば自然界での基準より早く成長してしまう。

たくさんご飯を食べて、たくさん遊んだキュイは生後8ヶ月、拾ってからたった4ヶ月程で1歳くらいの大きさだと言われた。

拾ってから4ヶ月で一緒にいられるのが残り12ヶ月ほど。

あっと言うまに半分だ。


まだ罠は残っている。

約、と言うところだ。


約というのは便利な言葉だ。

成体までの2年間。

成長が早い子もいれば遅い子もいる。

約、という文字をつけておけば幅を持たせることができる。


しかし、今回はまだ意味を持っている。

2年は一緒にいられない、と言う意味を。


仮に平均的成長のサラマンダーが24ヶ月で成体になるとしよう。

このサラマンダーとは生まれてから24ヶ月目最終日まで一緒に暮らし、25ヶ月目初日から別々に暮らす事になる。

そう見せかけてその実、成体の特徴が現れ始めてから成体になるまで1、2ヶ月ほどかかる。

成体になるまでと言っておきながら成体の特徴が現れ始める前に別れなければならない。

約、の文字の意味にこの事実を隠しているのだ。


さらにまた2ヶ月短くなった。


生後約2年間


なんとまあ正確に事実を伝えているのだろう。

何一つ嘘を吐く事なく嘘まみれだ。


あらためて計算しよう。


生後約2年間。

言い換えると生後約24ヶ月。

拾ったキュイは既に生後4ヶ月くらい。

残り約20ヶ月だ。


それから4ヶ月。

キュイの成長は良く、幻想世界の自然界の基準より早く成長している。

生後8ヶ月ころに1歳くらいの成長だと言われた。


4ヶ月経って残り約16ヶ月。

さらに4ヶ月ほど早く成長しているらしいので残り約12ヶ月。


今、さらに4ヶ月ほど経った。

残りは約8ヶ月。


さらにさらに成体の特徴が現れ始める時期の2ヶ月を引いて残り6ヶ月。


残りたったの6ヶ月になった。

もっと言えば最長で6ヶ月だ。


残り6ヶ月。

なるほどそろそろどうするか、を決めなければならない頃かもしれない。

さあどの選択肢を選ぼうか。


でもその前に決めなければならないことがある。


生後約2年間は24ヶ月より10ヶ月も短くなった。

さて、このやり場のない、ぐるぐると渦巻く感情をどうすればいいのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る