魔力暴走

「さすがですわヘンリエッタ様! あのヘレネー司教を丸め込んでしまわれるなんて!」


「えへへ、まぁ私にかかればこんなもんですよ!」


 ヘレネーの説得を終え、執務室を出たヘンリエッタはウーレンベックに付き添われてエントランスホールのほうへ足を向ける。これで橋が直せます、と安堵を見せるウーレンベックに、えっへんとふんぞり返っていた背を戻す。


「ってのは冗談で、司教が私に興味を持ってくれたおかげですね」


 宣言通りヘンリエッタのそばを離れず、ヘレネーとのやりとりを全て聞いていたウーレンベックが何とも言えない複雑な顔をする。


「興味というか……ヘンリエッタ様を『髑髏の聖痕』の後継にと、思いっきり勧誘されていましたが……」


「んー割とよくあることなんで私は慣れてますけど、ちょっと驚きですよね?」


 ヘンリエッタの莫大な魔力量は人にあるまじき力とよく評されるが、それはつまり様々な宗教的教義において特別な意味を見いだされやすいということでもある。神が何らかの使命を帯びさせて地上に遣わせたのだとか、何かの巫女の資格があるとか、生きたご神体やら聖体だとか、果ては悪魔呼ばわり。そういう手合いは勝手に期待や恐怖を募らせといて大勢で狩りにくるので困りものだ。ヘレネーはそういうタイプではなさそうだったので助かったが。


「でも私は司教のご期待には沿えないのでご心配なく。このことで教団内部に波風立てたりしませんよ」


 そう念押しすると、ウーレンベックはくすりと微笑み、それから憂いげに眼を伏せる。


「……信仰に流行りも廃りもありませんが、『髑髏の聖痕』のような祖霊信仰は事実として今の主流ではありません。信者数も減少が続いていますし、自らもマリオネットを開発された女王陛下は、先王とは違い、神の御業に倣うものとしてモノづくりを奨励する宗教ばかりを支援されています。ヘレネー司教の目には、類を見ない魔力量をお持ちのヘンリエッタ様が、再び『髑髏の聖痕』に勢いを取り戻し得る絶好の起爆剤と映ったのでしょう」


「へ、へえ~……」


 話題作りのために後継者に指名されそうになったのか私は。ヘンリエッタは内心げんなりする。


「けど土地のご先祖様たちを祀る祖霊信仰に魔力なんて要るんですか?」


「ふふ、『髑髏の聖痕』の教えは原始祖霊信仰から発展した教えですから、魔力もまた降霊術などを行うのに必要なもののひとつですわ。といっても、私たちではいくら修行してもエクロス家の方々には及ぶべくもあ……、」


 言いさして、あ、と顔色を変えたウーレンベックが口元に手を当てる。


「……? 何です?」


「あ、いえ、何でもございませんわ。……そうだ。ヘンリエッタ様、少し手を貸していただいても?」


「?」


 何だろう。ウーレンベックはちょっとした遊びを思いついたように気さくな笑みを浮かべている。ひょいと片手を差し出すと、彼女はそれをまじまじと見て、


「……ふむふむ……なるほど。恋愛運に波乱がありますね」


「占いできるんですか!?」


 祖霊信仰と手相占いって全然関係ないのでは? ご先祖様によって人間の手に刻まれる皺が決まるなんて話ある? 思わず突っ込んだヘンリエッタに、ウーレンベックは「若い方に関心を持ってもらうために私たちも教えの表現の仕方を工夫してるんです。無根拠なわけではないですよ」と困ったように苦笑する。


「占いによればヘンリエッタ様が魔力量に恵まれているのは自然に愛されているからですけど、反面人間にはイマイチと出てますね。運もあんまり良くないですし……」


「うぇっ、やめてくれません!? 恋愛自体に適性ないみたいに聞こえるんですけど!」


「一度決断したらなかなか曲げられない自縄自縛の人とも出ていますね、親身になってくれる人の意見を聞くようにすると吉です。なので恋愛成就には……何でしょう。儀式のようなものを信徒ではない人にオススメするのは良くないですし……ええと、鏡を見ながら自己暗示など良いかもしれませんが……」


