第8話 迷いの森

「迷いの森…?」

「ええ。この森は2年ほど前から、“迷いの森”認定されているんです」



 シンシアさんの話をまとめると、こうだ。

 この異世界〈レティスリール〉では、稀に“迷いの森”が出来上がるという。

 それは、一切の法則もなく突然現れるのだという。ある日突然、普通の森が迷宮の様に入った人を惑わす“迷いの森”になるのだという。

 そこは、視界も悪く、歩いた道も失いやすくなるという。そして方向を指し示す魔道具がないと戻ることは難しいとされている。魔道具なしで探索を行うのは、よほどの熟練冒険者だという。“迷いの森”は、大体2年から10年程度で通常の森に戻るのだそうだ。



「あー… だから人に会わなかったんだ」

「ええ。冒険者ギルドからお達しがでているので、基本的にここへは足を踏み入れないでしょう。この森は比較的安全な森ですから、ベテランの冒険者が探索や狩りを行うメリットがありません」



 ということは、だ。この“迷いの森”が通常の森に戻るのは遅くても8年。早ければ明日にでも戻る…ということだ。

 まぁ、今の私は森へ出る気もないし…あまり気にする理由もない。



「……私たちは、この“迷いの森”の一歩手前で修練…狩りを行っていたんです。ですが、ハードウルフに襲われ、戦いながら逃げている内にここに来てしまったんです」

「僕がついていながら…不甲斐無いです」

「そっか… 大変だったんだね。でも、帰り道は分かる…?」

「「あ!」」



 私の問いかけに、二人そろって忘れてた! と言わんばかりの声を上げる。

 なるほど…帰り道が分からないと。しかし、私も帰り道は知らないよ…?



「あ、大丈夫です… 通信専用の魔道具を持っています。きっと、お兄様が助けに来て下さいますから…」

「そっか。なら安心だね」

「はい。今、連絡をしてみますね…!」



 シンシアさんは、首にかけていた赤い石の付いたネックレスをはずし手に取ると、そっと手をかざす。すると、赤色の光りがあふれ出しネックレスがそれに呼応するように赤く光り輝いた。

 すごい、こんな魔道具もあるなんて…なんでもありだなぁ、さすが異世界だよ。

 するとすぐに、ネックレスから慌てた声が聞こえた。



『シアか…!?』

「お兄様!」

『無事か…!? 予定の時間を過ぎても帰ってこないから何かあったのかと』



 妹が心配だったんだなぁ。

 なんだかその光景を見て、少し微笑ましく思う。うん、妹を守るのは当然だよね。少し、妹の花を思い出して胸が切なくなった。



「ハードウルフに追われて、迷いの森に入ってしまいまして…。ですが、無事に倒し、今は森で助けていただいたひなみ様のお家で休ませていただいています」

『迷いの森に…人が? ……わかった。とりあえず、すぐに向かうから場所を教えてくれ』

「はい。すみません、お待ちしています…」



 そういって、会話が途切れた。

 しかしすぐに迎えが来てくれるようで、私としては一安心だ。



「今、魔道具の発信装置をいれました。じきにお兄様が迎えに来てくださいます」

「うん。良かった!じゃぁ、それまでうちでゆっくりしていって」

「ありがとうございます」



 しかし、どれくらいで来るのか私にはちょっと検討がつかないな… ちなみにシンシアさんも迷いの森なので分からないとのこと。普通の森の状態なら、馬で2時間程度だそうだ。とりあえず、早くても夕方…かなぁ。そうなると、夕飯も用意したほうが良いよね…? ドーナツも美味しいと全部食べてくれたし。



 そうそう。その時に聞いた情報によると、やはり砂糖は高級品らしい…そうだよね、塩と同時に作れるのに割合は塩9:砂糖1しか出来ないんだから。なので、貴族は良いが平民の方々はあまり食べる機会がないらしい。ちなみに、私は2年でとても蓄えましたよ!



「あ、そうだ。シンシアさん、ローブ…洗濯しておくのでお風呂でもどうですか?」

「え…! お風呂があるんですか!?」

「えっ?」



 思わず私が聞き返してしまった。お風呂ってそんなに驚くことじゃない…よね? そうだよね? 心底不思議そうな顔をしている私に、キルト君がお風呂があるのは貴族の屋敷か高級旅館くらいですと教えてくれた。な、なるほど… でもそうすると一般庶民は? シャワー? 謎だ。でもなんとなく聞いて、これ以上私の常識の無さをひけらかしたくは無い。



「うん、どうぞどうぞ!」

「ありがとうございます!」



 お風呂場に続く廊下にある棚からバスタオルを渡し、隣の収納から私が2年前に着ていた少しサイズの小さい服も手渡す。ちなみに、私の服はフリルが可愛くあしらわれた物が多く、勝手に補充されるのです。神様に理由を聞いたら「僕の趣味」と返事が返ってきました…。うん、平和です。





