第5話 剣撃パラノイア

「詞音様!詞音様、いらっしゃいませんか!?」


 彼女が詞音ちゃんの言ってた『潔ちゃん』だろうか。騒つく店内で一際大きな声で詞音ちゃんの名前が叫ばれる。

 声を掛けようとして迷う。声を掛けて、一体何を言うというのだ。

 俺と一緒にいたんだけど、フレンドリーな陽気なお姉さんにうっかり攫われちゃいましたとでも言えばいいのか。今ですら悲痛な表情の彼女を更なる絶望に追いやるだけじゃないのか。協力してもらえるか?まずは警察?地特に連絡?そんな悠長で間に合うか…?

 答えの出ないまま頭を悩ませていると、すぐ近くに気配を感じる。振り向けば、件の彼女が目の前に立っているじゃないか。

 なんで、と思ったのも束の間。

 何か言わねばとなんとか言葉を絞り出そうとする。


「あっ、ええと実はだな」

「貴方、詞音様の匂いがしますよ…!」

「はい?」


 突然何を言い出すんだ。気でも触れたのだろうか。術式を使ったのだろうか。いや、術式名を聞いていない。いいや、もしかしたら合流前から発動していたのか?だが、どうにも彼女が術式を使用しているとは思えない。

 …間違いない。こいつは変態だ。俺の匂いを、詳しくは詞音ちゃんの匂いをだろうが、執拗に嗅いでくる。よく見たら彼女、腰に刀をぶら下げているじゃないか。

 …間違いない。危ない人だ。

 俺は慌てて『潔ちゃん』から距離をとった。


「ちょ!ちょっと待てって!俺は」

「下手人ですか?下手人ですよね?

 詞音様をどこへやったのですか?早く教えなさい!どうなっても知りませんよ!」

「待て待て『潔ちゃん』!俺は確かに詞音ちゃんといたけど…!」

「!!ボロを出しましたね…!詞音様をちゃん呼びし、詞音様が下さったあだ名で私を呼ぶ始末!罪人に向ける慈悲はありませんよ…!」


 言葉が通じているのに会話が成立しない!

 いつの間にやら罪人へと降格していた俺が呆然としてる間に、彼女はざっと一歩飛び退いた。

 十分な距離を取ったかと思うと、一際大きな声で、


「桑原家当代処刑人改め筆頭護衛、

 魔可原まがはら 潔星きよほし

 罪人は!断じて、初めて許します!」


 名乗りを上げた。処刑人?筆頭護衛?いや、桑原家ってどこかで聞いた覚えが…。

 次の瞬間、突如として彼女は鞘付きの剣で殴りかかってきた。

 咄嗟のことで反応が追いつかない。


「ぐっ!?」


 側頭部が揺れる。意識が揺れる。


 ーーってぇ!完全に油断してたっ!


 タタラを踏んだ。頭を抑えると、ぬるりと濡れた手触りがした。まさかと思い、手のひらを見る。


 やりやがった。


「怖気付きましたか!ならば自白致しなさい!まだ命だけは許して差し上げますよ!」

「てめぇっ!話を聞けってこの野郎ッ!」


 頭に血が昇る。

 こんなことしてる場合では無いだろう!

 だが会話の成り立たない今、彼女を落ち着かせないとどうにもならなそうだ。

 力尽くでこいつを止める。話し合いはそれからだ。

 俺はこの年でハンカチを持ち歩く紳士的な男。さっとキズを拭って拳に巻きつけた。


「泣いてもしんねぇぞ」

「正体を表しましたね!もう弁解の余地もありません!詞音様を拐かした罪、その命で償いなさい!」

「だから俺じゃねえんだって!」


 怒りの感情を顕に、しかし冷静な一撃が俺を襲う。襲う。襲う。

 紙一重で剣撃を受け、いなし、彼女、魔可原を止めるべく少しずつ距離を縮める。

 きっと明日はアザだらけだ。


「なぁ落ち着けって!詞音ちゃんを探してんだろ!?俺もなんだよ!協力しないか!?」

「この期に及んで甘い言葉で誘惑とは…!

 最早、貴方の罪は断たれるのを待つばかりです!」


腹が立つくらい思い込みの激しい女の子だ。

一発くらいぶん殴ってもいいんじゃないか、と思い始めた折。魔可原が闇雲に剣を振るのを止め、深く息を吸った。

ようやく落ち着いてくれたかと溜め息を吐く。だが、


「…罪拘えるは法の定め、罪罰するは法の要。

 術式発動『首塚行路くびづかこうろ』!」


 これまたやりやがった。


 術式の発動。それは威力や用法に関わらず、わざわざ喧嘩の場面で出す様な物ではない。何故ならそれは凶器を抜くに他ならないからだ。内容の一切不明な術式など、帯刀なんて可愛いくらいやばい代物だ。

 魔可原が鞘に収まったままの剣を天高く振り上げる。かと思えば、抜く動作すら見せず刀身が現れた。主人を失った鞘がゆっくりと宙を舞う。ライトに照らされた刀身が怪しく光る。


 風の切る音がした。


 速い。天辺から斜め掛けに剣が振り下ろされた。余裕のあった距離も、彼女の踏み出し一歩で既に必中の間合いの中。

 愚直なまでに真っ直ぐな一振りは、俺の首へと吸い込まれていく。


 ーーー避けろ避けろ避けろ避けろ!