「そんなんやってる女フツーにお断りされますよ! もーいいですからっ!」


 わたわたと慌てて手を引っ込める。やっぱり宗教や占いは鬼門だ。ダメージ食らうことばかりで楽しめたためしがないんだもの。


 そうこうしているうちに廊下の終端も通り過ぎ、エントランスホールに戻ってきた。ウーレンベックはホールの片隅にしつらえられた簡素な休憩スペースを手で示す。


「どうぞあちらへ。アイオン殿下とイースレイ様ができあがった書類を持ってきて下さるまで、あそこに掛けてお待ちください。大したものはお出しできませんが、温かいお茶とお菓子をお持ちしますね」


「ありがとうございます」


 ヘンリエッタはウーレンベックが奥へ引っ込んでいくのを見送ってから布張りの椅子に腰掛けた。


 村に行っているアイオンたちは上手くいっているだろうか。ステンドグラスを叩く風雨はどんどん激しくなっているし、外はもう夜みたいに暗い。……もしかしてこれって、本格的な嵐に遭遇しているんじゃないだろうか。司教邸に泊まらせてもらえるようお願いしたほうがいいのかな。結果的にあの吊り橋の補修は間に合わなかったということになるのか。頼むから今日一日だけでもちぎれずに持ちこたえてほしいけど……。




 考え込んでいると、背後で扉が開いて殴りつけるような雨風が隙間から吹き込んできた。振り向いた先にはイースレイ。書類を入れるトランクを持ってきているが、アイオンの姿はない。


 彼は扉を閉め、びしょ濡れの外套を脱いでからヘンリエッタのところへきびきびと歩み寄ってきた。


「司教の説得はどうだった?」


「そりゃもちろんバッチリだよ? ここからはスムーズに話が通じるはず」


「そうか。こちらも村人と相談して修繕費用の算定が終わったので、司教には教団会議で予算の補正を行ってもらいたい」


「んじゃお茶淹れにいってくれてるウーレンベックが戻ってきたら司教に会議招集してもらおっか。そこ座ったら?」


 ローテーブルを挟んだ向かいの空席を指すと、イースレイはじっと考え込んだ後どこか遠慮がちに勧めに従った。うーん、私から話題を振らないとどうにもなんない空気だなぁ。


「アイちゃんは?」


「村に残ってもらっている。天候の悪化で彼があの吊り橋を渡るのは危険だと判断した」


「そっか、まぁそのほうが私たちも安心かな。でもあの子たちには悪いけど、橋の補修は間に合わなかったってことになるかもだなぁ……」


 イースレイの口ぶりからすると、やっぱりこれはいっときの悪天候ではなく満を持して襲来した南部の秋の嵐なんだろう。


 イースレイが外の様子に注意を向けながら言う。


「……嫌な予感を現実にするつもりじゃないが、橋の修繕費用と一緒に一から新しいものを架けるのにかかる費用も計算しておいた。いずれにせよ司教に出資してもらわないといけないな」


「当然だね、領主の義務なんだから」


「……」


「……?」


 変な相づちを打ったわけじゃないはずだけど、イースレイは何か奥歯にものが挟まったように口を開いては閉じを数度繰り返す。皮肉の刃を抜くならもっとスパッといく性格に見えるし、だったら何を言いあぐねているんだろう。それも私相手に。


 また喧嘩吹っかけられても全然受けますけどね、ホラ来なさいよホラホラ。視線で促せば、イースレイはじわりと慎重な仕草でこっちに目を合わせた。


「……アイオンに王宮で見聞きした君の経歴を軽く話して忠告したところ、機嫌を損ねてしまった」


「……ふーん?」


 急に話が変わったな。かといって驚きはない。遅かれ早かれ誰かがそういう行動に出るのは想定内だしイースレイならやりそうなことだ。でも当の彼がその行動を悔やんでいる風なのがよく分からない。アイオンが不機嫌になったというのは多分、噂話に左右されたくなかったとか、根の優しさのためだろうけど。


「で、それ私に言っちゃうんだ? 言いにくそうにしてたのはこれで私が怒り狂ったらどーしよーって怖じ気づいてたわけね。君って平静を装ってるけど、ホントはずーっと私の魔力暴走を怖がってるもんね?」


 ひとまずにっこり笑いかけて煽ってみるが、イースレイは気まずげな態度のままでぜんぜん戦闘態勢に入る気配がない。ありゃ? 虚勢を張ってキツいこと言い返してくると思ったんだけどな。