 シンシアさんがお風呂に入っている間に、私は屋上へ行き洗濯をする。

 鉢植えにはたくさんのハーブが植えられていて、可愛い花も咲いている。何故か屋上なのに井戸を設置できたため、水遣りや洗濯には困らない。「手伝います」と着いてきたキルトさんが、屋上からの眺めに感嘆の声を上げていた。3階の部分に位置するこの屋上、全てではないが、森を少しなら見渡すことが出来る。もちろん、私の家より大きい木も存在する為全てが見えるわけではないのだが。



「すごいですね…! まさか迷いの森をこんな風に眺められるなんて」

「うん、綺麗でしょ?」

「とっても!」



 ローブを干して、ついでにとハーブにも水をあげる。その様子を横でキルトさんが少し珍しそうに見ていた。いや、表情を見ると珍しい、というより驚いているのが正しいだろうか?



「どしたの…?」

「……すごいです! ハーブがこんなにたくさん!!」



 えっ! ハーブって珍しい物なの…? まぁ確かに、うちにも3種類しかないからこの世界はハーブ類が少ないのかもしれないなぁ。

 水遣りを終えて、次は食事の準備に取り掛かろうと庭へ向かう。キルトさんも手伝ってくれると言うことなので、庭に出て一緒に野菜を収穫する。





「……え?」

「ん?」



 庭に出て野菜を収穫しようとすると、何故かキルトさんが驚いてその場に立ち尽くした。まさか、今度は野菜を見て驚いたりしているんだろうか…さすがにそれだと私はどうしたら良いか分からない。すると、キルトさんが私の視線に気付いた様で興奮気味に説明をしてくれた。



「薬草が、生えていたので…」

「うん? そんなに珍しい薬草ではないと思うんだけど…」

「いえ…そうではなくて。その、薬草の栽培は…不可能とされているんです。基本的に、薬草類は森や山などで採取します。王宮の薬術師ですら、薬草は栽培出来ずに森などから採取しているんです」

「……!!」

「あと…ハーブも栽培が難しく、上位の薬術師やハーブを専門に栽培してる方くらいしか出来ないとされています。ひなみ様…何者ですか?」



 おっと。私がこの世界に来てから一番の驚きですよ。

 薬草は栽培が出来ない…!? とても普通に栽培できているこの現実です。体力草、赤色草、橙色草、青色草…この4種類の薬草が庭ですくすくと育っている。特に途中で枯れたりすることもなかったし…いたって普通に、いや、むしろ簡単すぎるくらい大量に育った。もちろんハーブも以下同文です…!



「うーん…私、薬術師に適正があるみたいで…あはは」

「……」



 うぁ…すごいキルトさんに見られている。正直年下の男の子・・・10歳ちょいかな? に見られても可愛いと言う感想しか出ないですけどね。





「ひなみ様! キルト!」



 その時、丁度シンシアさんが庭へ出てきた。お風呂が気持ち良かったのか、とても満足そうな顔をしていて私も嬉しくなる。

 手を振ってこっちへ歩いてくるシンシアさんは、私に「ありがとうございます」とお礼を言ってキルトへと視線を送った。



「キルト… ひなみ様を困らせてはいけません」

「お嬢様…すみません。ひなみ様も、申し訳ありませんでした」

「やだ、大丈夫…! 気にしないで? あ、あと…“様”付けもなれないから止めて貰えると嬉しいなぁ…なんて」



 本当、礼儀正しいなぁ…!

 そして2人とも、私の申し出にキョトンとした顔をしてシンシアさんが笑った。



「では、私のこともシアと及びください。ひなみさん…で、良いですか?」

「うん!じゃぁ私はシアちゃん…で、どうかな?」

「はい、嬉しいです!」



 こ、これはこの世界で出来た初めての女友達…では!?

 2人で笑いあって「よろしくね」と言い合った。その間、キルト君…は、黙って私たち2人の様子を見ているだけ。護衛だから、立場的なものがあるんだろうか…?





「シアー!!!」



 庭でたわいも無い話をしながら野菜を収穫していると、突然どこかからシアちゃんを呼ぶ声が聞こえた。しかし周りの森を見渡しても声の主は見当たらない…なら、いったいどこから?そう思案をしていると丁度真上から風を切る音が聞こえ、私が真上を見上げるとそこには…1匹のドラゴンが、空を飛んでいた。



「ええぇぇっえっ!!?」

「お兄様…!」

「えっ!」



 私は驚いて思わず叫んでしまったが、隣にいたシアちゃんがすかさずその名を呼んだ為無理やり納得することにした。やばい、ドラゴンはこの世界だと乗り物カテゴリなんですか…?