 脳に命令を送る。

 妙に剣筋がスローに見える。俗に言うゾーンに入るというやつだろうか。

 俺の目はしっかりと彼女の剣を目で捉えていた。必死に身体を捻る。いや、それでは間に合わない。

 僅かに曲げていた膝を使う。拙い動きだが、なんとか膝のバネを使い後ろへ飛び退いた。

 なんとか首元への致命傷だけは免れる。それだけの距離は確保した。


「無駄な抵抗です!」

「なっ!?」


 グンと大きく刀身が伸びた。いや、そうでは無い。彼女、魔可原が俺に向かって急接近したのだ。

 続く二の足で踏み出した訳ではない。まだ彼女は初めの一歩を飛んだだけに過ぎない。にも関わらず、まるで磁石と磁石が引き合う様に退いた俺との間合いを詰めたのだ。

 おおよそ身体能力では説明がつかない不条理。ならば、ならば、これが彼女の術式というわけか。

 もう人1人分の距離しかない。迫り来る刀身が妙に綺麗だと思った。受け入れれば、俺の頭は容易く身体からバイバイすることだろう。

 走馬灯を見る暇もない。

 悔しい。八つ当たり気味に目の前の女を睨みつけた。腹が立つのだ。この早とちりな彼女に殺される事がでは無い。

 先程から頭の中で何度も反芻するのだ。ついさっき出会ったばかりである少女、桑原 詞音のことを。

 …クソッたれ。


「一目惚れかよ気持ちワリぃ」


 何も出来なかった癖しやがって。

 今際の際で喉を迫り上げてきたのは、どうしようもない自分へ向けた自嘲の言葉だった。


 …

 ……

 ………ヒュっ


「っ!」


 魔可原が息を呑む声で我に返った。

 死を覚悟した最中、突如としてそれは飛来した。野次馬と化した客の中から勢いよくやって来た。

 ゴミでも投げ込まれたかと思ったが、その正体は手のひらサイズの板、いやスマートフォンだった。

 それは真っ直ぐに俺と魔可原の間に飛び込んで来た。ちょうど彼女の剣の軌道に入ったそれは真っ二つに



 なることはなく、すり抜けて行った。


「はっ?」


 何が起こったかまるで理解できないが、事態が好転したわけではない事だけは分かった。

 しかし、この一瞬は確かなチャンスだった。

 彼女の剣の振りに瞬き程度の僅かな遅れが生じた。結果として、俺の寿命が1秒に満たない数だが伸びたのだ。

 意味はなくとも後方に向かってトンと飛んだ。やはり彼女も磁石のようにこちらへ引かれた。

 一般学生に過ぎない俺が対応出来るスピードでは断じて無い。だが、折角どこかの誰かがプレゼントしてくれた時間だ。可能な限り有意義に使いたい。

 割り込んだ投擲物の末路が、死を受け入れていた俺に少しばかりの気づきと希望を与えてくれていた。

 床に転がったスマホを見る。ヒビ割れた画面。だが、それだけだ。切り傷一つありはしない。結び付けろ。彼女の術式名はなんだった。考えろ。腕を交差させ、剣の軌道の先にある俺の首元をカバーした。

 俺の予想が当たれば、かなり痛いだろうが死なずにはすむ筈だ。


 ーーーその後の処置が間に合えばの話だが。


 心臓の音が直に聞こえるみたいだ。ここにいる全員に聞こえてるんじゃないか、と思うくらいに心臓がうるさい。ふと、額を伝った冷たい汗が、俺の瞳に流れ落ちた。


「っ…」


 思わず目を閉じる。次の事だ。


 ガッ…!


 硬い音が響いた。硬質なものに勢いよくぶつかった音が俺の耳に入った。腕への感触はない。もちろん首にも。

 案外、斬られた時はそういうモノなのかもしれない、と思った。だが、


「…何がなんだか分かんねぇがやめとけ」


 前方から聞こえたのはよく知った声。俺の友人の、編み編みの変な髪型で、一際筋肉ムキムキで、どうみてもヤバ目の不良でしかない、官能小説好きなイカれラブコメ野郎の声だ。目を開けて彼の名を呼ぶ。


「ブレやん!!お前っ…!」

「おう」


 現れた友人から返ってきたのは素っ気なく愛想のない返事。だが、そんな言葉がどこまでも頼もしく、何より心が安堵したのだ。

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