第4話 白昼夢パラノイア

 誰?誰なの?怖いよぉ!

 唐突な女性の登場に、ビクリと体が大きく跳ねてしまった。

 いや別に怖かったわけではない。驚いただけだ。断じて怖かったわけではない。


「オラ♪びっくりさせちゃってゴメンなさ〜い♫」


 いつの間にやら立っていたのは背の高い外国人女性だ。目元に傷、ウェーブがかった髪を後ろ手に纏めた彼女は桑原 詞音と名乗る少女を後ろから抱きしめる形で立っていた。桑原さんより頭一つ分は大きいだろう。どこかで見た姿なような気もするが、ピンと来ない。

 桑原さんの知り合いかと思った。だが彼女はというと真上に位置する女性を見上げて、くにゃりと首を曲げた。


「お姉さん誰ですか?」

「え?知り合いじゃないの」

「うぅん、全く」


 わーお。なら不審者かぁ。

 俺はジリジリと距離を詰め、謎のお姉さんを威嚇する。最も有効だと密かに思っているコアリクイの威嚇のポーズで。

 しかし、俺の心情など知ったこっちゃない桑原さんは「あー!」と何を納得したのか拳をポンと叩いた。


「あ!もしかしなくても、お姉さんもここのお客さんですか?」


 冷静すぎ!

 肝の据わった子だ。というか、たとえお客さんであろうと知らない子に抱きつくのは、不審者の類には変わりないだろう。

 件の彼女はというと、ニコニコ快活に微笑むばかりでまるで意図が読めない。


「ふふ、シー♪そう、お客サンよ」

「やった!大人の人がいたら心強いです!ね、澄夏くん!」

「あ、あぁ。そうだな」


 いやいやいやいや、「そうだな」じゃあ無いよ俺…っていうか女の子から下の名前で呼ばれた!あぁ、そういえばそう誘導したんだった。第三者の登場で頭からすっぽり抜け落ちていた。なんて寂しくて卑怯な男なんだ。でも、録音したいくらいジーンと来た。女子から下の名で呼ばれるなんて実に久しぶりだったもので。

 いや待て。思考を切り替えろ。俺の非モテエピはどうでもいい!桑原さんは素直に彼女を受け入れているが、普通に考えてあまりにも怪しくないか?

 気配なく現れて、それに妙に桑原さんへの距離も近いし。


「あの…マキータさん、でしたっけ?貴方は何を?」

「ンー?フフ、アナタと同じ人探しヨ♫」

「はぁ。後、ちょっと桑原さんと距離が近くないすかね」

「詞音でいいよー」

「詞音さんと近くないすかね!」


 俺の鋭い指摘をピシャリと受けて、マキータさんはビックリしたという風に手を胸の前で広げた。その表情は実に楽しそうで、完全に遊ばれている気がする。


「ロ シエント!ごめんね♪ワタシ、人との距離感チカイのヨ♬ほら、外国人だから?」

「な、なるほど?なら、俺との距離は!」

「エ、いや、アナタ異性だもの」


 振られた!これは振られた!陽気なお姉さんだったマキータさんの素の反応に、ついつい膝から崩れ落ちる。

「澄夏くんって面白いね」、詞音ちゃんの言葉に励まされる。実に励まされる。急な腹痛の時に飲んだ鎮痛剤がスッと効いたみたいに実に清々しい気持ちだ。今なら野生の獣とでも渡り合えそうだ。タヌキとか。

 マキータさんは怪しくて仕方がないのだが、この暗闇の中ではこうして大人がいてくれた方がありがたいのも事実だ。警戒は解かないようにしておこう。


「よぉし!じゃあ張り切って探しましょう!」

「オー♫」

「おー…」


 探検隊の気分だ。真っ暗で静かすぎる廊下を妙に楽しげな声が響く。

詞音ちゃんとマキータさんだ。陽気な談笑でアイスブレイクしている2人を隣にして、聞き手に回っている自分が情けない。というより仲良くなりすぎだろう。俺だって仲良くなりたい。話の輪に入るべく、意を決して話題を振る。


「あっと、マキータ…さん?は日本語お上手ですね?」

「グラシアス!デモ、最近は翻訳アプリや言語変換術符も進化シテルですカラねー!

