村の子を助けよう
脚と片腕にひとりずつ子どもをがっしりと抱え、子どもが持っていた縄を奪い取って残りひとりの胴体を自分の胴を繋いで落下しながら、空いた片腕でちぎれて飛んできた吊り橋を無我夢中で掴んだ。
しかし落下する自分と子どもたちの重さに引きずられ、雨で濡れたせいもあって手が滑った。どうにか静止しようと力を込めれば、命綱と化した荒縄と橋板で思いっきり肉が削られて血が噴き出す。構わない。これを手放したら終わりだ。
そのまま絶壁の緑に突っ込んだ。
青々と茂る木々の枝葉でアイオンにも子どもにも無数の傷ができたが、命綱をなるべく短く掴んで勢いを殺した。
緑の網の中でやっと落下が終わった。
暴風雨がやんだような錯覚がしたものの、自分たちが木々の内側に完璧に嵌まってしまったに過ぎない。真っ先に子どもたちの安否を確認した。とりあえず誰も落っことしてはいない。縄をたぐり寄せ、三人の身体を引っ張り上げる。
彼らは傷だらけで気を失っていたが、生きていた。
それを確認してすぐに、枝が作っている網の目を細かくさせるために縄で枝と枝をくくった。床が抜けてまた落ちたら今度こそ死ぬ。
木の幹は少し遠くにあり、早いところ子どもたちと自分の胴体をそこにくくりつけたかったが、この薄氷のような緑のクッションの上に立ち上がれはしない。這っていこうにも、ぐちゃぐちゃになった腕がもう言うことを聞かなかった。
当然の激痛だ。それなのに脳みそが変なテンションになっているのか、その痛みすら客観視している自分が思考の片隅にいた。意識はこれ以上無く覚醒しているけれど、雨に濡れ風に打たれた身体はどんどん体温を失っていく。
自分でこれなら子どもたちはなおのこと衰弱が早いだろう。
…………ちくしょう。九死に一生っつったって何も解決してねぇ。救助されたとしてもこいつらの命が助かるかは怪しい。
いや、その救助も叶うのか。
この嵐の中、ここまでだいぶ落ちた。馬車を引かせてきた「四つ足」のマリオネットに断崖を登攀する能力は無いし、まして人力による救助は困難を極めるだろう。ほぼ潰れてしまった腕の出血も体温の低下も止まらない。
あれだ、考えるのをやめるべきだ。こうなったらなるようにしかならない。よくよく考えるほど絶望的なんだから、少しでものんきなままハッピーに死にたきゃ今すぐ……。
「……殿、下……」
「!」
不意に呻き声が上がり、アイオンはばっと振り返った。
三人のうち口達者な女の子が目を覚ましたようだ。「あれ? 私何してんだろ?」ときょとんとした後、全身の打ち身や切り傷に「え、痛!?」とびっくりしている。起き抜けに元気なことだ。
「床が抜けるから騒ぐな、全員揃って谷に落ちたんだよ。今かろうじて木に引っかかって止まってる状態だ。ちなみに吊り橋は真ん中でちぎれた。残念だったな」
「えっ落ち、いやちぎれ、えっ……!?」
「だから騒ぐなって。そいつらも起こして今のこと説明してやれ」
何かのきっかけでこの床が抜けたとき、意識がなければ自衛もできないだろう。もうアイオンに他人の手助けをする余力は残っていないから、怖がらせることになっても起こすべきだと思ったのだ。
女の子は動転していたが、おおまかに状況を理解するにつれ顔を青ざめさせ、男子ふたりを揺り起こした。「うわあああ落ちるぅうう!!」とか何とかびびり散らかしていたのには辟易したが、女の子に鉄拳を食らわされておとなしくなった。とりあえず意識が混濁している者はいないようだ。
と思ったら、アイオンの怪我に気づいた途端またぎゃーっと悲鳴を上げられた。ちっ。身をよじって腕を隠していたのに変なところで目ざとい。