 私があわあわしている庭に、容赦なくドラゴンがその存在感を出して降り立った。やばい、とても恐いです…! あ、ちょっと鳥肌がたってる。降り立ったドラゴンは、体長3メートル程だろうか。想像していた大きさよりは小さかったので少し安心だ。

 そして、その背には少年が1人乗っていた。年は…私と同じかちょっと下くらいだろうか。赤いストレートの髪を後ろで一つに纏め、黒を基調とし赤のラインが入った上品な服装。知ってる…これが貴族服ってやつですよね…!



「シア…無事で良かった!」

「すみません…迎えに来ていただいて」

「問題ない。それと…貴女がひなみか?」

「あ、はい…」



 仲睦まじく、兄妹の再会と思いきやお兄様の意識はすぐ私に向けられた。



「この度は、妹を助けていただいたこと…感謝する」

「いえいえ。無事で良かったです」

「俺はアルフレッド・メルディーティ。シアの兄だ」

「私はひなみです」



 結論。偉そうだけど私より大人っぽい。見た目は子供なのに…!

 この世界の貴族は子供もきっとこうなんだろう。なんだか疲れがたまりそうな生活だ…私にはちょっと出来そうにないかな。まぁ、する必要もないんだけどね。



「しかし…本当に“迷いの森”に人が住んでいるとはな」

「…やっぱり珍しいですか?」

「あぁ。難易度の高い…険しい山や深い森であれば稀に出来る。だが、こんな浅い森で出来るなんて異常だ。ギルドから探索以来も出て実施されたが…通常より迷いやすいくらいで、他は別段変わったところはなかった」

「そうなんですか…」

「ひなみは、ずっとここに住んでいるのか?」

「いえ…2年ほど前から、です」

「そうか… しかし、何故ここに?」



 “迷いの森”が、ここに出来ていると言う現象は大分…珍しいと言うか、異常らしい。普通であれば、こんな初心者向けの森には出来るものではないという。

 アルフレッドさんが何か思案しているが、庭を見渡して表情を驚きのものへと変えた。もしや、さっきキルト君とやったやりとりがまた行われるんだろうか。うん…つまるところ私は大分異常らしい。これはもう、森が異常なのではなくて、私が異常なのではないだろうか。



「まさか、薬草を栽培している者がいるとはな。驚きだ…」

「ええ。しかも、ひなみさんの作る魔力回復薬マナ・ポーションはとっても美味しいんですよ!」

魔力回復薬マナ・ポーションが!? 信じられないが、シアがそう言うのであれば真実か。 …ひなみ、師はいるのか? さすがに、ここに1人で住んでいるわけではないだろう?」

「あ、いえ… 私はずっと、1人でここに住んでます」

「そうか。…無神経だったな、すまない」



 私の困った顔を見て、アルフレッドさんが謝罪の言葉を口にする。正直説明のしようがないので、正直話を切り上げてくれたことに感謝をする。

 不意にシアちゃんが私に近寄ってきて、私の服の袖を少し引く。どうしたのだろうと顔を見れば、小さな声で私に声を掛けてくれた。



「もしよろしければ…お礼をしたいので一緒に屋敷へいらっしゃいませんか?」

「ああ、それは良いな。シアの命の恩人だ。是非招待させてくれ」

「えっ! えっと、それは…街へってことですよ…ね?」

「そうだな。屋敷は街にある…何か不味いことでもあるのか?」

「いえ、ないです」

「じゃぁ決まりだ」



 シアちゃんの申し出にアルフレッドさんが乗ってきて、とんとん拍子に話がまとまっていく。というか…街に行けるなんて、嬉しすぎる!! 1人では森が恐くて行けなかったけど、3人が一緒ならば快適安心に間違いない。

 私の顔が嬉しさに緩むのを見逃さなかったアルフレッドさんが、出発時間の確認をしてきた。そうか…家をこのままにしておくのも微妙だよね。まぁそんなに空けるわけではないから大丈夫だとは思う。



「あ…そうだ。回復薬ポーションって、街で売れます?」

「あぁ、道具屋で買い取りもしている。売るのか?」

「はい。いっぱいあるし…それに、お金を持っていないんですよ」

「なるほど。なら、俺が紹介しよう」

「ありがとうございます!」



 どうやら回復薬ポーションは道具屋さんなどに売ることが出来るようで安心した。さすがに街にいって無一文では…切な過ぎる。あとは出発の時間か…交換日記と、一応着替えも少しもって、回復薬ポーションを持って…くらいか。



「荷物を少し纏めれば、私は大丈夫です」

「そうか。では、準備が出来次第行こうか」

「はい!」



 さぁ、やっと街に出れます!

 浮かれた私は帰り道のこととか、身分証のこととか、何も考えてはいなかったことを後に後悔することになる…。

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