部下の話を聞こう

 おんぼろ橋を慎重に引き返して村に戻ったアイオンとイースレイは、村役場で村長たちと具体的な内容を詰めた。


 書類の作成にはイースレイが事務官としての能力を発揮してくれたが、彼の用いる語彙は専門的・官僚的な難しいものばかりで村の者には読めず――アイオンだってつい先日までは読み書きできなかった――話し合いはスムーズにはいかなかった。それなりの時間がかかってしまったので、自然、橋の向こうに残してきたヘンリエッタの首尾が気に掛かる。


「……あの魔女が気がかりか?」


 できあがった書類を雨に濡れないようまとめてトランクに入れていると、イースレイが横合いからだしぬけにそんなことを訊いてきた。何だ急に。


 尖った視線を向けてもイースレイは冷たい気配のまま、構わず続ける。


「臣下として一応忠告しておくが、彼女を人間とは思わないほうがいい。……俺は王宮の書庫番だったから情報は手に入りやすかったと言ったな。宮廷魔術師として引き抜かれる前も後も、彼女の実績は全てがメチャクチャ、非常識そのものだ」


「……あの性格見てりゃ分かるわそんなこと。王太子殺害未遂がほんの序の口だと言われても驚かねぇよ」


 つうかだから心配なんかしてねぇ、首尾良くいってるか気になっただけだ。それだけ。


 アイオンは呆れた声で言って話を切り上げたつもりだったのに、イースレイはそれを強いて無視した。


「そう、序の口も序の口だ。彼女には並の魔術師が千人いても叶わない大破壊や大奇跡さえお手の物なんだぞ。自らを神とあがめた新興宗教団体をいくつも壊滅させ、悪魔と呼んで迫害した集団も同じく破滅させ、とある侯爵家お抱えの高名な魔術師も単身撃破して、その侯爵を断頭台送りにした女だ」


「…………」


「性格を見ていれば分かるというのも正しい。これは王宮では語り草になっている話だが、殺人鬼と化した野良の魔術師の討伐を宮廷魔術師が命じられた際、被害者の死体の山を前にして彼女は、出撃をもったいぶった上でこう言ったそうだ。『もっとひどいものを見せろ』と」


「…………」


「彼女が犯してきた悪逆と専横をあげつらえば枚挙にいとまがない。俺は愛だの恋だのにうつつを抜かす人間はもとより信用していないが、彼女の場合はより悪いだろう。他者に配慮する情などはなから備わっていないのに、恋愛という口実でこの国の中枢を、未来の王妃の座を蝕もうとしている。アイオン、君もその浅ましい目的のために利用されているだけだ。そうは思わないか?」


「思わねぇな」


 アイオンは自分でもおっ、と思うくらい即答した。視界の端でイースレイが初めてあからさまな動揺を見せたのが分かるが、くだらない世間話のさなかのような悠揚迫らぬ態度を保つ。




 そのぶっ飛んだ数々の情報が全て事実でも俺にはどうでもいい。


 あいつが情を解さない魔女ではないことは俺がもう確かめた。


 あいつの腹に大層な企み事なんかない。浮気したら殺すくらい兄貴を好きになったことがすでに罪だと言うヤツは、場面が変われば同じ口で誰にでも「あの身の程知らずめ」だとか言う。


 あーあくだらねぇ。




「『まず自分を信用してもらうところから始めなくてはいけないことは分かっている』、お前が言ったんだぜ。そんなんでマジで俺のとこで仕事してく気あんのか?」


 つまらなそうに言って睥睨するまで、イースレイは意表を衝かれたように硬直していた。


 間を持たせる義務もなし、あくびを噛み殺したアイオンはそれきり黙した。話がいったんまとまっても村人たちがあーだこーだと今後の段取りを話し合っているのをなんとなく見ていた。


 やがて、イースレイが表情を改めてトランクの持ち手を握った。


「……橋の修繕費用も概算できた。司教のところへ持っていく」


「あ? なら俺も……」


「いや、雨がいっそう酷くなっている。豪雨の中またあの橋を渡る危険を考えれば君はこちらに留まって待っているべきだ。話が済んだら彼女と一緒に戻ってくる」


 さっさと外套をかぶり、支度をするイースレイの主張にアイオンは素直に引き下がった。確かにあのおんぼろ橋を渡ることを思うと面倒くさいし。


「……今のは耳に痛かった。反省させてもらうよ」


 最後にぽつりとそうこぼして、降りしきる雨のとばりへとイースレイは村役場を出て行った。


「……」


 別に他人の考えを変えるつもりで言ったわけじゃない。俺のこともあいつのことも好きなように見りゃいいだろ。


 思わぬ方向に事態が転んだことにアイオンは据わりが悪くなった。言わんこっちゃない、これだから下手に行動するより何もしないでいるほうがいいってんだ。やさぐれた気分で脱力する。