 言語勉強スル人あまりイナイのよね♩」

「じゃあ、なんでわざわざ?」

「フーム…アミーゴがスキだったから、カナ?」


懐かしそうに笑う彼女の笑顔は、出会ってから初めて見る表情だった。笑顔を絶やさないマキータさんだが、不思議とその様に思えた。

俺が返答に詰まっていると、詞音ちゃんが感心した様に相槌を打った。


「へー!素敵ですね!じゃあ、今日はそのお友達さんと?」

「ノウ。今日は仕事仲間とネ♪ミンナはゆっくり休んでるワ♬」


 小さく「そうでないといけないモノ」と聞こえたが、マキータさんの顔色を伺うと最初と変わらない屈託のない笑顔を向けてくる。

余所見しながら歩いていると、不意に何かに手が触れた。


ガサリ


「んんんッッッ!!!」


声にならない悲鳴が上がる…俺から。だって、何か変なものに手が触れたんだもの。

慌ててライトを照らすと、その正体は一目で分かった。

廊下の一面に腰まで届く背の高い草が生い茂っていたのだ。


「なんだこりゃ…」

「おぉー!すっごいね!本物?本物かな?」


ペタペタと警戒心なく葉っぱに触れる詞音ちゃん。危なっかしくて仕方がないが、俺も葉を一枚千切り観察する。触感も臭いも紛れもなく植物だ。


「本物の植物だ…。じゃあ、これは」

「あんまり無遠慮に触るのはよくないワ。毒性が無いから良かったケドね♪

でも、そうネ。澄夏クンと同じ意見カナ。これは植物操作の術式カシラ?」


マキータさんがリュックから水の入ったペットボトルを取り出すと、念の為だと俺と詞音ちゃんの手を濯ぐ。

植物操作系の術式。決めつけるのは良くないが、現状そうとしか思えないのは確かだ。おそらく詞音ちゃんと出会った時に見かけた植物も同じ物だった。

その時から既に、このカラオケはこの術式に蝕まれていたのだろう。


「えっと、じゃあ引き返す?」

「いや、戻っても何もないしな。この草の中を進むしかないんじゃないか?」

「昔、山の中で遊んでたことを思い出すな〜」


正直、進みたくない。不気味な事もさりながら、半袖にスカートの詞音ちゃんがここを進むのは反対だ。本当なら俺1人で行くと言いたいところだが、今いち信頼できないマキータさんと天然ぽい詞音ちゃんを2人きりにしておきたくない。