「殿下それ、酷い怪我……!」
「ち、血がやべえって! 止めないと!」
「俺まだ縄持ってるよ!」
「……じゃあその縄でそこの木の幹か、そこまで行くのが危なそうなら太めの枝に自分の胴体くくりつけとけ。俺の腕の止血は縄が余ったらでいいわ」
「分かった節約して余らせる!」
余らせるって何だ。訝しむアイオンの前で子どもたちはそろそろと這うようにしてどうにか木の幹にたどり着き、三人ぴったりくっついて縄で胴体を固定し、余りをナイフで切り落とした。縄を節約するってそういうことかよ。
「そんなぎゅうぎゅうで息出来てんのかそれ?」
「「「だ、だいじょぶ!」」」
「……あーそう」
その状態で大声で返事ができるなら肋骨なども折れていないだろう。残りの縄を受け取り、片手と口を使って適当に止血する。どれを取ってもびしょ濡れなのが心底うんざりだ。思いっきり溜め息もつきたくなる。
それを聞いた子どもたちの顔つきが神妙になり、
「なあ、俺たちを助けたせいで怪我したんだろ……?」
「……」
少しの間二の句が継げなかったのは面倒くささが限界を突破したからだ。心ならずも助けてやったのに、この上ごめんなさいごめんなさいとうじうじされちゃたまらない。貧血と激痛と不安を押して泣いてる子どもの相手をするなんてまっぴらだ。冗談抜きでその心労が致命傷になりかねない。
「成り行きだ」
そう言い切っても子どもの表情は曇ったままだ。こっからどうしろってんだよ。
「……。お前名前は?」
袋小路に嵌まった気分で訊ねると、さっき喋り掛けてきた生意気な子がぱちりと眼を瞬かせる。
「ベ、ベック……」
すると残り二人もそれにつられて、
「マヤ!」
「俺ケラー」
「そっちふたりは聞いてねぇだろ」
「んなっ!?」
と、アイオンの茶化しにうまく乗せられてくれたかと思ったのだが、恥ずかしそうにしていたのもつかの間でしおしおと元気を失ってしまう。
ベックが縋るようにこちらを見て、
「じゃなくて、……ごめん殿下。何とか助けを呼ぶ方法考えようぜ」
「俺らは殿下に守ってもらったから大した怪我もないしひとまず乗り切れるよ。でも殿下は……その怪我じゃ……」
「うん……殿下お願い、私たちは平気だから自分の無事を一番に考えて」
「ああハイハイ」
子どもに言われるまでもない。アイオンは視線を揺れる緑の隙間から見える外の豪雨に投げた。激しい雨音、ごうごうと唸りを上げる暴風に加えて雷鳴までもが始まった。
「……言っとくが変な心配はすんじゃねぇぞ。もしこれで俺が死んだとしても女王からお前らや村に罰が下ったりはしねぇよ。せいぜい今後も安心して処刑ごっこに励んどけ、主にケラー」
そこまで軽口を叩いたところで目眩に襲われ、アイオンは口を閉ざした。とにかくめげない子どもたちなので何かしらきゃんきゃん言い返してくると想定していたが、意外にも彼らは困り果てたように黙りこくった。
何だよ。
数秒後、ケラーがへにょへにょと口を開く。
「殿下はすごい人だけどちょっとバカ? ですか?」
「ハァ?」
「俺たちそんなこと心配してないもん。するわけないじゃん……」
ぼそぼそと尻すぼみになってしょんぼりとうなだれる。だからなんでだよ、俺が何言ってもダメじゃねぇか。
とはいえ黙っておとなしくしていてくれるなら願ったり叶ったりだ。この上わざわざこちらから話しかける意味もないし話題も思いつかない。第一こういうのは俺向きじゃない、あの魔女の仕事だろうが。
うだうだと考える意識も冷えていく体温とともに徐々に遠ざかっていった。
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