庁舎に帰ろう

「それにしたって、魔力暴走に巻き込まれそうになったってのにホントにちっとも怖がんないねアイちゃんは。お兄ちゃんにそっくり。大魔女としてはちょっと自信なくしちゃいそうだよ」




 王家の紋章を掲げた三頭立ての馬車が、月夜の街道を行く。


 向かいに座ったヘンリエッタがふと不満げにぼやいた。何かと思えばくだらない。アイオンは窓枠に頬杖をついてふんと鼻を鳴らす。


「俺はそんなことより誰にもバレずに異物混入やりやがったことに引いてるよ」


「さ、先によってたかって言葉でボコボコにしてきたのはあっちなんだからあれくらいいいじゃない! 社交界じゃ何かのきっかけでターゲッティングされたが最後、されるがままで耐え忍ぼうとしてメンタルやっちゃうレディも珍しくないんだし正当防衛!」


 一応後ろめたさは感じているのか、ヘンリエッタは勢い込んで弁解してくる。社交界ってのは地獄の親戚かよ。


 とんでもない情報にアイオンは半目になり、


「南部のハウスパーティー程度でこれなら、宮廷の女社会の魔窟っぷりは推して知るべしだな。まだこの国がぶっ壊されてねえのはラッキーだったのか。お前が図太くて助かったよ」


「ずぶっ、……何なのもう、私にはめちゃくちゃ言い返すじゃん……」


「別に無反応でいいなら喜んでそうするけどな」


「ダメ! 無反応はクレア嬢系の人たちの前でやって!」


 ぶすくれたり駄々をこねたり忙しいやつだ。かと思えば、一転して穏やかな笑顔になって言う。


「でも実際よかったよ~あの無言対応は。こんな連中に反応してやる価値もないし怒りを買ったとしてもだから何? って感じがよく出てた。軽んじられないためには自分が偉いと信じ切ってその通りに振る舞おうねーってのはああいうやり方もありだよね。だからこそ、途中で諦めて挑発に乗ってやろうとしたのがとっても残念」


「……面倒だったんだよ。分かるだろ」


 バレていたのか。


 そういえば、あのときヘンリエッタは図ったようなタイミングで口を挟んできた。燃え残ったような灰色の大きな眼が、馬車の窓から差し込む月光を受けて輝き、ひたとこちらを見据える。


「……あのとき阻止できてよかった。アイちゃんはそのままでいい。あれをやり通してよ。そしたら、私のコレも報われるしね」


 ヘンリエッタは思い出したように着ている制服のスカートを軽くつまむ。とっさに意図を掴めないアイオンに、ふふ、と痛快そうに笑い声をこぼし、


「とっくにクビになってるけど、今晩が宮廷魔術師ヘンリエッタの最後の仕事かな! 宮廷魔術師っていったら王家の守護者で、つまりアイちゃんの味方。せっかく一張羅着て行ってそこんとこアピールしてあげたのに、あっちのほうがそれこそ常識を知らないよね~。いよいよとなったらどんな手を使ってでも君を逃がすつもりでいたの」


 だからお薬なんか持ち出したぶん試合に負けたけど、勝負には勝ったって感じかな?


 そう言って笑うヘンリエッタは、たぶん宮廷魔術師という仕事にそれなりに愛着と誇りを持っていたのだと察せられた。平民だてらに宮廷へ潜り込み、ハイラントに接近するための単なる手段などではなかったんだろう。




 俺の味方だなんて言葉も、まじりけなしの本心か。




「…………あっそ。俺にはひたすら無意味なだけの時間だったぜ。やっぱ行かなきゃよかったわ」


「まぁそう言わないで。……あ、そうだ、今回のは大丈夫だけど承知の通り料理に何か混ぜられるとかってそう珍しい話じゃないから、今後は気をつけるんだよ~」


「最ッ悪の補足情報ありがとよ」







 ギャレイ宮廷伯の的確な手配のおかげで、マリオネットの到着と同時にアイオンとヘンリエッタの部屋はそれぞれ新しいベッドを迎えている。やっと自室でゆっくり眠れる環境が整ったわけだ。


 さすがに今日は読み書き教室はお休みだね、と苦笑してヘンリエッタが部屋に引っ込んでいった後、書斎に残ったアイオンは椅子に腰掛けてしばらくぼーっとしていた。体力はあっても気力はお世辞にも充実していないから、その顔には疲労の色が濃い。


