第15話 ひなみとイクル - 3

 私はゴクリと息を呑み、無意識に身体を少しかがめた。

 この先に、危険な…何かが、いる…?



 イクルが、私を制止して「アイツがいる」といった。

 私がこの森で見たことがあるのは“ハード・ウルフ”と鶏とうさぎ。しかし、イクルの様子を伺うに…おそらく強い魔物がいるのであろう。



「ひなみ様…“雪うさぎ”だよ。静かにこっちへ来て」

「え…? 恐い魔物じゃないの?」

「あぁ… 違うよ。希少な、可愛いうさぎだよ」



 な、なんだって…!?

 私の期待を良い意味で裏切ったイクルの言葉。私はその通りに、ゆっくりとイクルの傍へと向かう。私が隣に来たのを見計らって、イクルが1箇所を指差した。木々の間に隠れるように、それは居た。



 そこに居たのは、真っ白い1匹のうさぎ。



「可愛い…!」

「初めてみた? アイツは、この大陸〈サリトン〉の南部にのみ生息する魔物。希少な雪うさぎだよ。数年に1度程度しか目撃情報が出ないんだ」



 なんと! レアな可愛いうさぎちゃん!

 数年に1度…!? ということは、今日会えたのはとってもラッキーなのかな? 可愛いなぁ…もふもふしたいなぁ…! 触っちゃ駄目なのかな、近くに行ったら逃げちゃうのかな?

 私は少しずつじりじりと雪うさぎへ足を進めていく。お願いだから逃げないで下さいね…!



「逃げ足がすごい速いから、気付かれたら逃げられちゃうよ」

「えっ! じゃぁ撫でられないの…?」

「…無理」



 レアな子の逃げ足が速いのはお約束…というやつなんだろうか。ということは、これ以上進まないでここで眺めていたほうが良いのかな。撫でたいけど、こればかりは仕方が無い。だって私が追いつけるわけないです。あぁ…撫でたかったな。仕方ないから諦めるけど、せめて熱い視線を送って私の思いだけ届けておこう。

 じいいぃぃ。

 ちょっと呆れ顔で私を見ているイクルは見なかったことにしますよ! だって可愛いんだもん! 私のこのガン見も致し方ないのです。



「捕獲してあげたいところだけど、目も見えないし…俺じゃ無理だね」

「あ、気にしないで! まぁ確かに可愛いけど…捕まえちゃうのも可哀想だしね」

「…そっか。ひなみ様は優しいんだったね」

「別にそんなことないけど…」



 でも、そうだね。

 この異世界〈レティスリール〉では穏やかに過ごせたら良いなとも思う。

 神様の為にポイントをいっぱい貯めて、回復薬ポーションを作って…お店とか開けたら楽しいんだろうなぁ~!




「……そんな馬鹿な!」

「えっ?」



 私の思考が若干飛びかけていたが、イクルの驚いた声で現実に戻された。

 何事かと思い前を見れば、なんと雪うさぎが私に向かって突進してくるじゃありませんか!



「え!? 何、どういうこと!? 体当たり攻撃的な何かなの!?」

「いや… 雪うさぎは攻撃を行わないはず…とりあえず、ひなみ様は俺の後ろに!」

「う、うん!」



 急いでイクルの後ろに隠れれば、突進してきたはずの雪うさぎがペースを落として突進を止めた。そのかわり、ゆっくりちょこちょこと歩いてきて、私の足に擦り寄ってきた。

 こ、これは…! どういうこと!? 私のことを気に入ってくれたと都合よく解釈してしまって良いのだろうか? 良いんですよね?

 そっとしゃがみ、雪うさぎへと手を伸ばす。大きさは…私の両手にすっぽりと納まるくらいだろうか。毛が生えてるのかと思いきや、その姿はふわふわした白いものに覆われていた。そっと触れた雪うさぎは、その名前の通りにとても冷たかった。白くて冷たい、ふわふわした綿のような毛?の雪うさぎ。



「可愛いよううぅぅぅ~!!」

「というか、雪うさぎが寄ってきたなんて話… 聞いたこと無いよ」



 若干呆れたようなイクルだが、私が抱き上げた雪うさぎをまじまじと見ている。ふふ、可愛い雪うさぎちゃんだからね! 男女関係無く見ちゃうよね!

 というか、この子どうすれば良いんだろう。このまま森に返せば良いのかな…?

 それとも。



「ねぇ、雪うさぎちゃん。私のお家に…来る?」

『みっ!!』

「おぉぉ! じゃぁ今日から雪うさぎちゃんは家族だね!」

『みぃ~!』

「いやいやいや…そんな馬鹿な」

「ほら! イクルも撫でてみたら?」



 雪うさぎが私の問いかけに元気よく応えてくれて、とっても嬉しいです。そしてイクルがとても驚いてます…! そうだよね、数年に1度しか見かけないのに、さらに懐かれるなんて…前代未聞なのかもしれないね。 何だろう… 私、この世界と相性が良いのかな?