 適当な椅子を引き寄せてうとうとしていようかと思った矢先、村人たちが慌ただしく寄ってきて、


「殿下、申し訳ありませんが村として嵐に備えねばいけない状況になってまいりました。失礼させていただいてよろしいでしょうか?」


「……ああどーぞ」


「ありがとうございます」と頭を下げて彼らは続々と役場を出て行く。


「……」


 アイオンのほかには無人になった役場は決して良い環境ではなかった。隙間風がひどいし打ち付ける雨音がうるさいしでうとうとなんて出来そうにない。帰りのことを想像すると雲行きも気になってきた。


 くそ。


 自分の外套をかぶって外に出る。危惧した通り、もう雨と風は暴風雨と呼ぶべき勢いになっていた。




 ……待て、さっき村長、「嵐に備える」って言ってたか?




 まさか嵐が来るのか? よりによってこんなタイミングで? 冗談じゃねぇぞ。




 帰り道の天気どころか帰れるかどうかも怪しくなってきた現実を脳が一生懸命拒否しているが、外套越しに全身を打つ激しい雨が差し迫った危機を伝えている。


 もちろんアイオンは王宮や離宮の外で嵐を経験したことはない。村のどの屋根を見てもアイオンの思う安全基準には遠く満たない。おいどーすんだこれ。


 モノが飛ばないように屋根が剥がれないようにと忙しく立ち働く村人たちを、しかめっ面の裏で静かに狼狽しながら眺めていると、「もう、大人たちがずっと動いてくれなかったせいだよっ!」と聞き覚えのある子どもの声がした。


 はっとそちらを振り返る。


 生意気そうなガキ、口達者なガキ、処刑処刑うるさいミーハーなガキ、あの三人だ。


「橋がちぎれちゃう!」と騒ぎながら、作業で手一杯の大人たちから離れて暴風のうねりにぶん回されているあの吊り橋のほうへと雨の幕を突っ切っていく。バカが、こんなときに他の奴らから離れてんじゃねぇ。


「っおい、お前ら待て!」


 分厚い雨雲が天に渦巻き、辺りはまるで夜のように暗い。


 アイオンは考えるより先に三人の子どもたちの元へ駆けていた。


 彼らは吊り橋を補強しようとしていたようで、縄やトンカチを持っている。アイオンに気づくとあっと歓迎するような声を上げて、


「殿下!」


「殿下ひとりなの?」


「んなこと訊いてる場合かよ、家の中入ってろ!」


「でも橋が、このままじゃ絶対ちぎれちゃうじゃん!」


 ガキってのは言い出したら聞かないもんなのか。そんなちんけな縄やトンカチでやっつけ仕事したところでこの嵐じゃ無駄だとか理屈で説得しようにも、ガキなりの理屈ででも、だって、と言い返され、問答が長引くだけなのは目に見えていた。こんなとき、頼んでもいないのにくちばしを挟んできて後を引き取ってくれるヘンリエッタはいま谷の向こう側だ。ごうごうと風が吹き荒れる。くそ、なんで俺がこんなこと。


「いいからすっこんでろ、今からじゃどうにもできねぇんだよ!」


「でも殿下……!」


 生意気な子どもの肩を掴んで引き戻そうとしたときだった。


 でも橋がちぎれたらヘンリエッタたちも戻ってこられなくなる、と必死に叫んだ子どもの手から、吊り橋に打ち付けるはずだった釘が豪雨に濡れてすっぽ抜けた。


 風に飛ばされてきた釘に、子どもたちがわっと悲鳴を上げて反射的に目を瞑ったのと同時、吊り橋が轟音を上げてついに真ん中でちぎれた。


 こちら側の半分が風に巻き上げられて飛んでくる。嵐に巻かれたまま眼なんか瞑った子どもたちがあっけなくバランスを崩し、足を踏み外した。


 深い渓谷へ落ちる小さな身体がみっつ。


 アイオンはそれを見るや、とっさに手を伸ばしていた。


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