詞音ちゃんには申し訳ないが、俺が草を踏み倒しながら前進するしかないと思う。


「よっし!俺が先頭で」

「ノウ。ワタシに任せなサイ♪」


 俺を制して先頭に立ったマキータさんが背負っていたリュックに手を伸ばす。

ブンとそのまま手に持つ何かで背の高い草を斜めに叩いた。

バサリと音を立てて床に落ちる植物の束。

手に持つ何かの正体を見ようと、彼女を照らすと平たく長い鉄の板が鈍く光る。


「えぇ?」


鉈だ。彼女の手には刃が腕ほどの長さもある鉈が握られていた。

俺のマキータさんへの不信感がマシマシだ。


「おぉ〜!手慣れてますね!!」

「グラシアス♩」

「いやいやいや!なんでそんな物騒な物持ち歩いてるんすか!」

「ん〜、仕事道具ネ♪」

「へ〜!」


感心した声を上げる詞音ちゃんだが呑気すぎる。

なんちゃら携帯罪だ。俺はマキータさんを問い詰めようとした。

だが、楽しそうにマキータさんを称賛する詞音ちゃんに毒気を抜かれてしまう。

悔しいが諦めて進むことにする。マキータさんを先頭にして、詞音ちゃんのすぐ隣位置をキープだ。危険が危ないからね。

バッサバッサと草を薙ぐマキータさん。本当に悔しいが、頼もしくって仕方がない。


「それにしても誰も見つからないねぇ。きよちゃん心配してるだろうなぁ」

「うん、誰もいないな。潔って子は…友達?」

「う〜ん、そうだね。友達だけど妹みたいな感じ?心配屋さんだから早く見つけてあげないとね!」

「あぁ。俺も友達を待たせてるんだ。早く安心させてやんないとな」

「そういえばマキータさんも店員さんを探してるんですか?」

「ううん♪実はワタシの探す人はネ?もう見つかってるノヨ」

「え、本当ですか?どこどこ!どこですか!」

「コ・コ・ヨ…♫」


 マキータさんが辺りを見渡す詞音ちゃんを抱きしめた。冗談ではなさそうだった。

「マキータさん?」と尋ねる彼女をガッチリ拘束して離そうとしない。


「ウフ♪予定外だったケド、ようやく連絡があったワ♬」


なんの話だ、と言いたかったがそれより早く彼女が歌うように口走る。


「あぁホラ見て♬ここまで…♪」


「満ちていくワ♪溢れていくワぁ♫」


「あれっ?ね、ねっ澄夏くん!ここ、どこ…?」

「どこって…どこだ?」


 マキータさんに意識が取られていたが、詞音ちゃんに指摘されて初めて気がついた。辺りがおかしい。

 高い茂みのせいで今の今まで気が付かなかった。いつの間にか無機質な壁は取り払われ、闇は夜として広がっていた。見渡せば木々が生い茂っている。腰元まで届く草は緑の海として、延々と思える程に敷き詰められていた。

 間違いない。実態は植物操作の術式じゃなかったのだ。


「良い香りだと思わナイ…?ホントに良い香り…」


 マキータさんが呟いた。香るのは濃い土の匂い。深い緑の匂い。花火の火薬の様な臭いに鉄っぽい臭い。決して良い臭いとは思えない。

 だが彼女はというと懐古する表情で広がる景色を味わっていた。


「ココはあの日の戦場。もう二度と至れないワタシ達の戦場。分かち合った全てが置き去りになった、ワタシ達の情景」


マキータさんに対して戦闘体勢を取った。とは言っても喧嘩は得意ではない。情けない話だが、ブレやんでもいてくれれば助かったんだが…。

ガサガサと四方の茂みが揺れた。何かと思ったが、意識を向けた間に逃げられたりしたら元も子もない。目の前の彼女に対して拳を構えて勢いよく突っ込んだ。

 一瞬のことだった。土を噛んだ。顔面を砂利に擦り込みながら。

迷彩服を着込んだ軍人らしき人影がどこからか現れたのだ。1人や2人ではない。少なくとも4人はいる。抵抗の間もなく俺はそのうちの1人に組み伏せられた。


「ぐっ!?」

「え…?なに。マキータ…さん、何して」

『隊長』『任務完了だ隊長』

『βとγが応戦中』『戦線を離脱しろ隊長』

「了解!」


口々に軍人たちに告げられ、詞音ちゃんを抱えたマキータさんが踵を返す。

そして思い出したかの様に、俺に対して振り返り、


「学生クン♫バイバーイ♪」

「詞音ちゃん!」

「澄夏くん!」


 拘束を解き飛び出した。肩がおかしな音を立てたが関係ない。詞音ちゃんの手を握る。激痛の走る左でマキータに殴りかかった。


「ワオ!」


 だが、あっけなく鉈の面の部分ではたき落とされた。情けねぇ。だが詞音ちゃんの手だけは離さない。痛いだろうが決して離さない。この手は離したくない。

 軍人たちが俺に銃口を向ける。

すると彼女は優しく微笑み、


「私は大丈夫だからっ、ありがとう!」


 手が、離された。


「あっ」


2人が闇に呑まれて消えた。軍人たちの姿もない。周りは何もなかったみたいに見覚えのある壁が広がっていた。どうやらいつの間にかフロントに来ていたようだ。直後の事だ。

パッと視界が白くなった。目が眩む。どうやら電気が復旧したらしい。

 周りからはざわつく声が聞こえ、見渡せば他の客や店員がひしめいていた。やはり、彼らも先ほどの術式に影響されていたのだろう。僅かな間、狼狽えていたがすぐに店員に詰め寄る者や退店する者、自分の部屋へと戻る者と忙しなく動き始める。


「詞音様!詞音様!?いらっしゃいませんか詞音様!」


 白昼夢だったと思いたい。

 だが、手に残る彼女の温もりとフロアに響く悲鳴にも似た女性の叫びがそれを許してはくれなかった。

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