 って、ハード・ウルフに襲われたりしたからそうでもないのかな? ま、いっか。



「わ! 本当に冷たいんだ…!」

『み~』



 イクルもそっと雪うさぎに触れて、その冷たさに驚いている。というか、私より夢中になって雪うさぎを撫でていますよ、イクルさん?



「っと、とりあえず、家に向かおうか…」



 思わず夢中で撫でてしまったことが恥ずかしかったのか、パッと手を離してイクルはモーの手綱を手に持つ。別にもっと撫でても良いのに。ちょっと顔を赤くして反らしたイクルは、ほぼ無表情だった今までと比べて一番人間らしいなと、思った。



「うん! とりあえず、迷いの森までゴーですっ!」







 ◇ ◇ ◇



「あれ、ここはもう迷いの森なの?」

「えーっと… あそこの大きい木から向こうが迷いの森だね」

「……イクル詳しいね?」

「俺の属性は“風”だからね。気配とか、そういうのは敏感なんだよ。空気の流れとか…そういうので判断がつく」

「おぉー! すごいんだね!」



 迷いの森に住む私にとってイクルは、至れり尽くせりなのではないだろうか!



 森に入って1時間弱くらい…かな? 途中で雪うさぎに出会い、何度か休憩を取りつつ“森”と“迷いの森”の境目まで無事にたどり着くことが出来ました。

 歩くにつれ木々が多くなるのかと思いきや、そんなに草木も含めて数は増えず…明るい森のままです。確かに、初心者向けと言われるだけはあるなと初心者どころではない私でも思ったほどに。この森は澄んでいて、綺麗だった。

 道中はハード・ウルフが数匹出たけど、イクルがなんなく倒してくれました。すごいです。そして残念ながら、目新しい薬草の類は見つかりませんでした。



「さて… ここからは俺も道は分からないよ?」

「うーん… たぶん、歩いてすぐのところに家があるはずなんだよね」

「アバウトすぎだよ…」



 やれやれとイクルが息を吐いて、それでも文句も言わずに足を進めてくれる。

 そして1歩、イクルが迷いの森の境界を越えたところで異変は起きた。



「イクル!?」

「な…っ!?」



 イクルの体が淡い緑に包まれ輝いた。

 きらきらしている緑の光は、やがてイクルに吸い込まれるかのように消えて…光を失った。

 私は慌てて駆け寄って、どこか異常が無いか確認をする。



「いや… 身体は、なんともないよ。ただ…指が、少し熱いくらい」

「ゆび……?」



 そう言って、イクルが左手を私に見せてくれた。



「これって…」

「そ。呪奴隷紋、だね」



 私とイクルの魔力で結んだ呪奴隷紋が、淡い緑に…きらきら光っていた。遠くにいても、はっきりと分かりそうなほど綺麗なその光に若干見惚れつつも… どうしたら良いのか。



「こんな症状が出るなんて聞いたことはないんだけど…」

「ええぇぇっ! もしかして、契約に失敗したのかな?」

「いや、それは無いよ… この紋は主人であるひなみ様と強く繋がっているから…なにかあるとすれば原因はひなみ様だね」

「ええぇぇ… というか私、呪奴隷紋のことそんなに知らないよ?」



 私のせいといわれましても、まったく心当たりが無い訳で。私が思いつく限りでは、契約を行った魔道具の調子が悪くて失敗してしまった…ということくらい。



「呪奴隷紋は、主人と呪奴隷を結ぶ“絆”だよ。この紋をしている間は、主人の影響を受けるんだ。まぁ、受けないことがほとんどだけど。例えば…そうだね。もし仮に主人が、特殊なスキル…〈魔力増加〉を習得していたとしよう。スキルを持つ主人は当然魔力量が増える。そして契約している呪奴隷も、呪奴隷紋を通して魔力増加の恩恵を受け…魔力量が増加する。増加量に関しては、吸い奴隷紋の出来次第。1本線ならほぼ無理。でも、俺とひなみ様みたいなすごい呪奴隷紋であれば…どれくらいか予想はつかないけど、きっとすごい影響を受けると思うよ」

「というと… イクルの光ってる現象…私の持つスキルのせいってこと?」

「おそらくね」

「それって、例えば私のスキルが発動してなくても?」

「んー… 呪奴隷紋は基本1本線が多いから、あまり実例がないんだ。申し訳ないけど、俺には分からないよ」



 むむむ?

 私が持つスキルのせい…? 使用している・していないを無関係に考えるとして。けど、私が持つスキルは《神様の箱庭》《光の狂詩曲ライト・ラプソディア》《天使の歌声サンクチュアリ》の3つしかない。

 《神様の箱庭》は常時発動している絶対的な安全地帯…聖域の作成。

 《光の狂詩曲ライト・ラプソディア》は、防御スキル。

 《天使の歌声サンクチュアリ》に関しては成長促進と楽チン調合。

 イクルに影響を及ぼしている様には思えないぞ? でも、可能性があるとすれば常時発動している《神様の箱庭》かな?