「……まぁ別にこんなので怒んないけど、私に言ってどうするつもりだったわけ? 言ったらどうなると思ってたの?」


 なぜかすっかりしなびちゃってる相手に意地悪を続ける趣味はないので「怒ってないよ」のアピールとして軽薄そうに手をひらひらさせれば、イースレイは静かにかぶりを振った。


「……事実であろうと君が不在の場で吹聴することではなかったかと反省したんだ。必要な忠告だったと信じているが、内容は俺の主観に寄りすぎていたかもしれないと」


「構わないけどね、その人にとって忠告だろうが陰口だろうが人の口に戸は立てられない。ふふ、さすがのアイちゃんもいよいよ怖くなっちゃったかな~?」


「いや……彼は……」


 そのときだ。


 バン、と勢いよく扉が開く音がして外で防災作業をしていた修道女が息せき切らせて駆け込んできた。えっとヘンリエッタたちがそちらを振り向くと血相を変えてこう叫ぶ。


「い、いま橋が……落ちて……!! 谷向こうの村の子どもたちと、それを助けようとした殿下が谷に……!!」







 外套も忘れて外に飛び出したヘンリエッタたちは眼を開けていることも困難なほどの暴風雨にさらされた。全身を雨粒に殴りつけられ、薄目を開けた先の景色を稲光が焼き、口を開けば雨が入ってくるが、気にしていられない。


「っ……!! 谷に落ちたって本当なの!?」


「は、はい! この眼で見ました! あの赤い御髪はアイオン殿下以外にいらっしゃいません……!」


 知らせに来てくれた修道女は必死で見間違いではないと主張する。確かに吊り橋は強風に嬲られるままに真ん中からぶっつりちぎれたらしく、こちら側の半分が吹き荒れる暴風で激しく宙を踊っていた。


 イースレイが焦りを滲ませた舌打ちをし、


「崖には近寄るな! 下を覗き込もうと近づけば吊り橋の残骸にぶつかるか、最悪落ちるぞ!」


 彼の手元で急激に魔力が収束する。そういえば魔術師ほどではないが魔術が使えるとギャレイからの紹介状に書いてあった。


 イースレイの魔術は一時的に風雨を落ち着かせると同時に、崖の下方へ土でできた足場を形成する効果を期待してのものだったようだが、一瞬の沈黙の後にすぐ嵐は勢いを取り戻し、土塊は降り注ぐ雨に無数の穴を空けられて崩壊した。自然の猛威を鎮めるためには本来数十人、数百人の魔術師を動員しなくてはいけない。イースレイだけではとても出力が足りていないのだ。


 彼はくそっ、と小さく吐き捨て、修道女を振り返る。


「ここに魔術が使える者はいるか!? いや、領主館なんだからいなくちゃおかしい!! 至急集めてこい!!」


「わ、分かりました!!」


 事態の恐ろしさにがくがくと震えながらも頷いて、修道女は司教邸の中へと駆け去って行く。入れ替わりに騒ぎに気づいたウーレンベックが扉から顔を覗かせ、「どうかなさいましたか!?」と眼を白黒させる。


「…………」




 落ちたのを……見た、とは言うけど。


 この暗さに暴力的な雷雨だ。谷向こうの様子がそうはっきり見えるもの? 現にいま向こう側でばたばたと右往左往している複数の人影は見えるけど何をしてるかはよく見えない。


 確かにアイちゃんは素直じゃないけど根はすごく優しい子だから、落ちていく子どもをとっさに助けようとしたかもしれない。


 でも見間違いかもしれないじゃない。


 大声で呼びかけようか? 雨の音にかき消されて届かないか。だったら『鳥』、いやダメだ馬車の中に置いてきちゃった。馬車を引かせてきた「四つ足」も木々が生い茂るこの崖を嵐の中下りていって何人も救出する能力は無い。


 いや、でも。




「! わっ……!」


 唸りを上げる暴風は谷という地形の切れ目を通ることで磨き上げられて鋭さを増し、爆風のようになって下から上へ猛烈に噴き上げる。


 鼻先をかすめてその風に吹っ飛ばされてきたもの。砕けた橋板の残骸。全面がべっとりと新しい血で染まっている。




 誰かの命の危機を意味するそれを目の当たりにした次の瞬間、ヘンリエッタの頭は真っ白になった。


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