 月の光の明るさに目をしぱしぱさせて数十秒。帰ってから何度も思い立っては踏ん切りが付かずにいたことを、のろのろと実行に移した。




 引き出しを開け、木製の小箱を取り出す。


 その中身は小さく折りたたまれた古い手紙だ。


 広げて見ると、二歳年上の兄の幼い文字が記憶の通り紙いっぱいに書かれている。四歳のとき、離宮に追いやられたアイオンに見張りをかいくぐりながら責任感の強い堅物な兄は熱心に手紙を寄越した。当時六歳だった兄の覚えたての文字と幼い語彙。あのときはまだ父の死と母の豹変に混乱していて事態を深く考えず、子どもらしい楽観と祈りからこんな異常事態が長く続くわけがないと思っていた。


 それが十四年も続くとは想像もしなかったのだ、四歳の自分は。




『ごめん もうすこしがまんして ぼくがかならずみんなをなかよしのかぞくにもどすから ごめんね アイオン』




 これくらいの文面なら、まだ教育というものから引き離されて間もなかった四歳のアイオンにも読めた。ハイラントからの手紙を参考にしてどうにか返事を書き、新入りのメイドに手持ちのタイピンと引き換えにこっそり届けてもらったこともあった。長い文章はまだとても書けなかったから、「にいさんさみしいよ」とか「なんで」とか「ははうえとにいさんにあいたい」を全力の筆圧ででっかく書くのが精一杯だった。




 しかし、兄からの手紙は半年も経たずふっつりと途絶えた。


 理由は分からない。だからアイオンがハイラントに手紙を書くこともなくなった。母からは離宮に出されて以来、個人的な音沙汰はナシ。読み書きの機会がアイオンの周囲から消滅し、彼の作文力は四歳のままでほぼ停滞してしまった。


 そんな十四年の果て。降って湧いた魔女のスパルタ読み書き教室のおかげで、子ども同士の手紙の書き方を飛び越して、公文書の書き方がほんのちょっと分かりかけてきている。おかしな話だ。




 ヘンリエッタ・ブラウトはアイオンに読み書きを教えてくれたが、兄を殺しかけ、気乗りしないハウスパーティーに無理矢理行かせ、魔力暴走にまで巻き込みかけた。




 けれどヘンリエッタは、魔女らしく情を解さないどころか、浮気されたら殺すくらい打算抜きに兄貴のことが好きらしい。


 おしゃべりでお節介焼きではあるが、彼女との会話は退屈なものじゃない。


 彼女には何で怖がらないのよと拗ねられるが、魔力暴走のリスクを知ってもアイオンはちっとも恐怖は感じない。


 平民だし、一向にアイオンを殿下と呼ぼうとしない女だ。だけど身分で人の品性は決まらないだろう。今夜のパーティーだけ取ってもそれが真理だと言い切れようものだ。




 ……笑いものにされるのを分かっていて宮廷魔術師の制服のままでパーティーに行った彼女を見れば、ただ自分がハイラントの弟だからしつこく構い、親しくしようとしているのではないとも分かる。




「……家族への手紙なんかどう書くんだよ」


 ほとほと困り果てて呟きながら、アイオンは指先で器用にペンを回す。


 ハイラント宛てに手紙を書くのは実に十四年ぶりだ、年齢相応の礼節など備えちゃいない。うろ覚えの時候の挨拶を書き添えることの方がよっぽど恥な気がするし、もう割り切って用件だけを端的にぶつけりゃいいだろう。


『あんたの婚約者は元気にやってるよ。一度手紙くらい送ってやったらどうだ。浮気した負い目は一応あるだろう』


 便箋の罫線を無視してざかざかと走り書きし、机にペンを放り出す。


 その便箋を適当な封筒に突っ込むところまではやったが、封蝋は面倒くさかったので省略した。


 これは明日、ヘンリエッタにバレないように『鳥』に託そう。




 走り書きしても読むのに支障はないほど美しくヘンリエッタに矯正されたアイオンの筆跡は、四歳のころのものとはすっかり様変わりしている。ハイラントはこれが弟の筆跡だと信じるだろうか。下手すると弟を騙るいたずらだと思われかねない。


 まぁ信じなかったらそれまでだ。ヘンリエッタがうるさくせがむから仕方なくやっただけで、言いたいことだけぶん投げて終わりだ。あとはハイラントのご機嫌任せ。




 だが自分が恐れていないのだから、ましてあの意志の強く優秀な兄がヘンリエッタに怯えることはあるまい。彼女の言葉が真実なら婚約を申し出たのは兄のほうだったらしいし、浮気というのもどうせ一時の気の迷いか何かだったんだろう。




 別に自分はこのままでいい。不満はない。


 ハウスパーティーにしたって何にしたって、最初から挑みかからなければ負けることもない。プライドが傷つく結果も来ない。第二王子という地位にはあるのだから、何もしないでいても生きてはいける。


 それで充分だろ。




 本当に今日は無駄骨を折らされた。


 あくびをひとつ落とし、小箱と書き上げた手紙を引き出しにしまったアイオンは書斎を出て自室に向かった。

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