「ひなみ様、どうやらこれ… 向こうの方角にひっぱられてるみたい」

「え?」



 向こうに引っ張られる…? イクルが迷いの森側に腕を伸ばしている。呪奴隷紋が、方向を指し示しているということ… つまりは…?



「もしかして…聖域の場所を示してる!?」

「聖域?」



 うん、きっとそうだよ!

 すごいすごい!



「イクル! その方向に行こう!」

「この方向…何があるのさ?」

「もちろん、私の家だよ!」



 早く早くと、イクルの腕を引っ張って私は迷いの森を進んで行く。いつも家から見ていた景色通りの場所が、きっとイクルの呪奴隷紋が指し示す先にあるに違いないよ! 「そんな馬鹿な…」と呟くイクルには悪いが、これは私の勘が間違いないと告げているのです。



「ひなみ様って、意外に強引なトコあるよね」

「…そうかな?」

「そうだよ。でも、イイと思うよ? っと、あれ、“蒼色草”じゃない?」

「えっ?」



 前方斜め右前、イクルが指し示した先に会ったのは深い青色の草。深海の回復薬マリン・ポーションの最後の材料として使う、蒼色草。

 短い身長をしたその薬草は、円形の大きな葉を数枚つけているだけだった。小さい薬草だが、それを気にさせないほどの深い色をしていて、目を奪われる。他の木々より何段階も深いその色に、なんで私は気付かなかったのだろうか。



「あれ、根っこから持って帰る!」

「薬術師だもんね。今摘んでくるよ」

「ありがとう!」



 イクルが蒼色草を掘り起こしている間に、私は少し辺りを見渡し他にも蒼色草が生えていないか探していく。もちろん、危ないので近場だけです。

 しかし…まったく見当たりません。



「摘んできたよ、ひなみ様。それにしても、こんな迷いの森とは言え、こんな浅い森に蒼色草があるなんて珍しいね」

「えっ! そうなの?」

「うん。普通は、もう少し深い森に生えてるからね」

「そうなんだ… 勉強になります」

「薬術師ならそれくらい覚えておきなよ」



 何度目かの、呆れたイクルの顔を見る。でも、呆れた顔も段々無表情チックから優しげに変化してきたのを私は見逃していないのですよ。

 なんだか、ほんの些細な変化だけど…私はそれがとても嬉しいのです。



「っと、そろそろ目的地が近そう。呪奴隷紋がなんだか温かい」

「本当? じゃぁ、きっともうすぐ家だね!」



 前方に見えるのは少し大きめの木と、茂み。あれを抜ければ家が見えるのかな?私はどきどきしながら、それでも軽くなった足を躍らせてそっと木々の合間を通り抜け、茂みを抜ける。

 うん。間違いなく、私のお家です!



「イクル! ここが私の家だよ!」

「え…! 本当に、迷いの森に家があったんだ…」

「信じてなかったの!?」

「いや、そういう訳じゃないけど。現実的ではなかったからね」



『みぃ~!』



 私が一歩家に踏み込めば、雪うさぎが嬉しそうに私から飛び降りて庭を走り回る。何この子…! 可愛すぎるんですけども…!

 そうだ! 名前も考えないと…!! 雪うさぎだから、雪ちゃん。いやいや、そんな安易な名前は駄目だよ! イクルと相談して決めよう。うん、それがいい!



「これ… まさか、薬草?」



 おっと、デジャヴが…?

 イクルも庭に足を踏み入れて、きょろきょろ見渡している。そしてその口からは依然聞いた驚きの言葉が紡がれたのです。

 こんな時は、あれです、先手必勝です。



「うん。私は薬草の栽培が出来るんだ」

「……すごい、初めて見た」

「えへへ。薬術師が唯一の取り得みたいなものだからね。…でも、内緒だよ?」

「もちろん。こんなのがどこかにばれたら…世界中大騒ぎだ」



 私の先手必勝作戦が聞いたのか、イクルはどうやらなっとくしてくれたようです。それに、シアちゃんとアルフレッドさんも私を危惧してクレフさんをはじめ誰にも言ったりしなかった。私にも、危険だから絶対にばらしてはいけないと教えてくれた。

 今のところ、知っているのはシアちゃん、キルト君、アルフレッドさん、イクルの4人。おそらくこれ以上は増えることはないだろうし…うん、大丈夫そう。



「とりあえず、中に入ってお茶にしよう? 美味しい果物を用意するよ」

「そうだね… でも、お茶は俺が淹れるよ」

「えへへ、ありがとう」



 とりあえず、無事に帰ってくることが出来て一安心なのです。

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